2009年 01月 24日
生徒たちの教室とは遠く離れ、渡り廊下の向こう。 いつも濁った池の真ん中で、だらしなく枝を垂らした 大きな柳の木の横に、その図書室はあった。 当時、勉強するためにそこを訪れる生徒などいなかった。 もっぱら読書好きの生徒たちが貸し出し本を 探すためだけだった。 中学一年の私は、その場所でときどき目にする一年先輩の 小早川さんに淡い恋心を抱いていた。 何故名前を知っているかというと、 ある日、彼が返却した本の裏にある貸し出しカードを見たからだ。 それ以来、彼の名が書き込まれている本を片っ端から読み漁った。 「2年3組・小早川篤」 名前を発見するたびに胸がドキドキした。 手にとった一冊目に彼の名を見つけると、 心の中で快哉(かいさい)を叫ぶ。 すっかり、密かな楽しいゲームになっていた。 特に、彼が借りたすぐ後に自分の名前を書くときには、 ある種の快感をも伴った。 恥ずかしがりやの私は、図書室でよく見かける彼に 声をかけることもできないまま、二年生になった。 しかし、ひと月過ぎても、三年生になった彼の姿を見ることはなかった。 しばらくして、春休み中に病死したことを知った。 6月の雨がジトジト降り続くある日の放課後。 図書室にいたのは司書の先生以外、私だけだった。 そんなとき、新しく書棚に並んだ一冊の本を見つけた。 -あっ!この本、小早川先輩が読みたい本かも‥‥。- あらかた彼が読んだ本を読み終えてきた私は、 彼の嗜好がはっきり判るようになっていた。 その新刊本の新しく貼られた袋のなかからカードを引き抜いた。 真新しいカードの一番上には、 「6月1日・3年3組・小早川篤」とだけ記されていた。 -そんな‥ばかな‥!誰かのいたずらなんだわ!- そう思いながらその本を抱え、薄暗くなった渡り廊下を 歩いているとき、何気なく池のほうに目を移した。 だらしなく無数の枝を垂れ下げている柳の木の下に、 背を向けて図書室を眺めている制服姿の男の子が立っていた。
by don-viajero
| 2009-01-24 09:06
| 超短編小説
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