陽気なイエスタデイ

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2008年 07月 14日

超短編小説 『運賃』

私はタクシーの運転手。
片田舎の小さな駅の広場で客待ちをしていた。
上り下りで2時間に一本しか停車しない電車からは、
数人の見慣れた高校生が降りてくるだけ。
いつものことだ。
こんな何の取り柄もない街に、わざわざ降りる客なんかそうはいない。
だからといって、流しをしていて客なんか捕まえることは
もっと難しいことだ。

次の停車時刻まで一休みしていようと思った矢先である。
スーツをビシっと着込んだ長身で、色白ではあったが
いかにもスポーツマンといった青年が近づいてきた。

「仏崎までお願いします。」
「はい!わかりました。」
ここからその場所まで軽く一時間はかかる。
私は久しぶりの上客に浮かれ、つい饒舌になっていた。
「ところでお客さん!胸板が厚そうですが、
 なにかスポーツをおやりですか?」
「学生のころ‥‥、ボート部だったんです。」
「ほう。そうですか‥‥。で、今は‥‥?」
「まぁ、今でもボート漕ぎのようなものでよ‥‥。」
バックミラーを覗くと、その青年がスーツのポケットの
あっちこっちを探り始めている。
「すみません!どうやらサイフをどこかに落としてしまったみたいで‥‥。」
「えっ!それは困りましたなぁ!何か身分を証明するものは‥‥?」
「それならあります!」
と言って彼が身分証明書のようなものを私の肩越しから差し出したとき、
横道からダンプカーが猛スピードで突っ込んできた。
-ガッシャーン-

気がつくと霧に包まれた静かな川を手漕ぎ舟に乗っていた。
船頭さんに声をかけた。
「ここはどこですか?」
振り向いたのはあの青年だった。
「お客さん、あなたの渡り賃はいりませんから‥‥。」

by don-viajero | 2008-07-14 20:36 | 超短編小説 | Comments(0)


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