2008年 09月 20日
すっかり腹の出た二人の中年紳士は居酒屋の隅の席についていた。 ありきたりの会話が終わって、江藤が切り出した。 「最近、叔父がガンで死んだ。そのときの痛みようと言ったら、 側で見ているのも可哀相なものだったよ!まぁ、延命治療ってやつだな! 俺たちは運がいいほど死とは縁遠い。でもいつかは死ぬ。 そんなとき、あんな痛みだけは勘弁してもらいたい。 コロっと逝けたらそれに越したことはないが‥‥。 そこでだ!俺は最近同僚から内緒ですごい薬を手に入れたんだ!」 もったいぶって彼が袋から一つのカプセルを差し出した。 「それは何の薬だ?」 小声で語らずとも店内の喧騒にかき消されるような声で、 「これは安楽死できるものだ。まだ臨床段階で国の許可も 下りていない代物だ。まぁ、そんな薬下りるはずもないか! しかも死後解剖してもその成分は検出されない。」 「そんなものを手に入れてどうするんだ?」 「だからさっき話しただろう!余命幾ばくもない状態で苦しみだけに 耐えて生き延びるのは絶対嫌だよ!お前だってそう思うだろう?」 「まぁな!」 「俺は自分の命をお前にだけは託せる。裏を返せばお前だって 俺に託すことができるはずだ!」 -そうだ。これが山で喜びを、苦しみを、そして生死をも ともに歩んできたザイルパートナーなのだ!- 上原は当たり前だという顔で大きく頷き、聞き返した。 「で、そのカプセルはどちらかが持っているのか?」 「そうじゃないさ!若い頃よく訓練に行った二人だけの岩場の 隠し場所に置く。それは俺に任しとけ!」 「おぉ!それはいいアイデアだ!」 「そんな状態になったとき、どちらかが見舞いの折、手渡すか、 飲ませる。俺が先か、お前が先か今はわからない。どうだ!」 「わかった!お互いそれを利用しない死に方をしたいものだが‥‥。」 「ただ、これは一つしかないから早い者勝ちだけどね!」 江藤は不器用な笑みを浮かべ、ジョッキに残っていたビールを グイっと飲み干した。 その夜、二人は逢わなかった歳月を一気に縮めるように、 次の店、次の店と足を運び、道では肩を組み合い、すれ違う人々に はばかることなく、大声で山の歌を高らかに歌い、ハシゴして入った 店では懐かしい青春時代を大いに語り合い別れた。 それから十数年、相変わらず賀状だけのやりとりはしているものの、 顔を合わすことがなかった。 一方そのころ、江藤純也は上原とは違う病院にいた。 モルヒネを打たれ、薄れ行く意識のなかで、 -陽介はどうして来ないんだ! 早くこの痛みから解放させてくれ!-
by don-viajero
| 2008-09-20 20:33
| 超短編小説
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