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2008年 11月 01日

ウズベキスタン・Ⅴ

昨夕の雷雨が、すっかり空の塵を洗い流してしまったような
真っ青な空。まさに『青の都』に相応しい天気だ。
青空の下、ブルーのドームがあちこちで輝いている。
どこからともなく聞こえてくるコーランの祈りに、暫し耳を傾ける。

ゆっくり朝食をとり、部屋のベランダから辺りを眺めていると、
下からあの青年・ショコラ君が大きな声でこちらを見上げている。
表に出て彼と彼の友だちたちとロシア語を交えて話す。

この国に入国して、ぜひとも購入したいものがあったので、
どこか手に入るところがないか尋ねると、
新市街の遊園地近くの店ならあるかもしれないと教えてもらった。
彼らと別れ、観覧車が見える場所までくると、洒落た店舗が並んだ一角に、
私が求めていた帽子が見つかった。
それまでの街中で売られていたものよりはるかに良品だ。値札$17。
いつものように値切ってみたのだが、一銭たりともまける気配なし。
すっかり気に入ってしまったので、値の通り買い求めた。
一人、その帽子を被り悦に入る。
これは今でも冬になれば愛用している代物だ。

再び旧市街に戻り、昨日見学できなかったレギスタン広場の
メドレセを見て歩く。
その後、裏道を通り抜け、バザールへ向かう途中、
子供たちに写真をせがまれ、そのままその子たちの家に招かれる。
なんとおばちゃんたちがテーブルにご馳走を並べ、
昼間からシャンペンで酒盛りをしているではないか!
仲間に入れてもらい、すっかり馳走になる。
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さすが遊牧民の末裔である。さしづめ
私はもてなされる客人になったのだ。
おばちゃんたちに囲まれ、
訳のわからぬ茶話に花を咲かせる。
二時間ほど酒宴のお供をしていた
だろうか?彼女らに別れを告げ、
再びアフラシャブの丘に登る。

夕闇のせまる美しい街。
沈みゆく太陽に照らされ光り輝く青のドーム。
さきほどの家族との触れ合い、そしてショコラ君の歓待。
非日常的な素敵な出合い。
あらためて遠く古のシルクロードへ、サマルカンドに来たものだと
身にしみて感じるひとときである。

この街の空気を支配している独特な香辛料の匂い。
シャシリクを焼く店から立ち上る煙。
各々の店に並ぶいろいろな品物、集まる人々の容姿、装い、
飛び交うさまざまな言語。そこは民族のるつぼと化したバザール。

すべてが蠱惑の香るシルクロードなのだ。

by don-viajero | 2008-11-01 19:51 | Uzbekistan | Comments(2)
2008年 10月 28日

ウズベキスタン・Ⅳ

翌日、早朝の行動は前述(Ⅰ)の通りである。

ホテルへ帰り朝食を済ませ、再び表に出ると、
レギスタン広場へ向かう道は歩行者天国になっており、
広い通りの両側の歩道には露店があふれている。
警官らしき人も大勢いる。なにかあるらしい。
広場に入るのに警官のチェックがあったのだが、簡単に済んだ。
そこにはきれいな衣装を纏(まと)った子供たちがたくさんいる。
テレビ局の人間もディレクターらしき女性も。
次第に広場を見下ろすために用意された席が埋まってくる。
そこへ土産物の兄ちゃんが私の横に座り、英語で説明してくれた。
『サロン・マリク』の祭り。どうやらイスラム暦、新年のお祝いのようだ。
10時ごろ、どこの国でも同じように長ったらしいサマルカンド市長の
挨拶があり、ようやく踊りが始まる。子供たち、若い女性たちの
目にも鮮やかな民族衣装を着飾った人々でステージは一杯になる。
コリアンの深紅の衣装での踊りもあった。
それぞれの色はおそらく、ウズベクの各民族を表しているのであろう。
思わぬイベントを見ることができラッキーであった。
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二時間ほど見入ってその場を去り、旧市街にある名所・旧跡を見て回る。
バザールではおいしい漬物やオレンジ、焼きたてのナンを
買い求めながら、そこで働くおっちゃんやおばちゃんたちとの
訳のわからぬ会話で楽しむ。

広場に戻るころには、空には雷が鳴り響き、ポツポツ降り始める。
朝の賑わいはどこへやら。人波の途絶えた通りはアイスクリームの
紙やらもろもろのゴミが、無秩序な風に弄ばれるように飛び交っている。
そそくさとホテルに帰り、部屋に入った途端土砂降りの雨。
危機一髪であった。
10日間のウズベキスタンで唯一の雨降りだった。

by don-viajero | 2008-10-28 20:29 | Uzbekistan | Comments(0)
2008年 10月 24日

ウズベキスタン・Ⅲ

ブハラ9時発のバスは、お昼ごろ寄った大きな街で大半の乗客が降りる。
もちろん、私と後ろのほうで一緒に騒いでいた連中のほとんども
「ダ スヴィダーニャ(さようなら)!」と言って降りていく。

変化の乏しい車窓からの景色は退屈だ。
どの旅でもそうであるが、オンボロバスにガタガタ舗装は、
ちょうどよい揺りかごのようだ。静かになった車内ですっかり寝込んでしまう。
途中、トイレ休憩が数回、食事タイムのないまま3時ごろには、
サマルカンド中心街に到着。

旧市街にあるホテルまでは白タクを値切って10分ほどで着く。
外観はすばらしい12階建て高級ホテルと見間違うほどであるが、
中身はボロホテル。指定された11階の部屋も広いだけでパっとしない。
トイレのフロートは壊れ、水は夜7時にならないと出ない。
しかし、ベランダからの眺めは最高だ!
レギスタン広場は目の前に見え、横にはグル・エミルがすぐそこにある。
遥か向こうにはアフラシャブの丘が望める。ロケーションだけは抜群だ。

空腹を満たすためにホテル周辺のチャイハナに行ってみたのだが、
時間的にどこも『Closed』の看板が下がっている。
そこへ一人の青年が寄ってきて、
「どうしたんだ?」というようなことを言った。
私がボディランゲジで腹がへったことを伝えると、
「俺についてこい!」という仕草でスタスタ歩き出した。
-どこか開いているチャイハナまで連れて行ってくれるのかな?-
そう勝手に解釈し、このショコラ青年(24歳)について行った。

日干しレンガの塀にある、大きな粗末な木製ドアを開けると、
手入れの行き届いたこじんまりした中庭。
そこから招き入れられた部屋は小奇麗なしっかりしたキッチン。
彼は炒め直した、おいしいブロフ(干しブドウの入った羊肉ピラフ)を
馳走してくれた。食後には『ネッスル』のインスタントコーヒー。
お礼にお金を差し出したのだが、受け取ろうとはしない。
白い小型犬を抱いた彼の写真を撮り、住所を聞く。
十分なお礼を述べ、別れる。

はたして、われわれ日本人はどうであろうか?
街でこのような場面に出くわしたとき、言葉も解らぬ異邦人を
ここまでして、家に招き入れることができるだろうか?

この街に着いて、早速のもてなしにすっかり気分を良くした私は
足取りも軽く、ルンルンでホテルへと戻った。
1階にあるバーを覗くと冷えたビールがあったので、部屋で飲むことを
伝え、買い求めるとバーテンダーが、
「これも飲んでいけ!」とおまけでウォッカのシングルをカウンターに
差し出してくれた。グイっと飲み干し、
「スパスィーパ(ありがとう)!」

-すばらしい青年のいる街。
 なにか、もっと素敵な出来事があるかもしれない!この『青の都』で!-

そんな期待を膨らませてサマルカンドの夜を迎えた。


*レギスタン広場‥レギは砂、スタンは広場。3つのメドレセ(神学校)に
         囲まれた美しい広場。

by don-viajero | 2008-10-24 21:12 | Uzbekistan | Comments(0)
2008年 10月 21日

ウズベキスタン・Ⅱ

タシケントに着いた翌日には、
国内線RT85双発機(現在はRJ85・80人乗り)で
シルクロードの香りが詰まった、オアシスの古都・ブハラへ向かった。

ホテルには2時ごろチェック・インできたので、荷を置き、街を散策。
チャイハナで食べるシャシリク(シシカバブ)は一本、日本円で15円。
肉は大きく、かかっている香辛料がなんともいえず香ばしくおいしい。
ちょっとした無舗装の路地に入ると、人懐っこい子供たちが
「フォト、フォト」と言い寄ってくる。
彼らとともに写真(まだデジカメではない)を撮り終えると
「アドレス、アドレス」とせがむ。
メモ帳を渡し、住所を書いてもらう。
ロシア文字かウズベク文字か、定かではないが私には読めない。
身振り手振りでその写真を送ってやる約束をする。
いたるところでこんな場面に出くわす。
こんなにも子供たちを撮ったのは、その後訪れたイエメンまで
なかったことである。
女子大生までもが覚えたてのような英語で話しかけてくる。

ブハラからサマルカンドまでのオンボロバス(6時間・約250円)で
異邦人は私一人。皆、奇異な視線を投げかけてくる。
バザールへ持っていくという、野菜の入ったでかいズタ袋を
運び込もうとしている客を手伝ってやる。
その彼が私のそばに座ると、矢継ぎ早に話しかけてくることで
周りがすっかり和み、他の連中も加わり大賑わい。
少しばかり英語の話せる青年が、
「なにか日本の歌を歌ってくれ!」と言うので、『異邦人』を独唱。
最後尾座席にいた私に、乗客たちは後ろを振り向いて、
ジーっと聞き入っている。
荒涼とした乾燥地帯を走るバスのなかに私の歌声だけが響く。
-ハズカシイ!-
歌い終えるとなんと拍手喝采!アンコールに答えて
『カチューシャ』を歌い始めると車中は大合唱となる!
すばらしい瞬間だ。これぞ旅の醍醐味である。

そして、サマルカンドでは感動の家族と青年との出合が待っていた。

by don-viajero | 2008-10-21 07:16 | Uzbekistan | Comments(0)
2008年 10月 11日

ウズベキスタン・Ⅰ

1998年3月21日。
真っ青な空の下、吐く息だけが白く際立つ早朝、
ホテルのすぐそばにある『グル・エミル』の廟に立っていた。
一代でその帝国を築いたチムール大帝が眠る墓だ。

人影の疎らな旧市街を抜け『アフラシャブの丘』へ足を延ばした。
見渡す限り茫漠たる丘である。起伏の激しい原野には、
枯れた背の低いラクダ草があたり一面覆っている。
その昔、ここで人々が生活していたとは想像し難い、
生命感のかけらもない岩のころがる丘である。

チンギス汗が来襲するまで、街はここに栄え、
この土中には華やいだ跡が秘められている。
遠くアフガンのヘラートとともに生きしものすべてを
焼き尽くされた街の跡。シルクロードの栄枯盛衰。

干からびたレンガの家々が墨を流したように色を
失っているのとは対照的に、朝日を浴び、
そこここに点在する突き出たブルーのドームだけが
濃い群青色に輝いて浮かび上がる。
新しくできた『青の都・サマルカンド』だ。
「チンギス汗は破壊し、チムールは建設した」という言葉の意味が、
脳みそを駆け巡り、身体中に伝わってくる。

チムールが現在の位置に街を造り、ここを起点として
中央アジアはおろか、北インドからイラン・小アジアに及ぶ
世界帝国を造り上げた、いわばそのときの世界の中心だったのだ。

1998年・冬季長野オリンピックの興奮も冷め止まぬなか、
3月17日、ウズベキスタンに向けて旅立った。
ただし、この旅は完全な自由旅行とはいかなかった。
旧ソ連のしきたりを引きずった『バウチャー』という形式である。
そのため、予め自分で作った行程表を旅行会社に提出し、
ホテルも指定されたところ以外は宿泊することができない。
行程表の中身はさしずめ『一人用パック』といったところか?
それでも、十分にこの旅を楽しめたのは、遊牧民の血を
脈々と受け継いだ人々の温かさに触れることができた
ことであったかもしれない。

by don-viajero | 2008-10-11 18:01 | Uzbekistan | Comments(2)