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2017年 03月 28日

Pisaqの日曜市

マチュピチュからクスコに戻った私は、当日組まれていた
近郊のサクサイワマンへとツアーバスで向かう。
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『クスコ市街を見下ろすサクサイワマン』

翌日曜“聖なる谷めぐり”と銘打った日帰りバスツアーに参加。
(ガイド付き$7・昼食なし)

ピサックの日曜市➡オリャンタイタンボの遺跡群と民家訪問
➡チンチェーロの日曜市。
『ピサックの日曜市』ブルーシートの一画で開かれている。
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by don-viajero | 2017-03-28 18:49 | Peru/Bolivia | Comments(0)
2017年 03月 24日

MACHU PICCHU Ⅳ

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『聖職者の居住区』
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『技術者の居住区(右下)』
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『貴族の居住区』
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『インカ道』
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『ウルバンバ川とプエンテ・ルイナス駅』
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『リャマとワイナピチュ』

by don-viajero | 2017-03-24 19:56 | Peru/Bolivia | Comments(0)
2017年 03月 22日

MACHU PICCHU Ⅲ

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『地球の歩き方・’94~’95版より』
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『聖職者の水汲み場』
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『通路』
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『生贄の台』 
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『インティワタナ(日時計)』
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『段々畑』

by don-viajero | 2017-03-22 18:44 | Peru/Bolivia | Comments(0)
2017年 03月 21日

MACHU PICCHU Ⅱ

マチュピチュの標高は2,280ⅿ。クスコより約1,000ⅿ以上
低いこともあって空気も暖かく感じられ、足取りも軽い。
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『ハイラム・ビンガム道』
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『ワイナ・ピチュ(若い峰)』

by don-viajero | 2017-03-21 19:40 | Peru/Bolivia | Comments(0)
2017年 03月 19日

MACHU PICCYU Ⅰ

クスコでの半日、翌日のマチュピチュ行の高まる気持ちを
抑えるように、高度順化を兼ね、街中を頭フラフラ状態で
ぶらつき廻る‥‥。
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『クスコ市街』
クスコのサン・ペデロ駅朝6時発のアウトバゴン(ツーリスト用全席
指定列車)は、スイッチバックを繰り返しながら市街を、一望できる
クスコ峠(3700m)へと登り、それ以降はアンデスの牧歌的高原を抜け、
狭いウルバンバ渓谷沿いをひた走り、3時間ほどでマチュピチュ下の
プエンテ・ルイナス駅(2000m)に到着する。
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『雪を頂く東アンデス山脈(コルディエラ・デ・カラバヤ)』
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『ウルバンバ川』

by don-viajero | 2017-03-19 16:21 | Peru/Bolivia | Comments(0)
2017年 03月 16日

南米/PERU・CUSCOⅠ

オンボロ機で一気にクスコへと向かう。(クスコ滞在・’96/1/11~15)
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クスコ空港(標高3500ⅿ)』
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『アルマス広場に面して建つカテドラル』
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『ラ・コンパーニャ・ヘスス教会』
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“12角の石”で有名なアトゥン・ルミヨク通り』
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『土産物屋通り』

by don-viajero | 2017-03-16 19:46 | Peru/Bolivia | Comments(0)
2007年 07月 30日

旅 -南米Ⅴ(ラ・パス)-

7時半、予約してあったラ・パス行きのバスがホテル前に着く。
30分ほど市内にある、あちこちのホテルで客を乗せる。
20人乗りのワゴンタイプはほぼ満員。
ほとんどが旅行者だ。勿論、日本人は私一人。
ティティカカ湖沿いに舗装された快適な道をひた走る。
朝方曇っていた空は、いつの間にかすっかり
アルティプラーノの蒼で被いつくされる。昼少し前、国境に着く。

以前、アジアを旅した時にも感じたのだが、
陸路での国境越えはなかなかエキサイティングな場面である。

ペルー出国、ボリビア入国は意外にあっさりしたものだった。
バスを降り、出国手続き。5分ほど歩いてボリビア入国。
この5分間の緩衝地帯が、えも言われず血が騒ぐのだ。
一人の旅人として‥‥。

ボリビアの国境の街、コパカバーナで一時間あまりの
昼食タイム。ここでボリビア側のバスに乗り換える。

ラ・パスに近づくにつれ、天候が怪しくなってくる。
荒涼とした平原の遥か遠くには、その頂きを雲に隠した、
イリャンプ山(6485m)の雪の裾野が見える。
我々を乗せたバスは、雨に煙るすり鉢状のラ・パスの街へ
グルグルと降りて行く。灯りが燈り始めた終点の下町には
5時半ごろ到着。近くにあったホテルに宿泊を決める。

その夜はホテルのレストランでペーニャの演奏を
聞きながらの食事。翌日は夜の市内へ繰り出し、地下にある
ビアーホールで破格な4B*1)のビールを飲む。
回りは薄汚れたボリビアーノばかり。
酔っ払いどもが当時流行っていた『パチャ』に耳を傾けながら、
口角泡を飛ばしている。

ラ・パスは標高3800m、世界最高所の首都である。
すり鉢の底に立ち並ぶ高層ビルを囲むように
上へ上へと街が広がっている。
コロニアル建築の家々。そしてその上の方には、
アドベ(日干しレンガ)でできたマッチ箱のような家々が
へばりついている。上層部へ行くほど貧しい人々の家なのだ。
当然、市内での歩行は何回も坂道を上ったり下ったりの
繰り返しですぐに息が切れてしまう。
ビル群の街角には、不釣合いな、三つ編みの髪を山高帽から垂らした
民族衣装のインディヘナたちが行き交う。

見上げれば、雪を被ったイリマニ(6462m)の霊峰と、
アルティプラーノの蒼い空が広がっていた。
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*1)‥1B≒20円

by don-viajero | 2007-07-30 20:17 | Peru/Bolivia | Comments(0)
2007年 07月 28日

旅 -南米Ⅳ(ティティカカ湖)-

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この湖はインカ帝国の始祖
マンコ・カバックが
降臨した地といわれ、
インディオたちから
神の湖と崇められてきた。
標高3812mの高所にあり、
琵琶湖の12倍もの広さだ。
ここに自生するトトラ(葦)を
束ねて積み重ねたウロス島を訪ねる。
クスコから湖畔の街プーノまでは長閑な列車の旅だ。

アントニオ氏に駅まで送ってもらい、クスコでの助けに感謝し別れる。
私より3歳年下という、彼の色黒で深い皺が刻まれた顔は、
とてもそうは思えないように年老いて見えた。

列車は8時に出発し、終点プーノ到着は約12時間後。
両都市間の距離は東京と岐阜ほどだから、この旅が
どんなにのんびりしたものか、容易に想像できるだろう。
標高3000m~4000mの高原を走る列車からは、
アンデスの山並みや、アルパカ、リャマの群れが
右に左に望める。昼過ぎに通過したラ・ラヤ駅がこの路線の
最高点で標高4312m。見上げれば、群青色したアルティプラーノの
空が広がっている。ときおり、小さな駅舎が一つあるだけの駅に
到着するたびに、物売りのインディオが車窓を叩く。
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会い向き合いの二人がけソフトシートのツーリストクラスは、
隣りが若いコチャバンバの大学に在籍中のケティ(超美人)、
前にはポール、サンディの米国人老夫婦。
注文してあった昼食が運び込まれた時には、私が持参してきた
赤ワインで乾杯。3時ごろには、ポールおじさんがウィスキー、
ケティがコーラ、サンディおばさんがビスケットにハムを挟み、
我ながらブロークンな英会話を駆使し、ガタガタ揺れる車内4人、
ピクニック気分の旅を楽しんだのだった。

プーノの駅前に宿を取った私は、翌朝、時雨の中ウロス島への
桟橋へ行く。10人集まって一人5S。先に来ていたドイツ人の老人
3人組(女二人、男一人)と他の客が集まるのを30分ほど
待ったのだが、諦めて4人で40Sという交渉でボートを出してもらった。
湖の風に酔いしれること40分、島に上陸。
待ち構えていたのは小さな子供たち。
彼らの収入源であろう民芸品を売りつけるためだ。
なかには、六つ切りほどの粗末な画用紙に描いた絵を持った子もいる。
日本から持って来た、私の子供たちの使いかけ色マジックを
交換に、その絵をもらう。その時フッと思った。
-折り紙を持ってこればよかった-
以降の旅では、子供たちへの折り紙が必需品として、常にザックに
仕舞いこむこととなる。

大小40ほどが集まった浮き島に2500人ほどが生活するウロス島。
水道、電気、ガス、電話なんてものはない。一般家庭は勿論のこと
教会や学校までもがトトラでできている。腐って土のようになった
ところではジャガイモなどの野菜畑まであり、放たれた家畜たちは
なにかしらの餌を啄ばんでいる。

何百年以上もの間、彼らは彼ら独自の生活形態を守りながら、
何代にもわたって、この島で暮らしてきた。
多くの歴史がそうであったように、いつしかその島を捨て去る時が
来るかもしれない。
しかし、父であり、母であるティティカカ湖はいつまでも彼らの
魂のより所として、永遠に在り続ける事であろう。

by don-viajero | 2007-07-28 21:59 | Peru/Bolivia | Comments(0)
2007年 07月 24日

旅 -南米Ⅲ(マチュピチュ)-

いよいよマチュピチュだ!

荒々しい岩肌が迫るウルバンバの谷深く、
謎の空中都市が忽然と姿を現す。
そこはインカの夢のあと‥‥。

今から96年前の今日、1911年7月24日。
アンデス山中にインカの謎の都市ビルカバンバを探し求めていた
一人のアメリカ青年、ハイラム・ビンガムによって長い眠りから
覚めたマチュピチュ。
マチュピチュとはケチュア語で"老いた峰"を意味し、
後方に見える山は"若い峰"を意味するワイナピチュである。

アントニオ氏の車で駅まで送ってもらう。
そこで、今日のマチュピチュガイドのベト氏を紹介される。
ツーリスト専用二両ディーゼル列車(全席指定)。
この列車の乗客全員がベト氏の客だ。
定刻通り6時出発。列車は3回スイッチバックを繰り返し、
クスコの街が一望できる標高3800mのクスコ峠まで登る。
それからは、朝の光に輝く高原をひた走る。

峠を越えて10分ほどして『El Condor Pasa』が車内に流れる。
思わず涙がポロリ。なんと憎い演出をしてくれるではないか!
-オレは今インディオの国にいるんだ。そして目指すはマチュピチュ-
ウニャ・ラモスやアントニオ・パントーハが奏でるケーナの音色、
メルセデス・ソーサの哀愁を帯びたフォルクローレの歌声までもが
聞こえてきそうな‥‥そんな空間が漂う。

いつしか列車はウルバンバ川に削られた狭い谷あいを
その流れとともに下っていく。
時折、車窓からは万年雪を被ったアンデスの山々が飛び込んでくる。

9時10分、麓のプエンテ・ルイナス駅に到着。
順番に20人ほど乗れるミニバスに乗り込む。
九十九折のガードレールもない急坂、ハイラム・ビンガム道を
ウーウー唸りながら、それこそ、ハンドル操作を誤れば、
谷底まで転げ落ちていきそうな恐ろしい道を登っていく。
途中、崩落のため降ろされる。
ここからは徒歩で行く。
急な坂道を歩くこと20分。ツーリストホテルに着く。
目の前に現れる空中都市マチュピチュ。
昼食を予約しなかった私は、ガイドのベト氏に先に一人で
行動する旨を告げ、散策を始める。

すべてが興奮の連続だった。石積みの住居の物陰から、
「イマイミ・ヤンキー」(ケチュア語で「やぁ!」)
と声をかけられそうな、今でもそこかしこに生活の匂いがする。
かつて、この地に一万人にも及ぶインカの人々が生活していた
ことを想像してみて下さい。そこに自分がいるんですよ!
言葉なんかいらない!

生活のための水があり、作物を育てるための急な斜面に造られた、
段々畑。神殿があり、刻まれた石のインティワタナ(日時計)。
そして、神に捧げる為の生け贄の石台。

数多有る世界遺産でも常に訪れてみたい場所、一位に輝く、
正に白眉の中の白眉"マチュピチュ"

世界遺産に興味がある人には是非にと勧める遺跡である。

by don-viajero | 2007-07-24 20:53 | Peru/Bolivia | Comments(0)
2007年 07月 22日

旅 -南米Ⅱ(クスコ)-

海抜0mのリマ・ホルヘチャベス空港から一時間余りのフライトで、
一気に標高3500mのクスコに降り立つ。
このくらいはヘッチャらと自信過剰の元山家の私ではあったのだが、
タラップを降り、歩き始めて数分も経たないうちに、突然胸がキューと
締め付けられる感覚に陥ってしまった。軽い高山病だろう。
どうにか喘ぎながらゲートを出るとアントニオ氏が
待ち構えていた‥‥。

リマの国内線搭乗口でクスコのホテル勧誘が二件あった。
そのうちの一つは候補として挙げていた宿だったので、
詳細を聞いた。
「シングルでトイレ、ホットシャワー、朝食込で$25です」
と小太りのインディオおばちゃんがパンフを見せながら説明してくれた。
「気に入ったら四泊するから一泊$20にしてくれないか?」
少しばかり渋ったが了解してくれた。
「空港にはホテルからアントニオという男が迎えに来ます」
と告げ、次の客を捕まえに行った。

10分前に離陸したアメリカーナ社の最新型機クスコ行は満員。
日本でこれを予約したのだが、すでに満杯だったので他機にした。
フォーセット社B737の旧型オンボロ機はたった一人の日本人を含め、
30人にも満たない乗客を乗せてクスコへと飛び立った。
-どうかアンデス山中なんぞに落っこちませんように‥‥-
と祈らずにはいられないような代物だったのだ。

少しばかり日本語を話すアントニオ氏のボロ車でホテルに
着いた途端、早速、彼からツァーの誘いである。
差し出されたマテ・デ・コカ*1)を飲みながら、
「クスコ近郊半日、マチュピチュ日帰り往復(昼食なし)、
ピサック・オリャタインタンボ一日ツァー(昼食付)、合わせて
$130ですが、どうですか?」
「まずは部屋を見せてくれ!気に入ったらこのホテルに決めるし、
シャワーを浴びて一休みしたい」
続けて、
「ツァーの話はそれからだ。二時間後にこのロビーで話そう」
矢継ぎ早に話しを進めようとする彼を制止して、
従業員の少女から部屋を案内される。

部屋の窓からは中庭でサッカーに興じる少年たちの歓声が
心地良く響いてくる。この宿、この部屋を決める。
手続きを済ませ、シャワーを浴び、ベッドに横になり
一時間ほど微睡む。

その後、街へ出て、アントニオ氏が提示した代金が妥当であるか
調べる。というよりは向こうから勧誘に来るのだ。
大方の言い値は$150前後。どう値切っても$130止まりであった。
約束の時間にロビーで待っていたアントニオ氏も言い値の$130から、
びた一文まけてはくれなかった。
明日はマチュピチュ、翌日の午後クスコ近郊、そして日曜には
市が開かれるピサック。前金として$100を渡し、残りはチェックアウト時
支払うこととして、交渉成立。

インディオの人々に紛れ、歩道での商売を見学、広場を散策。
早めの夕食をとる。
明朝のマチュピチュ行きが早いので、9時にはベッドに
潜り込んでしまう。

*1)マテ・デ・コカ‥コカの葉を煎じたお茶。高山病に効くらしい
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by don-viajero | 2007-07-22 13:31 | Peru/Bolivia | Comments(0)