陽気なイエスタデイ

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カテゴリ:◆旅/全般◆( 53 )


2009年 12月 31日

「ありがとう」

英語で「サンキュー」、スペイン語は「グラシアス」、
フランス語「メルシー」、韓国語「カムサハムニダ」、
中国語「シィェシィェ」、アラビア語「シュクラヌ」、
ロシア語「スパスィーパ」、ベトナム語「カムオン」、
タイ語「コープクン」、ポルトガル語「オブリガード」‥‥。

外国へ行って何度も口にした「ありがとう」。
でも、今、国内でこの言葉を素直に言う人が少なくなって
きたのではないだろうか?
人の好意を当たり前のように思い、感謝する気持ちが
失せているのだろうか?

イエメンの首都・サヌア近郊にあるワディ・ダハール。
この街を見下ろす岩山の上で、毎週金曜日に催される
「ジャンビーアダンス」を見に行った。
ジャンビーアとは、イエメン男子が一人前の男の証しとして、
持ち歩いている半月刀のことだ。
これを振りかざして、太鼓の音に合わせて踊る。
丘の上では複数の輪ができる。
見物人のおっちゃんからジャンビーアを借り受け、
飛び入り参加した私は、取り囲む者たちからの指笛を背に、
見よう見まねで踊り続けた。
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陽も傾き、三々五々輪が解け出し、帰り支度に入る。
私は一人、トボトボ2キロ先にあるバスターミナルに向かって
歩いていた。背後からけたたましく鳴らされるクラクション。
振り向けば、ランドクルーザーに鈴なりにしがみ付く男たち。
運転手はあのおっちゃんだった。みんなに招かれる。
わずかに空いた隙間に手をかけ、お礼を繰り返す。
「シュクラヌ」「シュクラヌ」‥‥。
「アンタの踊りは良かったぞ!」
口々に投げかけられる言葉は、そんなふうに耳を捉えた。
「イエメン!シュクラヌ!」「イエメニィ!シュクラヌ!」
砂埃を含んだ風は、爽やかに頬を撫で、心までも優しく包んでくれた。

万人に笑みをもたらす「ありがとう」。
言ってうれしい。言われてうれしい。
決して忘れてはならない言葉である。

万感交到り、今年度最後の一言「親父!ありがとう!」

by don-viajero | 2009-12-31 09:12 | ◆旅/全般◆ | Comments(2)
2009年 12月 06日

ロマン

「男のロマンは女のフマン(不満)」だそうだ。

ヨーロッパまでの往復航空券をゲット
可能なだけのマイレージが貯まったので、
来年あたり、その「男のロマン」を求めて、
ポルトガルへ行こうと思っている。

ユーラシア大陸の西の果て「ロカ岬」。
ポルトガルの詩人、ルイス・デ・カモインスの
叙事詩『ウズ・ルジアタズ』の一節。
「Onde a terra se acaba e o mar começa」
「ここに地果て、海始まる」

眼前に広がる大西洋からの風をうけて岬の突端に立つ。
-そんな岬に行ってどうするんだ?-
と思われるかもしれないが、
それが「男のロマン」なのだ。理屈なんかいらない。

そして、もう一つの楽しみは生の「ファド」を
聴いてみることだ。
イタリアにカンツォーネ、フランスにシャンソンが
あるように、ポルトガルにはファドがある。

今年、亡くなってしまったが、若いころよく聴いた
フォルクローレのメルセデス・ソーサ。
その彼女の歌声に優るとも劣らないアマリア・ロドリゲス。
そんな彼女が歌い繋いできたファドを、
場末の酒場でしっとりと聴いてみたい。

それは若いころ、日本の演歌に馴染まなかった耳が、
そのころとは違った感覚で、ファドを聴き入れるのでは
ないだろうか‥‥。秘かなロマンでもある。

by don-viajero | 2009-12-06 07:54 | ◆旅/全般◆ | Comments(0)
2009年 09月 12日

小さな旅

学生生活最後の夏休み。
9月のカレンダーもあと数日で10月に替わろうとしていた。

そんな穏やかなある日。
暖かな陽射しに唆(そそのか)されるように、
ある目的を持って、伊那にいる山仲間のS氏のもとへ、
24段変速のサイクリング自転車に跨って出かけた。

「オレ、明日、このまま東京へ行こうと思うんだ!」
「まさか、自転車でか?お前にできるわけがない!
 無理、無理、絶対無理だよ!
 もし、明日、夜中までに東京に着くようだったら、
 俺はお前に尊敬の念を払うよ!酒も奢ってやる!」
すでに、ロードレース用の自転車に凝り始めていたS氏に、
軽くいなされてしまった。その夜、二人で伊那の街を飲み歩き、
彼のアパートに舞い戻ったのは夜中の1時を回っていた。

翌朝、5時半起床。
隣でぐっすり寝込んでいるS氏に気付かれぬよう、
そ~っと部屋を出る。
酔いの残っている身体にムチを打ち、いざ出発!
一旦、辰野まで引き返し、朝靄の有賀峠を越えると、
霧の晴れた眼下には諏訪の‘海’。国道20号線に合流。
標識には『東京198km』。あまりの天文学的数字に唖然とする。

中間点の甲府には11時半着。-よし!行けるぞ!-
15分ほど休息を兼ねて昼食。それ以外はひたすらこぎ続ける。
大月までの坂道、向かい風に不平を吐きながら、
-ナンダ坂、コンナ坂-を唱え、何度となく自転車から降り、
押して歩く。そんなとき、辺り一面に広がるブドウ畑から
見知らぬおばちゃんの声。
「ホレ!取れたてのブドウ持っていきな!」
うれしかったね!勇気百倍-ファイト~ イッパ~ツ!-

狭くて真っ暗で、その上排気ガスで充満している
笹子トンネル内を、ひっきりなしに行き交うトラック便に
肝を冷やし、「ワーワー」叫びながら抜ける。

最後の登りは小仏峠。
沈みゆく秋の優しい陽射しが背中を押してくれた。
峠から見える、夜の帳(とばり)に包まれ始めた八王子。
灯りが点(とも)りだした静寂な街全体が耳をそば立てているようだ。
その街目掛けて雄叫びをあげた。
「やった~!やったぞ~!オレはやったぞ~!」
一気にスピードをつけ、転がるように下って行った。

by don-viajero | 2009-09-12 19:50 | ◆旅/全般◆ | Comments(2)
2009年 08月 02日

褌(ふんどし)

伝統的な男性用下着『褌』が、静かなブームに
なっているらしい。しかも、女性たちにである。
女優の高樹沙耶さんが愛用していることが、
テレビや雑誌で紹介されたことがきっかけとなり、
女性の愛用者も増え、装着時の開放感が
人気の秘訣となったようだ。

若いころ、ギリシャからインドまでの一人旅。
出発前、母に越中褌を二枚作ってもらった。
それは、ギリシャ以外の国がトルコ式トイレで、
トイレットペーパーも高価なうえ、手に入り難い
地域だったからだ。

トルコ式は日本のような金隠しはないものの、
和式トイレと同様、またいでしゃがみこむ式だ。
用を足した後の肛門の洗浄には、トイレに備え付けの
取っ手付きの小型コップ容器に入れた水と左手を
用いるため、トイレットペーパーの設置がない。
最後に便器内の排泄物を洗い流す。
究極のエコであり、手動ウォシュレットといったところだ。
また、トイレ内には肛門や便器の洗浄に用いる水を
供給するために専用の蛇口があり、水ためのバケツもある。

それゆえ、肛門を洗う左手は不浄とされ、
食物を掴むときや握手をするときには決して使わない。
肛門を洗った後、濡れたお尻と『不浄の左手』を拭くのに、
この『褌』が大いに役立った。

インド・ゴアでのヌーディストビーチでも、
日本男児よろしく、裸に『褌』一丁で闊歩したものである。

浴衣を着る機会も増えてきた夏、
別に、人に見せるものではないが、昔味わった
開放感を求め、『褌』でもしてみようか‥‥。

by don-viajero | 2009-08-02 06:53 | ◆旅/全般◆ | Comments(0)
2009年 07月 10日

韓国・後日談

翌年の正月、いまでも毎年新年会をやっている仲間に、
あまりにも良い印象の残った韓国の話をした。

「なぁ!みんなでソウルへ行かないか?
 南大門市場の飯屋街には旨そうなものが
 いっぱいあるんだ!
 一人じゃぁ、注文したって高が知れてる。
 何人かで行けば、それだけいろいろな物を
 食べることができるじゃないか!
 手配は俺に任せろ!
 安いフライトチケットやホテルを探すから‥‥。
 よし!本場カルビーは俺が奢る!」

酒の勢いも手伝って、ソウル行きの話しは
トントン拍子に決まった。
お互い都合の良い日を見つけて一緒に行こう、ということになり、
その一ヵ月後、二泊三日総勢8名で出かけた。

もちろん、私はあの雑貨屋のおばあちゃんと崔教授に
渡す土産物を携えて‥‥。

おばあちゃんは私のことを覚えていてくれたのだが、
生憎、崔教授には直接逢うことはできなかったものの、
事務所の人に連絡してもらい、電話で話すことができた。

個人や家族以外で、しかも仲間と行った初めての海外旅行は、
私の『陽気なイエスタデイ』のなかでも、
とりわけ印象深いものになったことは言うまでもない。
 

by don-viajero | 2009-07-10 20:27 | ◆旅/全般◆ | Comments(0)
2009年 07月 08日

韓国

ウズベキスタンへは、初めて名古屋国際空港を
利用したのだが、帰国便がフライトスケジュールの関係で、
ソウルに一泊しなけらばならない羽目になった。
それまで、一度も訪れたいと思っていなかった国、韓国だ。

アシアナ航空タシケント発ソウル行きは12:30金浦空港着。
乗り継ぎ便で成田へ向かう東大生、古川さんと別れ、
私は空港バスで市内へと向かった。
大河、漢江にさしかかるころ、前方にはオリンピックを経て、
高度成長を遂げたソウルの高層ビル群やランドマークタワー、
ソウルタワーがくっきりと浮かび上がる。
車は広い通りを疾走し、クラクッションの音が絶え間なく
響いてくる。忙しげに歩く人々の足取りもエネルギッシュだ。
ソウル中心街までは一時間弱。
料金はたったの1000ウォン=80円。

ロッテホテルを横目で眺めながら、繁華街、明洞(ミョンドン)にある
安ホテルを探す。
若者たちで溢れかえる雑踏のなかを、露店の売り子たちの声が
飛び交い、混沌としたなかにあって、こちらまで元気に
なってくるような熱気がムンムン伝わってくる。
何軒目かにあたったサボイホテルにその日の宿を決める。
一休みして、知人に土産物として頼まれていた「ポッサムキムチ」を
求めに「一億兆(イロクジュ)」という店をガイドブック片手に
探しに出かけた。

小奇麗な通りに並び立つ瀟洒なビル群を過ぎ、
猥雑な界隈にあるその店には30分ほどで辿り着いた。
しかし、どこを見渡しても地図上に載っている、それらしき
看板も店も見当たらない。
近くの小さな雑貨屋で拙(つたな)い韓国語で尋ねてみると、
その店のおばあちゃんがたどたどしい日本語で応対してくれた。
そして、店の引越し先を知っているという隣のビルの事務所に
連れて行ってくれた。
彼女に案内され「国際文化開発研究所」と書かれた看板のドアを
叩くと、大柄でいかにも温厚そうな紳士が現れた。
しかも、彼に流暢な日本語で接しられ、こちらの方が
戸惑ってしまった。この人(崔さん)は西京大学の教授で東京大学に
留学の経験ありだと。
崔さんに案内され、来た道を少しばかり戻った場所にその店は
あった。わざわざ買いに来たことを告げると、店のおばちゃんも
たいそう喜んでくれた。
いままで抱いていた韓国のイメージが、一瞬に払拭された
想いである。崔教授に慇懃(いんぎん)にお礼を述べ、別れた。

夜は焼肉をホテル近くの店へ食べに出かける。
一人前では少ないと思い、二人前を頼む。
ウマイ!これが実にウマイ!!
ハサミで骨付きカルビーを切ってもらい、サラダ菜に包んで食す。
やはり、本場もんは違う!しかもお供はギンギンに冷えたビール!

翌朝は、8時発の空港へ無料で送ってくれるホテルのワゴン車に
間に合うよう、前日目星をつけておいた南大門市場の飯屋街へ。
何を注文したらいいのか、おいしいそうなものがズラリとあり、
迷ってしまう。久しぶりの白飯とチゲを注文。
テーブルの前には、おかずとしていろいろな種類のキムチが
小皿に並べられる。これもなかなかおいしい。それにしても量が
半端じゃない。しめて3000ウォン=240円は安い!

ウズベキスタン記の最後にはこう記してあった。
「もう一度来よう!近くて、優しくて、美味しいものが食べられる
 この国、韓国へ!」

by don-viajero | 2009-07-08 21:42 | ◆旅/全般◆ | Comments(0)
2009年 07月 05日

東京大学

ウズベキスタン・サマルカンド発タシケント行きの
長距離バス(6H/約400円)は、出発間際には
ほぼ満員になっていた。停車するたびに大きな荷を抱えて
乗り込んでくる人々で、首都タシケントに着くころには、
身動きできないぐらい混んでいた。
バスは終点・タシケント国際空港に到着。
いつものように最後尾に坐っていた私は最後に降りた。

下車してウロウロしている乗客のなかから、
一人の若い娘(こ)に声をかけられた。
瞬きをするたびに、風でも起こしそうな大きな目をした
チャーミングな女の子だった。
「日本人のかたですか?」
「そうですが‥‥。」久しぶりに交わした日本語だった。
そういえば、サマルカンドのレギスタン広場でチラッと
見かけた人だった。一人で歩いていた。
-ひょっとして、日本人かな?-そのときには、そう思った。

「ホテルはどこですか?」
「サヨハットホテルです。」
「それなら私と同じです。」
「じゃぁ、白タクでも捕まえて一緒に行こうか?」
「私、地下鉄の乗り方知っていますから地下鉄で行きましょう!」
タシケント市内の観光をバスか地下鉄かで迷っていた私には、
その乗り方を経験することは願ってもないことであった。
(一乗車・10/Cスム=約7円。どこで降りても同一料金)

車内ではいろいろなことを訊ねてみた。
「何故、女の子一人だけでのウズベキスタンなの?」
「この国に一緒に来てくれるような友だちがいなかったから‥。」
「学生さんかい?」
「卒業旅行で、外務省に内定しているの!」
彼女の大学がどこなのかは推して知るべしだったのだが、
「どこの大学?」愚問だった。返ってきたのは案の定、東京大学。
-現役東大生!しかもチャーミングな女子大生!!-
少しばかり奇妙な興奮を覚えたことを記憶している。
ホテルで休息をとったあと、近くのレストランで
夕食を共にした。そこで、帰国便が同じであることも分かった。

搭乗口近くにあるたった二つの小さな免税店は、
田舎の駄菓子屋のような粗末なガラスのショーケースに
申し訳程度の品物があるだけで、その狭い空間には、
場違いな壊れかけた、明らかに安物の椅子が並んでいる。
ソウルへ電器製品の買出しにでも行くだろう
厳(いか)つい男どもで埋まっている。
そんな椅子にもたれかけながらウトウトしていたときだ。
「Mさぁ~~~~ん!」
驚いて、周りのみんなが振り向くような大声は、
狭い待合室の汚れてくすんだ壁に響き渡った。

もう二度とあんな大きな声で自分の名を、
しかも、現役東大女学生から呼ばれることはないだろう‥‥。

by don-viajero | 2009-07-05 07:41 | ◆旅/全般◆ | Comments(2)
2009年 04月 14日

寝台列車

枕木の「ガタ~ン ゴト~ン ガタ~ン ゴト~ン」。
一定のリズムで、薄っぺらなベッドの枕を通して
聞こえてくる。まるで子守唄を聞かせるように‥‥。

初めて寝台列車に乗ったのは、
今から2年前、友人とベトナムへ行ったときだ。
ハノイの北西約240km、中国雲南省と接する
国境の町ラオカイへの往復で利用した。
上下二段づつある4人用コンパートメント。
片道約9時間の夜行列車だ。
帰りのハノイ行きでは、同室のフランス人青年と
フランス育ちのベトナム娘のアベックとで、
酒を酌み交わし、大いに盛り上がった。
次はダナンからホーチミンまでの約16時間の長旅だ。
昨年訪れたタイでもバンコク発チェンマイ行きで利用した。

若いころ乗った長距離国際列車の
ギリシャ・アテネからトルコ・イスタンブール、
トルコ・アンカラからイラン・テヘランはどちらも
コンパートメントではあったが4人用の長椅子だった。

アテネ発の列車は、同じユースに宿泊していた
日本人二人と予定が合い、私達三人。
そして一人の若いソマリア人の男だった。
夜中、ムンムンとする車内で、上半身裸になったソマリア人の、
ときおり、窓から飛び込んでくる僅かばかりの灯りに照らされ、
黒光りする肌には目を奪われるほど驚いたものだ。

最近、日本では夜行寝台列車が次々と廃止されてゆく。
残された上野発、札幌行きの『北斗星』には、
以前から一度は乗ってみたいと思っている。
しかし、如何せん料金が高い!
これでは速くて安い飛行機に、その座を奪われてしまうわけだ。
それでも、時間をゆっくり持てるようになったとき、
是非にでも乗ってみたいものだ。

暗闇のなかを疾風する車体を導く二本のレール。
それを支えている、あの枕木たちから伝わってくる
「ガタ~ン ゴト~ン」を寝物語で聞きながら‥‥。

by don-viajero | 2009-04-14 20:46 | ◆旅/全般◆ | Comments(2)
2009年 03月 08日

マイレージ

この特典を使って、二回無料航空券をGETして旅をした。

一回目は、米国シアトル・マイアミ経由で
グアテマラへ入り、グアテマラ各地。
陸路、国境を越えてホンジュラス・コパン遺跡まで
足を延ばした。

二回目は、やはり米国ダラス経由でメキシコシティから
メキシコ各地。

私のマイレージは南米へ行ったとき取得した。
アメリカン・エアーラインズの『アドバンテージ』
というものである。
しかも、クレジットカードで100円の買い物をすると、
1ポイント入るシステムになっている。
アメリカン・エアーラインズと同じ『ワン・ワールド』の
グループに入っているエアーラインなら、
どこでも適用される。日本では日本航空がそうである。

また、カードが使える店舗なら、金額の多少に拘らず、
たとえ100円の買い物でも使う。
大人数の宴会があれば会計者に頼み込んで、
私のカードで支払いをする。
云うならば「お他人さんの褌で相撲を取る」である。
これでも、地道な努力を積み重ねた結果である。

現在、カードには8万ポイント以上ある。
これは5万ポイントを使って中米へ。
7万ポイントでヨーロッパへと行ける数量である。

今年は好々爺(こうこうや)として、家族と一緒に
マレーシア・ペナンへ行った。
来年はユーラシア大陸の西の果てへ‥‥と思っている。
ポルトガル・ロカ岬で一人遥か大西洋を望んでいる姿を、
瞼の裏で重ね合わせている日々である。

by don-viajero | 2009-03-08 19:35 | ◆旅/全般◆ | Comments(2)
2009年 02月 15日

帽子・Ⅱ

私の帽子コレクションに新たに、今回家族で訪れた
ペナンで購入したものが一品加わった。
なんと「ルイ・ヴィトン」の帽子である。

しかしながら、私がそれを被ったところで友人らに、
はなから「ほんまもん」だとは思われるはずがない‥‥。
と言うのが同行した家族らからの意見でもある。
もっとも、その通りだという変な自信もないではないが‥‥。

バトゥ・フェリンギという場所で毎晩繰り広げられる、
「ナイト・マーケット」のバッタ物市場で、
売値1000円ほどのを値切って、たった500円で買った物である。
いわゆる「ブランド品」だ。ただし冠に「偽」がつく代物だ。
おそらく、今後お気に入りの一品として大いに
見せびらかすことであろうことは容易に想像できる。

もう、かれこれ10年前ぐらいに友人らと行った韓国・ソウルで
やはり、偽ブランド品を土産物用として買った。
露店で堂々と売っているものは、如何にもそれらしく
偽物っぽい安物ばかりだ。
ところが、交渉が進むにつれ、ちゃんとしたショップの
奥のほうに通されると、そこは本物と見間違えるような
品物がズラリと並んでいる。
私が「どうせ偽物なんだから安くしろ!」と言ってみたところで、
相手は「ほとんど本物そっくりだ!」の一点張り。
そのときは、かなりの粘りをして見せた結果、
それでも「プラダ」の保証書付のサイフを言い値より
安くたたいて買ってきた。

要は偽物であろうが、安物であろうが本人が納得して
身に着けるのであれば、そうそう目くじらたてる
必要はないように思えるのだが‥‥。

by don-viajero | 2009-02-15 20:35 | ◆旅/全般◆ | Comments(2)