陽気なイエスタデイ

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カテゴリ:◆旅/全般◆( 53 )


2008年 08月 17日

匂い

以前、私はよく夢を見るほうだと記した。
それでも、そのなかに「匂い」が漂うものは滅多にない。

ところが先日、久しぶりにその「匂い」が伴うものを見た。
どういうわけかぬか漬けの「匂い」だった。
夢の内容よりも遥かにはっきりと思い出すぐらい強烈だった。

旅に出て空港を降り立つと、
その国の「匂い」が必ずといって鼻を擽(くすぐ)る。

それがそれぞれどんな香りから発する「匂い」なのか
説明するのは難しい。
カサブランカは「イスラムの香り」。
クスコは「インカの香り」。
グアテマラ・フローレスは「マヤの香り」。
ウズベキスタン・ブハラは「シルクロードの蠱惑の香り」。
サナァは「乾いた砂漠の香り」‥‥。

旅人だけが手に入れられる非日常的な嗅覚。
それは初めて見る情景とともに飛び込んでくるもので、
拒絶できない感覚である。

そして今朝、空気が凜としていた。
それは季節が着実に秋に向かっている「匂い」だった。

われわれは今を生きる旅人なのだ。

by don-viajero | 2008-08-17 06:44 | ◆旅/全般◆ | Comments(0)
2008年 05月 27日

ヨーグルト

秘かに応援していたブルガリア出身・琴欧洲が、漸く
優勝した。久しぶりに彼のはにかんだ笑顔がはじけた
場所だった。

7年ぐらい前だろうか?
ある人からカスピ海ヨーグルトをもらった。これが
すっかり嵌(はま)った。私の身体に実に素直に
嵌ったのだ。それ以前、胃腸の調子があまり
よくなかったのだが、驚くほどよくなった。いまでも
種を絶やさず作り続けている。

このことがきっかけで、そのヨーグルトの故郷、
グルジアを含めコーカサスの国々を訪れて
みたくなった。しかし、長引くチェチェン紛争の最中、
渡航は無理と判断し、行き先をブルガリアにした。

5年前、スイス・チューリッヒを経由してソフィアに入った。
ヨーグルト料理を率先して食べた。どれも口に合う
美味しさだった。もっとも、よく冷えた中ジョッキの
生ビールが60円弱とくれば、どんな料理も旨いに
決まっている。

そして、1187年~1397年に第二次ブルガリア帝国の
首都として栄えた古都・ヴェルコタルノヴォを訪ねた。
いまでは、人口7万人弱のこの小さな街が、琴欧洲の
故郷である。

この街のスーパーで、手のひらに乗るぐらいの素焼きの
瓶(かめ)に入ったヨーグルト(ブルガリア語でキセロ・
ムリャコ)を見つけた。それをフィルムケースに入れ、
無事成田を素通りしたのだった。

その少ばかり酸っぱい種は、冷凍室奥深く眠っている。
また気が向いたときにでも“スネジャンカ”でも作ってみよう。
あのはにかんだ笑顔と、中世のヨーロッパのたたずまいを
残すタルノヴォの街を想い出しながら‥‥。

スネジャンカ‥刻んだキュウリやクルミをクリーム状の
        ヨーグルトであえたサラダ。
        ニンニクを少し利かしてある。
        名前は「白雪姫」の意。
          
       

by don-viajero | 2008-05-27 20:22 | ◆旅/全般◆ | Comments(0)
2007年 11月 13日

民族衣装

帽子ばかりでなく、その地で、その格好で通した
ものも、想い出の品である。

旧くは、インドの男性用民族衣装クルタ・パジャマ。
ネパールから再入国した際、すぐに購入した。
インドを一月かけて、果ては最南端
カニヤクマリ(ケープ・コモリン)まで
足を延ばすにあたり、必要なものだった。

長袖と長ズボンで暑そうに見えても、風通しもよく、
だぼだぼしているので体にくっつくこともなく、
非常に快適だった。
そのときのものは安物ではあったが、
それとは別に、ニューデリの高級店で気に入った生地を
選び、仕立ててもらったものもある。

モロッコではジュラバ。「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する
ねずみ男を想像してもらえばよい。
これを着てしゃがみ込めば砂漠のなかでも、
「どこでもトイレ」になる便利な服である。

ボリビアでは素敵な柄のポンチョ。
朝晩の冷え込みには大いに役立った。

イエメンは前出のムシュッダを頭に巻き、
トゥブという、頭からすっぽり被り体を足元まで覆う、
やはりだぼだぼの白い薄手の服。
日中の暑い日差しの下では、裾から吹く風が
股下を擽り気持ちがよい。
そしてベトナムでのホーチミン服となる。
これらも友人らとの酒宴の席で、ときどき着込むのである。

もちろん、我が民族の衣装も好きだ。
夏には浴衣。正月には着物を好んでオシャレする
粋な日本人?でもある。

by don-viajero | 2007-11-13 21:14 | ◆旅/全般◆ | Comments(0)
2007年 11月 08日

帽子

別に頭を隠すわけでもないが、被り物が好きだ。
髪の毛は五十を過ぎた今でも、同年代の連中に
疎まれるぐらいフサフサ、クログロの状態だ。

過去を振り帰れば学生帽(中学時代から)を被って以来、
帽子には縁がある。
高校を出てからはパーマ頭に、暑いときには“乞食帽”、
寒い時期になればハンティング帽をよく被ったものだ。

トルコ・イスタンブールのグランドバザールで購入した、
ビリー・ザ・キッド気取りで街をぶらついた尻尾の付いた
狸?の毛皮帽。
ネパールでは『トピ』と呼ばれるもの。
モロッコはジャマ・エル・フナ広場の露天で二日がかりで、
150円のものを100円までまけさせた色鮮やかなニットの
プリンストンキャップ。
ボリビアはインディオ女性が被る山高帽の男物。
ウズベキスタンはあのエリツィンさんが寒くなると
被っていた毛皮帽子(私のはビーバーの一種)。
ちょっとした冬の“お出かけ”にはよくお供する。
ヒョイと「ズドラーストヴェチェ(こんにちは)」と口すさんでしまう。
グアテマラはトウモロコシの葉をコテコテに蝋で固めたテンガロンハット。
メキシコではさすがにソンブレロというわけにもいかず、パナマ帽。
そして、今年訪れたベトナムのノンラー(すげ笠)である。
帽子ではないが、イエメンではムシュッダという大きな
スカーフを器用に頭に巻く。気分は“アラファト議長”だ。

それらは必ず、その旅のなかで着用している。
特に日差しの強い地域では必需品だ。
日本でも時々被る。
スペイン語圏のものであれば、
「ブエノス・タルデス(こんにちは)」が飛び出す。

今後、いったい幾つの帽子が、
私の部屋の壁を飾ることになるだろう‥‥。

by don-viajero | 2007-11-08 20:44 | ◆旅/全般◆ | Comments(2)
2007年 09月 18日

異邦人

♪子供たちが 空に向かい 両手をひろげ
 鳥や雲や 夢までも つかもうとしている
 その姿は昨日までの 何も知らない私
 あなたに この指が届くと 信じていた
 空と大地が ふれあう彼方 過去からの旅人を呼んでる道
 あなたにとって私 ただの通りすがり
 ちょっと振り向いて みただけの異邦人

 市場いく 人の波に 身体を預け
 石だたみの 街角を ゆらゆらと彷徨う
 祈りの声 ひづめの音 歌うようなざわめき
 私を 置き去りに 過ぎてゆく 白い朝
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これを初めて耳にしたとき、私の脳裏に浮かんだのは、
今では、容易に行くこともできないアフガニスタンだった。

当時アメリカナイズされ、道には車が溢れていたパーレビ王朝時代の
イランから国境を越えると、一昔も二昔もタイムトンネルで迷い込んで
しまったかのようなアフガン・ヘラートの街。
一泊200円の安宿の窓からは無舗装の道のど真中で話し込んでいる男達。
全身をチャドルで覆い隠し道ゆく女性達。鶏を捕まえようとキャーキャー
追いかけ回る子供達。ときどき通る馬車からチャリンチャリンと蹄の音と
ともに響く鈴の音。車はほとんど走っていない。稀に見かけてもそれは
時代物のオンボロ車。夢の世界にでもいるようであった。

かつてチンギス・ハーンにサマルカンド(ウズベキスタン)同様、草木と
雖(いえど)も生きしものすべてを焼き尽くされたヘラートに辿り着き、
漸く『旅』に出た目的が何であったか気付いた。
それは、『旅』をすることが目的だったのだ。
出来得るならばこの夢のような街に一週間でも二週間でも居たい。
そんな素朴で愉快な街であった。

特段の産業もない、こののんびりした農業国が旧ソ連の進行に始まり、
タリバンに制圧され、今またそのタリバンを追い出そうとしたアメリカの
『テロとの戦い』という錦の御旗の下、ズタズタにされている。
いまだに、アフガンでは血が流れ続ける‥‥。
一体、いつになったらこの国のキラキラと輝く子供達の眼差しを
見ることができるのだろうか‥‥。

by don-viajero | 2007-09-18 19:06 | ◆旅/全般◆ | Comments(0)
2007年 09月 14日

北の大地/Ⅲ

外は相変わらずの荒れ模様。もう一日叔父の家に厄介になる。
昨日の疲れもあり、我がままを云って遅くまで寝させてもらった。
ストーブのガンガン焚かれている部屋で、飼い猫の「五右衛門」
「バンド」2匹とじゃれ合う。

3時頃、吹雪も止み、重く垂れこめた雲間から僅かな光が差し始める。
やおら下駄を履き流氷の詰まった港まで歩いて行く。帰り際、
お茶を濁すほどのことではあったが、一つの目標を達成した。

翌朝、叔父叔母に見送られ、南稚内駅7:30発、旭川行の列車に
乗り込む。座席の前には、北国の厳しさに刻み込まれた深い皺をよせ、
まるで春を待ちわびる子供のように如才ない笑顔で語りかけてくる
おばあちゃん。旭川までずっと他愛のない話に興じた。別れ際、
やはり皺くちゃな手の平からみかんを二つ差し出された。

爽快な気分同様、カランカランと下駄の音を響かせながら、
12:24発釧路行に乗り換え、網走には夕刻4:50に到着した。

この地に住む叔父に数回電話をしたのだが留守であった。
仕方なく駅前のビジネスホテルに投宿。
近くにあった赤提灯の縄暖簾を潜り、壁に吊るされた品書きの
「チノム」*1)の冷を注文する。時間が早いせいか客は私一人。
薄汚れた割烹着を着込んだおばちゃんからは滔々とアイヌ談義を
聞かされる。

翌日はいささか肌を刺す冷たい風が吹いていたが、北の大地で
初めての快晴。午前中は流氷観光バスでサロマ湖へ。僅か10人
という少人数の観光巡りであった。

再び午後の列車で釧路へと向かう。車窓からは流氷ですっかり
蚕食されたオホーツクを左手に、反対側には周りを凌駕する
斜里岳が目前に高く聳え立っている。

釧路乗り換えで夕刻根室に着き、タクシーでS氏宅を訪ねる。
スキーに出かけた彼を待つこと30分。私の前に現れたS氏は
インドでより少しばかりふっくらしたように見えた。
二人で銭湯に行き、夜の街へ繰り出した。

アグラで同宿した日本人女性グループが馳走してくれ、二人で飲んだ
「日本の優しい酒」の味が二軒目の店で蘇った。S氏はすでにろれつも
回らぬほど酔いつぶれてしまい、想い出を語り合うには
余りにも短い時間が過ぎ去っていった‥‥。

*1)チノム‥アイヌ語で酒。他に「トノト」ともいう。

by don-viajero | 2007-09-14 18:43 | ◆旅/全般◆ | Comments(0)
2007年 09月 10日

北の大地/Ⅱ

そのころ北海道では父の従弟が四人、それぞれの地で暮らしていた。
一人は礼文島、一人は網走、そして残る二人は稚内。
さすがに冬の島まで渡ろうという気にはなれず、
北の果て、稚内まで行くことにした。
「奇貨(きか)居(お)くべし」といったところであろうか‥‥。

函館に着いた私は街を散策することなく、14:30発
「ニセコ2号」に飛び乗った。
吹雪はますます激しくなり、列車は長万部駅でストップ。
小樽経由は運行中止となり、札幌行きを希望する乗客全員が
苫小牧経由の「すずらん2号」に乗り換える。
札幌駅に着いたのはすでに夜8時を過ぎていた。

すべてにおいて北の中心である札幌の空気に触れるため改札を出る。
一時間ほどブラつき、再び駅に戻り稚内行21:20発に乗り込む。
翌日6:30、日本最北端の街、稚内に到着。
早速、一人の叔父に連絡をして迎えに来てもらった。

朝食を馳走になっている時である。叔父が
「もう一人のおじさんNが経営しているタラ加工工場の手伝いに行こう」
「はい、わかりました」
と言ってはみたものの内心は夜行で疲れた体を午前中ぐらい
休ませたかったのだが‥‥。
「Nも逢うのを楽しみに待っているぞ!それに今、一番忙しい時なんだ!
若者は貴重な戦力だ」
もはや、ここまで言われてしまえば行かざるをえない。

工場に着き、挨拶もそこそこにハイウェーダー*1)に着替えさせられ、
ベルトコンベァーの前に立つ。初めは面白かった。
どでかいタラの腹から『バクダン』という鱈子を引っ張り出す。
それを取り出した後はトビに引っ掛けコンベァーに載せる。
なかなかの力仕事であった。いくら楽しかったとはいえ、夜行で来た身、
疲れがドッと出る。全身潮に塗れ、山の匂いが消え、今度は海の匂いだ。
皮肉なものだ。

夕食は従業員みんなで加工したばかりのタラ料理。
疲れも手伝い、料理も酒も美味しく頂いた。
とりわけタラのエラの刺身は逸品であった。

立て付けのあまり良くない休憩室のガラス戸をガタガタ揺らす風。
外は猛吹雪。横殴りのブリザードが吹き荒れている。
まるで荒れ狂った冬山だ‥‥。北の地に住む人々の生活の厳しさを
少しでも味わえたような気がする‥‥。

*1)ハイウェーダー‥胸まであるゴム製の防水ズボン

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       足元注視!下駄履きで~す!

by don-viajero | 2007-09-10 20:24 | ◆旅/全般◆ | Comments(0)
2007年 09月 06日

北の大地/Ⅰ

♪上野発の夜行列車 降りたときから 青森駅は雪の中
 北へ帰る人の群れは 誰も無口で 海鳴りだけを聞いている
 私も一人 連絡線に乗り 凍えそうな鴎見つめ 
 泣いていました あぁ津軽海峡・冬景色♪

3月初旬、山岳同人「餓鬼」の合宿(白馬・杓子双子尾根
3月2日~7日)を終え、翌日東京へ戻る。
アパートはすでに引き払っていたので友人宅に泊めてもらう。
翌朝、その足で一人上野駅へと向かった。
学生最後の学割を使っての旅だ。

目的は二つ。
一つはこの時期北の大地に接岸する流氷に乗ること。
しかも、素足に下駄でだ。
もう一つは根室に在住のS氏との再会。
彼とはインド・ヴァラナシの宿で逢い、その4日後アグラで偶然同宿し、
インドの奇祭『ホーリー』*1)を共に体験した仲である。

夜行列車ではなく、暖かな3月の陽光に包まれた朝を迎えた
上野発9:30発「特急・はつかり」に乗車。青森には夕刻6:30に着く。
青森駅はそこかしこに堆く積み上げられた雪の塊の中にあった。
深深と冷え込んだ駅に迎えに来てくれた友人の家に行き、
一泊世話になる。

翌日、小雪の舞う中を歩いて青森駅まで向かう。
初めての街をゆっくり観察する為である。

青森発9:30。奇遇にもそのときの船長が私と同じ苗字の
青函連絡船「津軽丸」。
海峡はまさにこの歌の通りだった。横殴りの冷たい雪がガラス越しに
叩きつけ、一度も甲板に出ることもなく函館着1:40。
先日、就航したばかりの「ナッチャンRera号」。
片道たったの1時間45分あまりで渡ってしまえば、こうした情緒など
無縁なことになってしまうことであろう。

初めて踏みしめた北の大地は吹雪の歓迎をしてくれた。
重い鈍色(にびいろ)の空から寸断なく舞い落ちる乾いた冷たい雪が
素足の上で次から次へと溶けていく‥‥。

*1)ホーリー‥ヒンドゥ教の三大祭りの一つ。
       毎年3月(ヒンドゥ暦のファルグナ月)の満月の日に
       行われる。春の訪れを祝い、早朝から色水などを
       掛け合う水掛祭り。

by don-viajero | 2007-09-06 20:49 | ◆旅/全般◆ | Comments(0)
2007年 07月 17日

記憶・Ⅱ

このブログを書くようになって、昔認めたものを
久々に開くようになった。
読み返してみると、セピア色のものに彩りが加えられ、
-フーン-
と頷く場面も間々ある。
30数年も経った『アジアを歩く』に至っては、
-へぇ~、こんなこともあったんだぁ!-
てな具合である。
忘れていたことが色付く瞬間である。

しかし、こうしたものがあるからこそ、文字として
過去を振り返ることができるのだが、ないものは、
すべてが断片としてあやふやなものに終わってしまう。
こう考えると、ある意味、筆まめであった自分を
褒めてよいのであろう。
これらは、山行記録を単に記録だけでなく、
日記として記してきた所以であろう。

数年前、ある人にこの手書きの『アジアを歩く』を
ワープロで清書し直そうか相談したところ、
「その時々の感性が失われるからやめた方がいいよ」
と軽く諌められた。
-然もありなん!-
確かに、遠い過去の自分と今では物事の捉え方、
表現の仕方は随分と違ってくるであろう。

前述の通り、この旅のイエスタデイを記す時、
並行して、当時のガイドブックを片手に
書き写してみよう思っている。
何故なら、感性を忠実に追ってみたとき、
ヒョイと思わぬ記憶が引き出せるかもしれないから‥‥。

by don-viajero | 2007-07-17 19:27 | ◆旅/全般◆ | Comments(0)
2007年 07月 07日

旅 -アジアを歩く-

今でこそ、色々なガイドブックが簡単に手に入る時代であるが、
私が旅に出ようと思った時、それなるものはほとんどなかった。
深井聡男著『アジアを歩く』。これ一冊だけが、
この地域を旅する人々のバイブルといって過言ではなかった。
第二のインドブームを巻き起こした、
あの沢木耕太郎著『深夜特急』と同じく、
アジアからヨーロッパまでのバックパッカー用ガイドブックだ。

私はギリシャ・アテネから入り、トルコ、アメリカナイズされた
パーレビ王朝時代のイラン、平和だった頃のアフガニスタン、
パキスタン、混沌としたインド、ヒマラヤを抱えたネパール、
再びインド、パキスタンと周り、カラチから帰国した。

当時$1=240円。しかもフライトは南回り。
アテネに到着するまで、羽田⇒マニラ⇒バンコク⇒カラチ
⇒ダマスカス⇒アテネという気の遠くなるような
経由地を経ての行程であった。
今では、ワンフライトでヨーロッパ各都市へ行ける時代だ。
隔世の感がある。

この旅のイエスタデイは後日、少しずつ認めていくつもりである。

by don-viajero | 2007-07-07 08:37 | ◆旅/全般◆ | Comments(0)