陽気なイエスタデイ

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カテゴリ:山( 38 )


2015年 03月 23日

山岳写真・Ⅱ

無雪期の浮ついた岩稜登攀とは打って変わっての積雪期。しかも、
雪が絞まって安定した5月中旬から6月上旬の北穂東稜は、快適な
登行を約束してくれる。(1974年6月3日・単独行)
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北穂東稜ゴジラの背から望む。前日、Ⅴ・Ⅵのコルから登った前穂北尾根
(前穂⇒奥穂⇒涸沢テン場)
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                 横尾右俣側←東稜ゴジラの背→涸沢側 

by don-viajero | 2015-03-23 18:23 | | Comments(0)
2015年 03月 21日

山岳写真・Ⅰ

白黒、カラーを問わず長いこと日の目を見る事のない、何冊もの
ネガブックに収められているたくさんのネガ。のものも、家族の
ものも‥‥。デジカメを手にするまでのフィルムは、すべてネガと
して保存してある。

PC文化が年々進化を遂げ、大容量記憶媒体が安く手に入るように
なってきた。CD、SDカード、USB‥‥。

自己満足になるかもしれないが、自分史を振り返りながら、そんな
ネガをまとめてみるのも楽しいんじゃないか?十分に歳を重ねてきた
からなのか、そんな思いに駆られ始めている‥‥。

最近、欲しくなってきたものがある。そう、フィルムスキャナーだ。
数年前、知り合いから見せてもらったが、そのときにはそれほどの
関心を示さなかったのだが‥‥。
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槍ヶ岳北鎌尾根独標(1975年3月12日・山岳同人餓鬼3名で)

by don-viajero | 2015-03-21 13:41 | | Comments(0)
2015年 02月 14日

夏山縦走

遠い、遠い昔の話だ‥‥。
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≪蓮華温泉の手前にあった渡し場。まだあどけなさの残る一年生部員の
S君。向こう岸にいるのはA顧問・あだ名で「ヤギさん」≫

7月下旬、夏休みが始まってすぐの岳沢合宿も終り、三年生は引退。
数日を経て、我々二年五名と一年四名での夏山縦走。同行は顧問の
「ヤギさん」と「ワタサ」の二人。

当時、スキー場でもなく当然テレキャビンなんかない、北アルプス
三大急登の一つ、遠見尾根から入り、五竜岳、唐松岳、白馬三山、
雪倉岳、朝日岳と天候に恵まれての四泊五日の山行。

最後の夕食は、あちこちに雪の塊が残る飲料水豊富な朝日岳の天場。
そこは我々以外誰一人居ない、流れる水音だけが聴こえてくる静かな
場所だった。炊き上がったご飯に混ぜ合わせたキュウリの千切りと
サバの水煮缶。その単純な料理のなんと美味しかったことか!

そして、美味しかった山行は最後にも訪れた‥‥。
蓮華温泉からバスで大糸線平岩駅に到着。顧問の誘いでラーメンを
奢ってもらい、しかも我々がよほど羨ましげに眺めていたのであろうか、
ビールも飲ませてもらったのだった。
(未成年飲酒&未成年飲酒幇助はすでに時効だけどね!)

当時の北アルプス三大急登:
遠見尾根を含め、燕岳の合戦尾根と烏帽子岳へのブナ立尾根

by don-viajero | 2015-02-14 18:18 | | Comments(0)
2014年 07月 17日

体力測定

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高校時代、毎年梅雨明け前に日程や種目をずらして、各学年の
体力測定が行われた。

久しぶりにみんなが顔をあわせ、部室での弁当タイム。三年生に
なった我々は、一段高い床にあるテーブル席。二年生は同じ場所
だが低い長椅子。新人の一年生は入口鉄扉近くのボロベンチ。

部員どもは食べ盛りの腹を満たすのに大忙しだ。部長が切り出した。
「おい!みんな体力測定の結果はどうだった?」
「オレは相変わらず足が遅いから、100m走の記録は散々だったが、
 懸垂は38回だぜ!大したもんだろう!!!」
「そりゃ~すげぇ~わ!お前、岩登りに向いているんだな!」
「ロック大好きだからな!」

二年生のT君が、我々を見上げるような目で興奮気味に、
「先輩!そんなことより、こいつ、もっと凄いっすよ!」
隣りで黙々と飯を食らっているY君を肘で小突いた。
「すっげぇ記録でも出したか!?」
「違いますよ!こいつ、背筋力計壊しちまったんですよ!」
室伏なみのゴッツイ体つき、切れ長の目でいつもニコニコして
いるような顔の彼が、このときばかりはしたり顔で、
「やっぱり弁償しなきゃいけませんかねぇ!?もしそうなったら
 部長、山岳部の部費でお願いします‥‥!」
いまにも消え入ってしまいそうな小さな声で、ボソッ、ボソッと
口を動かしていたが、細い目は笑っていた‥‥。

鉄扉:当時、山岳部の部室は戦時中の旧銃火器庫だった 

by don-viajero | 2014-07-17 20:13 | | Comments(0)
2013年 05月 31日

校名

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ニホンミツバチ
どの時代でも、どこにでもパープーなお兄ちゃんや
お姉ちゃんがいるものだ‥‥。

在学した高校からメール便が届いた。
高校時代を過ごした校名は「松本県ヶ丘高校」。通称「県陵」。

高校山岳部を卒業しての浪人時代。
上高地B.Cで後輩(現役山岳部員)のテンキー(テントキーパー)と
二人だけで昼寝をしていたときだ。
キャーキャー話しながら歩いてきた若そうな女性二人が、
校名の記されている大テントの前で立ち止まり、
「ねぇ、ねぇ!松本県ってあったけ???」
「上高地って長野県じゃないかなぁ‥‥?
 でも私たち松本からやって来たんだから‥‥。
 松本県、ありかも!!!」
「でも、おっかしな高校の名前だよね!ヶ丘高校って!」
「キャハ、キャハ、www‥‥」

B.Cのなかの僕たちは、期せずして顔を見合わせ、右耳の横を
右手人差し指でグルグル輪を描き、手の平をパっと開いた‥‥。

by don-viajero | 2013-05-31 20:31 | | Comments(0)
2013年 05月 29日

アンナプルナ

1977年1月25日(火)カトマンドゥ/ホテル・ツクチェピーク。
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アンナプルナ内院
(ナショナルジオグラフィックから)

一泊10RE(当時250円)のドミトリー部屋で同宿の
日本人青年の話に夢中で耳を傾けていた‥‥。

はなからこの時季のトレッキングは諦めていた。ところが
彼は前日、アンナプルナ内院を一人でトレッキングして、
ポカラ経由でこのホテルに帰ってきたばかりだったのだ。
ジョムソンまで飛行機で飛び、そこからガイドを雇うから
シェラフだけ持っていけばよいとのこと。余裕をみて
10日ほどの行程だそうだ。

翌日、一週間に一度(火曜日)だけのジョムソン行きフライトを
予約し、その足でイミグレーション・オフィスへ行き、トレッキング・
パミッションを発行してもらった‥‥。
しかし、一週間後の火曜から天候が急に荒れ出してしまい、
結果ジョムソン行きはキャンセルになって、私は急ぎ足で
インドへと向かった‥‥。

ー諦めていたものを、再び諦めることは容易いことだったー

by don-viajero | 2013-05-29 20:04 | | Comments(0)
2013年 05月 28日

エヴェレスト

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今回の三浦氏の快挙には心から拍手をするものではあるが‥‥。

あと数日も経たないうちに送られてくる、ナショジオ6月号に
掲載されている記事だ。
80歳という高齢者はともかく、元気でお金がタンマリある人なら、
決して登れない「世界一」ではないようだ‥‥。
実(げ)にも恐ろしきは商業登山なり!

by don-viajero | 2013-05-28 20:16 | | Comments(0)
2011年 11月 03日

滝谷・第4尾根

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今から37年も前の今日、この尾根の2回目の登攀をやった。

同年8月4日。同人『餓鬼』の仲間、N氏と前穂東壁をやり終え、
上高地B.Cに戻り、その二日後の6日、合流したY氏と私で早朝B.Cを
出発し、涸沢経由でこの尾根に取り付いた。
天候は曇り。しかも最盛期ということもあり、1ピッチこなすごとに、
チンタラ登っている先行パーティーのおかげで、30分~1時間
待たされる始末。登攀完了時には雨も降り出し、すでに日もとっぷり
暮れた涸沢のテント場に戻ったときには、二人ともビショビショ。
小屋でワンカップを買い、ようやく握手。

この登攀で、トップはずっとY氏だったこともあり、私としては
カエルのようなカッコでフリクションしながらの、傾斜45度の
磨き上げられたようなBカンテ、そして25m続くCカンテを
次回はトップでやりたい思いが強く残った。

そんな年も、お山からは雪の便りが届き始めたころ、N氏からの
誘いがあり、11月3日冬山装備でこの尾根にチャレンジした。
もちろん、トップは私だ。夏と違って誰もいない尾根に取り付き、
楽しいBカンテ、Cカンテを登ることが出来た。Dカンテでは指の
感覚もなくなり、非常に疲れはしたが、快晴の下、振り返ると、
薄く雪の纏った第4尾根が、初冬の西日に照らされ荘厳に
輝いていた。静かに登攀できた喜びに感謝し、大いに
楽しませてもらったこの尾根に別れを告げ、涸沢のテント場まで
下って行った‥‥。
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   (東京新聞出版局『日本の岩場』1972年より)       

by don-viajero | 2011-11-03 20:22 | | Comments(0)
2011年 08月 02日

顧問

最上級生三年になると、辞任したM教諭の代わりに、
教員になって初めて赴任してきた兄貴みたいな、
我々と年齢差のあまりない「センちゃん」こと
C教諭が顧問に就いた。高校、大学を通して山岳部に
所属したことはなかったのだが、専門が地学と
いうこともあり、引き受けたらしい。

前年度までの飄々として、幾多の先輩たちとの山行に
同行した「ヤギさん」ことA教諭が他校へ転任し、
ワタサとセンちゃんの二人が山岳部専任顧問となった。

6月初旬、新一年生の新人合宿を一泊二日の日程で、
頂上付近にまだ雪の残る蝶ヶ岳(須砂渡・三股経由)
でやった。

雪上訓練の新人教育は二年生に任せ、我々は雪渓で
グリセードに興じていた。ピッケルを巧みに使い、
カッコよくシュプールを描いて雪渓上を滑り降りる
我々を見ていたセンちゃんが
「オイ!オレにも教えてくれよ!」
「あぁ、いいよ!そのかわり小屋で売っている
 ビール、奢ってくれよな!」
「お安い御用だよ!」
筋がいいのか、教え方がいいのか、センちゃんは
あっというまに上手に滑れるようになった。

心地よい汗をかいた我々とセンちゃんは、谷底の梓川を
挟んで、眩いばかりに目の前に広がる雄大な穂高連峰の
大パノラマを眺め、居心地のよい笑顔を振り撒きながら、
グビグビっと美味しいビールを喉に流していった。稜線を
吹き抜ける爽やかな風が胸の奥に、アルコールがみぞおちの
底へと広がってゆく‥‥。
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by don-viajero | 2011-08-02 19:41 | | Comments(0)
2011年 07月 29日

処分

公務員処分:重い順に免職・停職・減給・戒告・
訓告・厳重注意。ときどき新聞の紙面を賑わす
『公務員・大量処分』。しかし、そのほとんどは彼ら
大人にとって、大したことのない戒告以下の処分だ。
こんなのは処分にも値しない。免職なんてまずないし、
停職・減給だって『大量処分』を隠れ蓑に、ほんの
一握りの人間だけで済ませ、幕引きにしてしまう。

高校の文化祭の最終日。ファイアーストームも終え、
学生たちも三々五々家路へと帰ってゆく。
我々山岳部は、校門の脇にテントを張り、卒業した
先輩を迎えて、三年生を送り出す儀式に及んだ。
儀式といっても、OBたちが差し入れの食い物と酒
(ウィスキー)を持ってきてくれ、三年生と過ごす
最後の集いのドンちゃん騒ぎだ。
宴もたけなわのころ、突然
「お前ら、何をしているんだ!」
テントの入口をサッと開け、覗いたのは山岳部顧問で、
部員から嫌われ者のM教諭だった。
「お前ら酒を吞んでいたのか?」
前部長が毅然と言い放った。
「先輩たちと二年と俺たち三年です。
一年は一滴も吞んでいません!(嘘)」
暗黙の了解で、そういうことにした。
「OBの連中はすぐに帰れ!
 他の者もテントを片付けてすぐに帰れ!」

数日後、校長室に呼び出された我々に下された処分は、
一年生はお咎めなし。三年生が無期停学。我々二年生が
校長訓告というものだった。この事件以降、儀式は
止めになってしまった。

もちろん、このあとあの嫌味な教諭は、当然の如く
山岳部顧問を辞めた。

by don-viajero | 2011-07-29 20:21 | | Comments(0)