陽気なイエスタデイ

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カテゴリ:山( 38 )


2011年 07月 26日

裸の幽霊?

山岳部・高校二年の夏。
ちょうど夏休みに入ったばかりの今頃かな‥‥?
三年生との最後の山行の岳沢合宿も終わり、
上高地のB.Cでの打ち上げ。夕食後、同行した顧問
(美術部の顧問でもあるが‥)のワタサ(あだ名)が
「みんなで“裸の幽霊”を見に行こうか?!」
三年生だけは、その意味が何を指すのか判っていた
みたいであるが、新人の一年生や二年の我々は
「??????」
一人の先輩が含み笑いを浮かべ、独り言のように
静かに言う。
「行きたい者は黙ってついて来ればいいんだ‥」

山の夜更けは早い。9時過ぎともなると河童橋の
周辺をうろつく者たちも、すっかり少なくなっている。
五〇〇ロッジから少し離れた薄暗い場所まで来ると、
ヘッドランプの灯りを消し、背丈ほどもあるクマザサを
掻き分け、静かに登ってゆく。
「シィ~!音をたてるな!幽霊が逃げちまうぞ!!!」
先輩の睨みつけるような、威圧的な物言いに気圧され、
みんなザザッと揺れる葉を押さえるように進んでゆく。

僅かな灯りが零れてくる尾根の反対側に回ると、
そこには“裸の幽霊”がいっぱいいるではないか!
男も女も‥‥。もちろん、男なんかに用はない!
用意周到のワタサから双眼鏡を順番に渡され、食い入る
ように覗き込む。なかでも新人のS君は、零れ落ちそうな
大きな目玉をギラギラ輝かせ、固唾を呑んで見入っている。
彼ばかりではない。みんなが頬を緩め、息を殺してうっとりと
見惚(みと)れている‥‥。
双眼鏡を手にしていた奴が、興奮をそぉっと押し殺すように
「オイ!オイ!いま入って来たの、
 レジにいたあの可愛いお姉ちゃんだぜ!」
超が付くほど真面目な次期部長のM君が声を殺して呟く。
「明日、帰り際、土産物覗いて行こうぜ!」
「うん、うん、そうしようぜ!」
シ~ンっと静まり返った暗闇のなかで、誰かがヨダレでも
垂らすように発した小声が耳の奥に響く‥‥。

残念ながら、いまはこの尾根に這い上がれないように
なっている。“裸の幽霊”は閉じ込められてしまった‥‥。

by don-viajero | 2011-07-26 19:34 | | Comments(0)
2010年 10月 26日

山の野生児

中学の集団登山以降、山なんか登ったこともない男。
春、町営の山小屋赴任を命じられた地方公務員の
その男は、途中、挨拶に寄った燕山荘の長老たちに
手荒い酒を飲まされ、目的の小屋直下で真っ暗に
なってしまい、ハイマツの中に枝を敷き詰め一夜を
過ごした。辺りは雪に覆われた世界だ。

その男は、山小屋でのアルバイトで知り合ったK君。
彼は中学一年のとき、私が応援団長だったことを
覚えていた。

いつも白い長靴を履いて飛び回り、まだ小屋の周りに
雪が残る時期、素足を投げ出し、長靴を逆さまにして、
ジャーっとなかに貯まった水を出していた。

私と同時期にバイトに入っていた、K君の高校時代の友人、
S君とともに、それぞれ当時お気に入りのアイドル名で
トランシーバーの交信をした。
「は~い、こちら水場のナナちゃん!
 ヒロミちゃんに代わりま~す!」
「こちら、小屋のセイコちゃんで~す!」

雨が降れば、小屋のなかで卓球、大貧民、将棋は
何百回となく指した。二人して下界に降りた折には
夜中、中学のプールに忍び込み、ウィスキーを
煽りながら泳いだこともあった。

夏の最盛期も過ぎ、山の斜面の雪がすっかり溶けて
消えたころ、登山客から、東側の斜面にヤッケらしい
ものが見えると言う連絡を受け、K君とでガラ場を
降りていった。そこにはシャレコウベに少しだけ毛髪を
残した『お六』が転がっていた。
前年11月、燕山荘を出て行方不明になった登山者だ。
「こいつ、いい靴履いてやがる!」そう言って靴を例の白い
長靴で蹴ると、なかから蛆虫がワっと這い出てきた。
そんな、不埒な行為にバチが当たったのか、その遺体を
彼が里まで背負子で下ろす羽目になってしまった。

35年も前のセピア色に褪せた記憶の一つ一つが、一瞬にして
鮮やかに彩られ、目くるめく甦ってくる‥‥。

S君は5年前、そして一昨日、そんな野生児だったK君が
家族を残し、病魔には勝てず、鬼籍に入った‥‥。

                                合掌

by don-viajero | 2010-10-26 20:08 | | Comments(2)
2010年 08月 27日

屏風岩・Ⅱ

一ルンゼ上部で滑落してから二ヵ月後の8月末、『餓鬼』の
仲間N氏と、再びこのルートをチャレンジしていた。

前日の天気予報で台風は山陰を抜けたというのに、一向に
治まらない雨のなか、ときどき落ちてくる小石を避けながら、
足元の滑りやすい岩を慎重に登っていた。

大天荘にいる仲間のY氏とトランシーバーでの定時交信は
何度やっても不通。我々はルンゼの途中、岩の奥にツェルト
一張り分だけのスペースを見つけ、取りあえず登攀を中止し、
天気の様子を窺うことにした。

相変わらず雨も止まず、小石どころか頭大ぐらいの岩まで
ゴロンゴロンと不気味な音を近づけ、落ちてくる。
すっかり暗くなっての8時。ようやくY氏との交信ができた。
なんと彼は決めていた交信時間中、小屋の連中とずっと
‘大貧民’をやっていたのだ。しかも悪いことに台風は
日本海に抜けたあと、Uターンしてその時点で神戸付近だと。
「明日、見計らって撤退すべき!」と進言されてしまう。

夜中、二時間おきに場所を交代する。もちろん奥のほうが
はるかに安全だ。N氏が表側のとき大きな岩が当たり
ツェルトが破ける。幸い怪我はなし。

翌早朝、小雨のなか撤退を始める。
-どうか、でっかい岩が落ちてきませんように‥‥-
祈るように、止めどなく落下してくる小石をヒョイヒョイと
軽業師のようにかわし、ザイルを伝い懸垂下降を何本も
繰り返す。

安全な場所まで無事到着。次回からは使えそうにないほど
ところどころ傷んでしまい、ビショビショで重くなったザイルを
仕舞い、二人で複雑な思いを抱きつつ無言の握手をする。
まつげから零れ落ちる雨粒越しに、また撤退する羽目になって
しまった、雨霧で霞んだルートを見上げる‥‥。

しかし、翌年の二月、私は懲りもせず再びここでこの雪の
張り付いた一ルンゼを眺めていた‥‥。

by don-viajero | 2010-08-27 20:18 | | Comments(0)
2010年 07月 30日

悪戯・山編Ⅱ

山岳同人『餓鬼』を結成してから数ヵ月後の7月末、
初めての新人S君が加入した。Y氏たちS大学の後輩で、
彼を迎えて新人合宿をやることになった。
参加したのは初期メンバーK氏を除いた我々三人とS君。

1日目:上高地BC→槍沢・赤沢岩小屋テンバ
2日目:赤沢岩小屋→小槍→横尾尾根→横尾右俣テンバ
3日目:横尾右俣テンバ→徳沢
4日目:徳沢→上高地BC
5日目:私とN氏で焼岳往復 Y氏とS君はBCで休養
6日目:BC→コブ尾根→BC
     打ち上げ(五千尺ロッジのY姉から差し入れあり)

一泊目のテンバには、我々の他に少し離れた場所に女の子
二人パーティーがテンパっていた。朝方、まだ暗いうちに
ガサコソ五月蠅い音に目を覚ます。テントの入口をそ~っと
開けてみると、隣りのテントを一頭の大きな熊がゴソゴソ
突っついているではないか!N氏が大声をあげ追い払う。
やはり、女の子の持ってくる食料と我々とでは、熊も簡単に
旨い物の判別ができるのだろうか‥‥。
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                 小槍

三日目の横尾右俣は、尾根を一つ隔てた涸沢に引けをとらぬ
ほど豊富な残雪があり、お花畑に囲まれたテンバにはたった
一張りのテント。夜空に瞬く満天の星が、我々だけに降り
注いでいるかのような別天地である。翌日、新人S君の
雪上訓練。朝から昼までみっちりこなす。1時下山。
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               横尾右俣
                 
明らかに疲れの見え始めたS君のため、徳沢にテントを張る。
夕食の準備も終え、
「S君!俺たち、飯前にちょっと川ざらいに行ってくるわ!」
「川ざらいって‥‥、な、なんですか???
 しかもこんなに暗くなってから‥‥。」
「そうだよ!暗くなったほうがいいんだよ!」
それから10分もしないうちにテントに戻ってきた我々、
「おい!川ざらいのお土産だぞ!」
そう言って、梓川の冷水に冷やされた缶ビール3本、缶ジュース
5本、果物etc‥‥。
キョトンとしているS君の前に突き出したのだった。

by don-viajero | 2010-07-30 20:37 | | Comments(0)
2010年 07月 28日

悪戯・山編Ⅰ

若いころは様々な悪戯をした。
特に山では、その行為が「犯罪」と言われても致し方ない
ことまでやった。
そこで、いまとなっては当然時効であろう山での想い出
深いものを二つ紹介しよう。

山岳同人『餓鬼』を結成して二回目の山行は
冬山と変わりない3月初旬~中旬の北鎌尾根。

一回目の山行で膝を痛めたN氏だけ日を空けて
横尾小屋サポートに回り、残りの三人で決行。
基本的に宿泊は雪洞と決めていたので、3人用の
ツェルトを持参しただけだった。

葛温泉でバスを降り、9時少し前歩き始め、降りしきる
雪の中、湯俣・晴嵐荘(冬季閉鎖)手前の第五発電所に
3時ごろ到着。貯水池横にある三坪ほどの小さな小屋の
窓が開いたので中へ入った。
床には小さな石油ストーブが置かれ、テーブルの真ん中には
で~んと封を開けられたばかりのウィスキーのダブル瓶。
棚には数種の缶詰。目を移せばロフトには布団まである。
誰も異議を唱える者はいなかった。

荷を解き、早速宴会だ。10時ごろにはウィスキーも空っぽ。
翌朝は三人とも二日酔いで頭がガンガン。
幸運にも外は雨交じりの雪。停滞を決め込む。
将棋もトランプも花札も漫画本まであり、退屈すること
なく過ごすことができた。

晴天の朝を迎え、居心地の良かった我々が「湯俣ホテル」と
名付けた小屋とも別れ、気持ちを新たに千天出会いから
派生する北鎌尾根に取り付いた。

1日目:葛→湯俣  2日目:停滞  3日目:湯俣→
千天出会い→北鎌尾根P2直下雪洞  4日目:P2→
北鎌のコル雪洞  5日目:北鎌のコル→独標→北鎌平雪洞
6日目:北鎌平→槍ヶ岳→横尾冬期小屋N氏と合流
7日目:横尾冬期小屋→上高地→沢渡

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               雪壁?
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                独標

by don-viajero | 2010-07-28 21:14 | | Comments(0)
2010年 06月 04日

MAPC

明大アルペンフォトクラブ=MAPC

二年生になった夏休み前。
つまらない撮影合宿なんぞに付き合わされたくもなく、
すでにフィルムや印画現像の技術を習得した私は、
なんの躊躇(ためら)いもなく、写真部を辞めた。

三年次、ときどき一緒に山行を重ねていた同級の
K君と、その年の学園祭を機に「MAPC」を立ち上げた!
と言っても、届けもしていない無登録幽霊クラブみたいな
ものではあったが‥‥。

学園祭の実行委員会に入り込んでいる友人に頼み、
三階の一室を借り受けることができた。

K君と二人で、お気に入りの全紙や半紙の写真を壁に並べた。
一番大きいものは畳大のものだった。
感想や購入希望者用のノートを入口に置き、来場者を待った。

頃合いをみて、私はデモンストレーションに打って出た。
三階からザイルを垂らし、懸垂下降で地上へ。
地上からカラビナとシュリンゲ(細ロープの輪)を組み合わせ、
ザイルに絡めての上昇。(ユマール{垂直登攀用の登高器}
なんて高級な道具の持ち合わせがなかったので‥‥)
数回、昇ったり降りたりを繰り返した。
その甲斐あってか、次々と訪問者が増えてきた。
特に他大学の女性が目立って多かったような気がする‥‥。
しかも、かなりの枚数の契約にも成功した。

こうして、初秋の軽やかな風が丘を越えてやってくる
校舎で迎えた、たった二人の学園祭での山岳写真展は、
大成功に終わった。

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                【夕映えの不帰】

by don-viajero | 2010-06-04 20:47 | | Comments(0)
2010年 05月 30日

山小屋

屏風で滑落してから、学校へ、通院と、梅雨時の
鬱陶しさも手伝い、引きずる足を恨めしく思いながら、
悶々とした日々を過ごしていたときだ。

下宿先に山岳部の先輩U氏から電話が入った。
「おい!お前、屏風で落ったんだってな!
 どうせ夏になってもガンガン登れないんだから、
 山小屋でアルバイトでもしないか?」
U氏が町営の山小屋で、小屋番の責任者をしていることは
予てから知っていた。
「どうして知っているんですか‥‥?
 まぁ、そんなことはどうでもいいや‥‥。
 やらしてもらいますか?」
「頼むよ!休みに入ったら直ぐに登って来い!
 それから、あと二人、アルバイトを探してくれないか?
 あっ!もう一つ、小屋へ来るとき、スイカの土産も頼むよ!」
「はい、解りました。なんとか二人、探してみます!」
「それじゃぁ、よろしくな!期待しているぞ!」

そのころになると膝の調子もほとんど治り、普通の山行には
支障がなかったのだが、ザックの中の丸いスイカの納まりは、
如何ともし難いものだった。

小屋で働いているメンバーの何人かは顔見知りだった。
ところがである。スイカを差し出したときのみんなの笑顔を
思い描きながら登って来た私を待っていたのは、厨房の
大テーブルにドカ~ンと鎮座したもう一つのスイカ玉だった。
前日、小屋に入った「フチュウのヨーコ」(あの頃『港のヨーコ・
ヨコハマ・ヨコスカ』が流行っていたので‥)という女性の
土産物だった。そのとき、この御方が私の義姉になるなんてことは、
夢想だにしなかったのだが‥‥。

後日登って来たアルバイト要員の写真部の後輩二人がタバスコを
買ってくるよう頼まれた。彼らが麓の農協で購入したときの会話は、
その夏中大笑いの種だった。
「タバスコ、どこにありますか?」
「なにぃ‥‥?タバスコ‥‥?剣ズコかい?角ズコかい?
 どんなスコップだい???」

by don-viajero | 2010-05-30 19:40 | | Comments(0)
2009年 11月 09日

熊の岩

富山から毎年コシヒカリの新米を送ってくれる豪農の友がいる。
学生時代、何度か山を供にしたK氏だ。
宅配便で届けられてくるダンボールを開けると、必ず、いつも同じ
文面の用紙が一枚挿まれている。

しかし、今年は違った。その下にもう一枚あった。
プリントアウトされた山の写真とともに、
今年8月下旬、単独で剣・長次郎谷から入り、
『熊の岩』ビバーグ。剣岳へと綴られた山行記だった。

高校時代、山岳部に入部して初めて手にした
アルパインガイドブック『北アルプス』(山と渓谷社)。
この表紙を飾っていたのが長次郎谷の『熊の岩』だった。
いつかはここへ行こうと心に決めていた。

高三の夏(1971年7月末)、山岳部として現役最後の
涸沢合宿を終え、単独で『熊の岩』を目指した。
それから三年続けて、この岩の上でたった一人で数日間過ごした。
’74年9月初旬、K氏らと登った源次郎尾根・八ッ峰山行を
最後に訪れていない。

『熊の岩』は八ッ峰を登攀するクライマーたちの聖地だ。
周りを岩また岩に囲まれ、下界の光がまったく視界に
入らない世界。夜になれば手が届くほどに煌く満天の星。
朝日に燃える八ッ峰や源次郎尾根。
そして、夕日に染まる後立山連峰の山々。
見上げれば、長次郎谷最奥部に鎮座するジャンダルムや剣岳本峰。
こんな贅沢な山の景観美が他にあるだろうか?
と思わせるに十分な絶景だ。

K氏の文面の最後にはこう記されていた。
「また、一緒に行けたらいいですね。」
-元気なうちにぜひ行ってみようかな?-
気持ちが昂ぶり、38年前の感動に酔いしれていた‥‥。
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               【熊の岩】
   (岩の上にポツンとある小さなツェルトが見えるだろうか?)

by don-viajero | 2009-11-09 20:43 | | Comments(0)
2009年 07月 18日

日本百名山

「海の日」があって「山の日」がないのは何故だろう?

それはさて置き、昨今、有名な山に登る人が
あまりにも多くなってしまっているらしい。

我々が山に夢中になっていたころは、
御嶽山のような山岳信仰の山は例外ではあるが、
今のような中高年はあまり見かけなかった。
最盛期の夏山は若者で賑わっていた。
滝谷みたいな岩場でさえ、ときおり順番待ちを食らった。

古来、日本では擬人法で山を表現してきた。
「山笑う」は春になれば、木々が“ウフフ”と芽吹く季語だ。
豊富な残雪の雪稜登攀での休息時、春の陽光を浴びて、
滴り落ちる水滴に口を差し出して、“チュッチュッ”と
むしゃぶりつく。我々はそれを「乳汁」と名付けていた。
充分喉の渇きを潤せば、自然に“ウフフ”と笑みが零れる。
秋は燃えるような赤や黄色に「山粧(よそお)う」。
そして、冬「山眠る」。
荒れ狂う天候には悩まされるが、誰もつけていない
自分たちだけのトレースに、ときおり振り向きながら、
静寂で、真っ白な世界を踏みしめてゆくのは、
如何ともしがたく、痛快だ。

今回、大量遭難を招いた大雪山系はアイヌ語で
「カムイミンタラ」と呼ばれ、その意味は「神々の遊ぶ庭」。
たとえ神々と共に楽しむ山行であれ、如何なる状況下においても、
山の神々の忠告に耳を澄ませて聞かねばならない。

周知の如く、深田久弥氏の「日本百名山」が、
今日(こんにち)の中高年登山に火をつけたのは明らかだ。
それにともない、お金と時間に余裕のある人々が、
全国中に散らばった百名山目指して登り始めた。
しかも、己の体力を省みずにだ。この本の後記に
「日本人ほど山を崇(たっと)び
 山に親しんだ国民は世界に類がない」とある。

尊ぶ心が荒(すさ)んできたのだろうか?
ゴミ捨てや高山植物の盗掘を嘆く声も多くなっている。

夏、山は「泣いている」らしい。

by don-viajero | 2009-07-18 21:50 | | Comments(0)
2009年 06月 14日

屏風岩

宙(そら)に舞った。

ほんの0コンマ何秒かの間に20余年の人生が
走馬灯のように駆け巡った。
-あぁ、これで俺は死ぬんだ‥‥-
そう思った。

今から34年前、1975年の6月15日。
前穂高屏風岩・一ルンゼ上部で滑落した。
核心部も終え、急峻な雪渓をステップカットを
しながら「屏風の頭」を目指して一歩一歩登っていた。
足元の雪が崩れそのまま滑り落ち、
しこたま膝を岩に叩きつけられ宙に浮いた。

後にも先にも『死』というものに
直面したのは、これ一回きりだ。

6月に入り、東京も梅雨入り宣言がされ、
毎日降り続く雨に、心まで湿気に捕われていた。

そんな憂鬱な日々を過ごしていたとき、
信州にいる山岳同人『餓鬼』の仲間、
S氏から手紙を受け取った。
-天気と都合が良ければ一ルンゼをやりに行こう!-
折り返し、6月14日からの入山予定を送った。

久しぶりに山行記を開いて、この転落の顛末を
綴った登攀記を読んだ。ただ、この記の最後には、
「レーテの河の水を飲みたい‥‥。」
で締められていた。

当時、この一文が示すように、
梅雨時の湿気ばかりでなく、よほど悶々とした日々を
送っていただろう苦い青春時代を想い返すのは、
そう難しいことではなかった‥‥。
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        屏風岩一ルンゼ取り付け

by don-viajero | 2009-06-14 20:18 | | Comments(0)