陽気なイエスタデイ

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カテゴリ:夢( 56 )


2008年 07月 07日

夢 『第二夜・留年』

卒業してまもなく大学から一通の知らせが届いた。
「精査の結果、貴殿は3単位足りず卒業を取り消します。
 よって改めて卒業するには復学届けを提出して下さい。」

-エッ?そんなバカな!-
もうアパートも引き払ったし、
就職もして、ましてや婚約も決まっている。
どうしたらいいんだろう!
とりあえず、大学の事務局へ行ってみよう。

慣れ親しんだ駅を降りると、
たくさんの学生が校舎に向かって歩いている。
しかし、そのなかに見知った顔はない。

通知を係りの者に見せ、
なんとか通信制にならないか相談していたときだ。
背後に人の気配を感じた。
振り向くと担当ゼミのA教授がいた。
「君はいくら補修をやっても卒業できませんよ!」
「どうしてですか?」
「そもそも君はこの大学の学生ではないのだから‥‥。」
「どうすればいいんですか?」
教授はニヤっと気味の悪い笑みを浮かべ、
「そうだね‥‥。もう一度受験をして入学するしかないですね!」
「そんな‥‥。嫌ですよ!また勉強し直すなんて!」
そこへ婚約者も現れ、
「私はあなたが卒業するまで待っているわ!」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「アナタ!アナタ!起きてよ!
 会社に遅れるわよ!
 電車は待ってくれないんだから!!!」

by don-viajero | 2008-07-07 20:11 | | Comments(2)
2008年 07月 06日

夢 『第一夜・笑い』

その日は一日中誰とも口を訊く機会もなく、
一人で急ぎ仕事を片付けていた。
ただ、ただ疲れた。
飯を食い、風呂へ入り、ベッドに倒れこんだ。
-明日は休日だ!ゆっくり寝ていよう!-

傍らにあるラジオのスイッチを入れた。
ちょうど、笑福亭笑福の落語をやっていた。
目を閉じ、耳だけを傾けていた。
-フッ フッ フッ-
疲労と寡黙な一日の最後に口元から笑みがこぼれた。

話が進むうちに大きな笑い声に変わっていた。
-ワッハッハッハッ!!!-
-ハッ ハッ ハッ-
-ハッ ハッ ハッ- 
布団のなかで腹をよじって笑い転げた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

-ガッターン-
ベッドから転げ落ちた。

時計の針は八時八分八秒を指していた。

by don-viajero | 2008-07-06 19:25 | | Comments(0)
2008年 07月 06日

夢十夜

あの夏目漱石の作品に『夢十夜』というものがある。
(著作権が切れた?のでネットでも
『夢十夜』で検索すれば読める)
十篇の短い作品のうち、
四篇の書き出しは「こんな夢を見た。」で始まる。
頭がグラリとくるような、幻想的で不可思議な物語である。
私自身あんな難しい夢など見たこともないし、
見たところであのような高尚な文学的表現など到底できまい。

今回は五話連続。さしづめ『夢五夜』。
大文豪の足元にも及ばぬものではあるが、
楽しんで読んでもらえれば、と思っています。

また、この『夢』をモチーフにした作品は
ときどき載せていくつもりです。

by don-viajero | 2008-07-06 07:14 | | Comments(0)
2008年 06月 10日

超短編小説 『時の扉』

市のホームページを開いている。
我が市では今回、面白いシステムを開発し、
閲覧できるようになったのだ。

1950年代から概ね10年おきに、当時の路線図上に
市民から借り受けた写真をもとに編集し、
見たい時代のポイントをクリックすれば懐かしい光景が
現れるというものだ。

私は60年代のものを見ていた。
そのほとんどは色褪せたセピア色。
それは遥か遠い昔を彷彿させるのに十分な色合いである。

駅から続く無舗装のデコボコ道は細く、人家も疎ら。
忘れかけていた景色や顔も出てくる。
-なんて長閑なたたずまいなのだろうか!-
一つ一つ捲って、思い出が一杯詰まった昔の我が家に辿り着く。

玄関前にあった大きなクルミの木の下で、
若い父と母、おかっぱ頭の姉、みそっ歯で笑っている私がいた。
-そうだ!この木の下を流れる小川には
 沢蟹やドジョウがいっぱいいたんだ!-

マウスを移動してその小川を覗いてみた。
そこには大きなナマズが眼を見開いてこちらを睨んでいた。

-グラッ グラッ-
-地震だぁ!-

微かに家が揺れた。目が覚めた。
つけっぱなしのラジオからは
アコーディオン奏者cobaの「時の扉」が流れていた。

by don-viajero | 2008-06-10 20:21 | | Comments(0)
2008年 03月 07日

初恋

色褪せたセピア色の記憶のなかにあって、
少しばかり色づけをしてみたいものがある。

誰にでもあっただろう『初恋』。
「小さな恋のメロディ」ではないが、
おませだった私のそれは小学校低学年のときだった。

その彼女に、最近夢のなかでチョコチョコ出逢うようになった。
まるで忘れかけていたマイドキュメントのフォルダーから
引っ張り出されたように‥‥。

小学生のままのときもあれば、成人の姿で現れるときもある。
残念ながら、秋波を送られることもなく、
結果、恋愛関係に陥るというストーリーにはならない。
どういうわけかいつもチョイ役で終わってしまう。
朝、目覚めたとき
-少しぐらいときめきがあってもいいのになぁ-
と地団駄を踏む思いである。

そういえば年を重ねるごとに胸がキュンキュンと締め付けられたり、
ドキドキしたりの『ときめき』というものを感じなくなってしまっている。
人間が図太くなってしまったからであろうか?
若いころとは違い何も『ときめき』は女性に対してだけのものではない。
いろいろな『ときめき』があって然るべきであろう。

脳みそが老いてくるとともに煩労(はんろう)がそのものを
排除しているのかもしれない。

ちなみに、夢判断「昔の恋人」を調べると、
-思い出にひたるよりも前向きに生きなさいという警告-
とあった‥‥。

by don-viajero | 2008-03-07 20:11 | | Comments(2)
2007年 06月 20日

近所で同い年、小学校も同級生。
中学ではクラスは違ったが、よく連んで遊んだ。
高校も違ったのだが、お互い、同じ地区への進学だったので、
電車で顔を合わせる度に、遊びの計画を企てたものだ。
幼馴染、竹馬の友だった。

そんな彼が8年前に亡くなった。
友として初めて身近に眺めた死者であった。
ここ数年、よく彼の夢を見る。
主役の時もあれば、ちょっとした脇役の時もある。
ほとんどは楽しい夢だ。

彼の母はその20数年前、やはり早世だった。
父親は彼の死後数年して鬼籍に入った。
残されたのは二つ年下の妹さんが一人。
すでに嫁がれて幸せな家庭を築いている。

昨年、彼女に逢う機会に恵まれ、夢の話をしたところ、
「お兄ちゃん、私のところにはちっとも来てくれない」
と零していた。加えて
「きっと寂しいんだ。フンボ、呼ばれてるんじゃない?」
(フンボとは私の幼い頃からの渾名である)
こう言って、莞爾と頬笑んだ。そう見えた。
― そんなこと言われても… ―
いざ、言葉にして問われると、そう思わないでもない。
私も、次に登場した折には
― 暫く、来なくていいよ ―
と告げたいのだが、未だに出来ていない。

今年、気が置けない友と15日間ベトナムを旅してきた。
初めて行く、友人との海外二人旅だった。
部屋代がシングルもツインも殆ど変わらないので、
半分づつというのはお得である。
そんな旅の中でも毎晩、夢を見た。
朝起きて、ストーリーを話してやると、彼も楽しんで聞いていた。

夢に出てくる登場人物だが、決して一見さんはいないらしい。
必ず何らかの糸で繋がっているようだ。
その糸がどんなに細くとも、脳のほうは認識していて、
一回しか逢ったことのない人物でも出演するらしい。
それが人間の記憶であり、幼いときから観たテレビや
経験が絡んでくる。
そう、スーパーマンのように空を飛び回るものや、
一生懸命走ろうとしても、足が少しも前へ進まない夢なんかが
その類であろう。

おそらく、私は多くの夢を見る部類に入るだろう。
偶には、詳らかでないときもあるが、大概のことは覚えている。
少しばかり手を加えて『夢日記』なるものを認めれば、
案外、面白いものになるかもしれない。
但し、起きたてでなくてはならない。
現状では、床を離れれば忘れてしまうような、
そんな、脳みそに成り果ててしまっている。

by don-viajero | 2007-06-20 19:44 | | Comments(5)