陽気なイエスタデイ

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2007年 06月 28日

若い頃は山、そして今は旅。
まったく、よく歩いてくれる足だ。感謝、感謝。

大学一年の時「山手線・オーバーナイトハイク」に参加した。
学園祭で体育会主催のものだった。
御茶ノ水を起点に、ほぼ明治通り沿いを時計と反対回りで、
48㌔を夜中走破する強歩だ。

高校時代、50㌔強歩を三回経験した。
所属していた山岳部では、各自100位以内が目標であった。
全校生徒1000人以上が参加するなかでは、難しい数字で
あった。とりわけ、陸上部や卓球部・サッカー部などは部の
名誉の為に、その殆どを走り通すから敵わない。
一年の時は論外。二年の時は103位、惜しかった。
三年になると、想い出作りが主で、チンタラ歩き
やはり、論外な順位で終わった。

「第三回オーバーナイトハイク」に、友人と共に参加した
私の出で立ちはというと、上は柔道着、しかも黒帯。
(高校時代、体育担任から断わりもなしに拝借したもので、
 未だに返していない)下はジャージ、足元は裸足に下駄。
はたして、何人ぐらいがこの年参加したかは定かではない。
しかし、聖橋を渡るときは、-凄い人数だなぁ-
と正直驚いた。

それなりに速いペースで歩いてきた我々が、目白の
チェックポイントで聞かされた順位は20位以内とのこと。
友人はかなり疲れていた。
私は、徐に下駄をザックに入れ、裸足になり、
彼を置き去りにして走り出した。勿論、優勝を狙っての
行動だった。新宿に入り、西口公園を周り、再び明治通りに
戻った時点では、5番以内を確信した。
白みかけた、静かな東京の街を一人抜き、二人抜き、
左手に皇居が見えた頃には、トップに踊り出たのだ。
完走ゲートを潜り、欣喜雀躍とゴールした私を待っていたのは、
『No.000004』の完歩証と暖かいトン汁だけだった。
-そんなはずはない!オレが一等だ!-
係りの者に詰め寄っても、無の礫だった。
何故、自分より先にゴールした者が三人もいるのかは、
すぐに理解できた。
彼等は、西口公園を周らずに、そのまま明治通りを
直進したのだ。しかも、この区間においてチェックポイントが
なかったのだ。

徒労感に打ちのめされ、疲れきった足を引きずりながら、
まだ、乗客も疎らな電車に乗り込み、
下宿へとトボトボ帰った私であった。

by don-viajero | 2007-06-28 20:09 | Run | Comments(3)
2007年 06月 26日

過日、仕事先で物凄い蝶の群れに出会った。
その日は雨上がりの晴天。
小石が敷き詰められた庭には、水分補給をする為に
集まった、大量のテングチョウ。近くに寄ると夥しい数の乱舞。
そして、暫くすると、何事もなかったように、地面に素早く
舞い降りる。まさに、光彩陸離たる光景だった。

昔、蝶を少しばかり齧った。所謂、夏休みの一研究。
このテングチョウ、大きさはモンシロチョウを一回り
小さくしたぐらいで、食草はエノキ・榎の葉だ。日本全国に
分布する。なるほど近くには、百年以上は経つと思われる
榎の木が聳え立っていた。それでも、これだけの大群を
目の当りにするのは、生まれて初めてであった。
テングという名の通り、鼻っ面が長い。寧ろ、馬面に近い。
この蝶は、これから盛夏に入ると休眠し、秋に再び行動する。
しかも、成蝶のまま冬眠して、翌年、飛び回るという、
不思議な蝶なのだ。

一昨年、我が家の裏で、コスモスに止まっている、
見たこともないタテハチョウを発見した。早速、家に飛び込み
図鑑(昆虫生態図鑑・昭和39年4月27日発行)で調べた。
『ツマグロヒョウモン』生息区域:本州南西部・四・九・南西諸島

この図鑑は、忘れもしない。小学五年の時、本屋の前で、
通行人など憚らず、大の字になって、ワンワン泣き叫んだ
挙句、親に買ってもらった代物だ。

その夜、今でも蝶に詳しい友人に、写真を添えてメールした。
ところが、彼からの返事は
「今では、この辺りでも珍しくなくなっているよ!」
ガックリ!すっかり興奮も冷めてしまった。

地球温暖化は確実に進行している。
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           ツマグロヒョウモン

by don-viajero | 2007-06-26 20:10 | エッセー | Comments(0)
2007年 06月 24日

私には、今年86の齢を迎えた父がいる。
母は誕生日を迎えて79歳になる。
どちらも息災である。

そんな父は傘寿を過ぎた辺りから、
自分の生まれ育った所へ、毎年行きたがるようになり、
その度に母と姉がお供で出かけた。

ところが、今年は違った。
どうしても一人で行くと言って、
手提げバッグに一枚の年賀状を忍ばせて、
突然、上京してしまった。

無事、帰ってきてから、どうしても話したいことがあるから、
出かけて来いという電話があった。

若い頃、憧れの君がいたそうだ。
小柄で、とってもチャーミングな人。完全な片思い。
その方は、父の知り合いと結婚したが、早くに連れ合いを亡くされ、
今は娘さん夫婦と同居されていて健在。
年賀状のやりとりだけで数十年が経ち、
どうしても、死ぬ前に逢っておきたかったらしい。
賀状の住所だけを頼りに、期待を漲らせ、
連絡もなしで訪問したのだ。

開口一番、父から発せられた言葉は
「ガッカリした。ショックだった。」
「どうして・・・?」
「あの人はすっかり老け込んで、おばあちゃんになっていた。」
-当たり前だ!-
それでも、僅かながら昔の面影は残っていたらしい。
突然の訪問にも拘わらず、過分な接待を受け、
蝶々喃々と時を過ごしたことだろう。
その一点だけが残念ではあったが、
満足して帰ってきたのだ。

父の長い人生の中で、須臾の間の出来事ではあったが、
これで一つ、区切りが付いたことになる。

by don-viajero | 2007-06-24 16:20 | エッセー | Comments(4)
2007年 06月 23日

旅/Ⅱ

所在無げな空間がある。
腰を下ろして座れば、左には日本、右には世界地図が
貼り付けてある。ドアには、「日捲り英会話」がぶら下がっている。
そうは云っても、することはする。
それ以外は暇だから、正面を向いて声を出しての反復。
首を左右に振って地図を眺める。

日本で、未だに足を踏み入れた事のない県が十もある。
四国四県、岡山県、広島県、福井県。
そして、東北の福島県、宮城県、岩手県だ。
-結構、あるなぁ-
東北は電車(東北本線)で通過はしたが、訪れてはいない。

カミさんは数年前、時を別にして、空白の岩手県と福井県を
一人旅した。全国制覇である。
私は、あと十年ぐらいしたら、岡山、広島を周って、
四国お遍路さんの旅でもしようと思っている。
東北はもう少し老いてから温泉巡りでも・・・・。
そうなると、残るは福井県。どんな理由付けで訪れることができるか。

世界地図のほうは夢が膨らむ。
-さて、次はどこへ行こうか-
行って見たいところは幾らでもある。
しかし、今さら、世界中を歩き廻るわけにはいかない。
残念ながら、時間がある時(暇な時)は金がない。
金がある時(仕事が忙しい時)は時間がない。である。
当然、峻別して選ばねばなるまい。
-もう、そう若くはないんだから-

因みに、今日の日捲りページ。
-Care killed a cat.-
土曜日は格言・諺の類だ。
「心配は身の毒」転じて「病は気から」
*九つの命を持っていると言われるネコでさえ、
 心配が過ぎると死ぬということ。

もう一つ、ついでに雑学を!
便の三分の一は、胃や腸など消化器官の古くなって
剥がれ落ちた表面細胞。
三分の一は腸内細菌の死骸。
そして、残る三分の一が食べ物のカスだそうだ。

by don-viajero | 2007-06-23 19:58 | ◆旅/全般◆ | Comments(1)
2007年 06月 20日

近所で同い年、小学校も同級生。
中学ではクラスは違ったが、よく連んで遊んだ。
高校も違ったのだが、お互い、同じ地区への進学だったので、
電車で顔を合わせる度に、遊びの計画を企てたものだ。
幼馴染、竹馬の友だった。

そんな彼が8年前に亡くなった。
友として初めて身近に眺めた死者であった。
ここ数年、よく彼の夢を見る。
主役の時もあれば、ちょっとした脇役の時もある。
ほとんどは楽しい夢だ。

彼の母はその20数年前、やはり早世だった。
父親は彼の死後数年して鬼籍に入った。
残されたのは二つ年下の妹さんが一人。
すでに嫁がれて幸せな家庭を築いている。

昨年、彼女に逢う機会に恵まれ、夢の話をしたところ、
「お兄ちゃん、私のところにはちっとも来てくれない」
と零していた。加えて
「きっと寂しいんだ。フンボ、呼ばれてるんじゃない?」
(フンボとは私の幼い頃からの渾名である)
こう言って、莞爾と頬笑んだ。そう見えた。
― そんなこと言われても… ―
いざ、言葉にして問われると、そう思わないでもない。
私も、次に登場した折には
― 暫く、来なくていいよ ―
と告げたいのだが、未だに出来ていない。

今年、気が置けない友と15日間ベトナムを旅してきた。
初めて行く、友人との海外二人旅だった。
部屋代がシングルもツインも殆ど変わらないので、
半分づつというのはお得である。
そんな旅の中でも毎晩、夢を見た。
朝起きて、ストーリーを話してやると、彼も楽しんで聞いていた。

夢に出てくる登場人物だが、決して一見さんはいないらしい。
必ず何らかの糸で繋がっているようだ。
その糸がどんなに細くとも、脳のほうは認識していて、
一回しか逢ったことのない人物でも出演するらしい。
それが人間の記憶であり、幼いときから観たテレビや
経験が絡んでくる。
そう、スーパーマンのように空を飛び回るものや、
一生懸命走ろうとしても、足が少しも前へ進まない夢なんかが
その類であろう。

おそらく、私は多くの夢を見る部類に入るだろう。
偶には、詳らかでないときもあるが、大概のことは覚えている。
少しばかり手を加えて『夢日記』なるものを認めれば、
案外、面白いものになるかもしれない。
但し、起きたてでなくてはならない。
現状では、床を離れれば忘れてしまうような、
そんな、脳みそに成り果ててしまっている。

by don-viajero | 2007-06-20 19:44 | | Comments(5)
2007年 06月 17日

昨夜、ハチに右手中指を刺された。
まさかハリを持っているハチとは露知らず、
払い除けた時である。
ネットで調べてツチバチの一種だと解る。
今年になって初めてだ。
今は、左手のそれよりも、二倍ぐらいに腫れ上がり、痒い。
年に二、三回は刺される。
幸い、私にはハチアレルギーなるものはない。
こと、これに関してはある意味、矜持の念を持っている。

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             〈ハチの襲来後、撮影〉
昨年のことである。
1月下旬。イエメンを旅した折、世界遺産『砂漠の摩天楼』・
シバームで、街を見下ろす丘の上でのこと。
誤って、トレース沿いにあったハチの巣を踏んでしまい、急襲された。
日本のクマバチを倍にした体の持ち主で、胸部が黒、腹部が黄色。
クマバチとは逆色である。身に付けていたムシュッダという、
大きなスカーフで振り払いながら、逃げ惑ったものの、腿の裏
二ヶ所、足首に一ヶ所刺されてしまった。腿のほうはそれほどでも
なかったのだが、その夜、足首はひどく腫れ、翌日は靴を履くのにも
難儀であった。

9月初旬。我が家の庭で茗荷を収穫している時である。
葉の裏に巣を構えていたホソアシナガバチに腕、手の甲、
薬指と中指の付け根の計四ヶ所刺された。
このハチは小振りなくせにスズメバチ(過去二回刺されたことがある)
よりはるかに痛いのだ。

そして、その月の下旬。
仲間で飼っていた、スガレことクロスズメバチの巣を猿に
悪戯され、周りを興奮して飛び交っているヤツに足元数ヶ所、
裾から這い上がったヤツに臀部一ヶ所、さらに追い討ちを
かけるように、眉毛の横をやられた。
この時は一時間もしないうちに、お岩さん状態になってしまった。
痛さはそれほどでもないが、猛毒の持ち主だ。

小学時代は軒下のアシナガバチの巣を獲り、その幼虫を
生のまま食し、中学時代は友人等と、串刺しにしたコオロギの腿を
真綿につけ、そこにきたスガレに与え、巣に持ち帰るヤツを
追っかけまわし、巣を見つけ、煙幕(主にセルロイドの下敷き)
で炙って燻りだし、根こそぎとって、川原での飯盒で炊いたスガレ飯。
しかし、なんといっても一番はスズメバチである。
とりわけ、スズメバチはその大きさからバター炒めは最高の
美味である。
-おいしかったなぁ!-

こうしてみると、昨年は多くのハチ達の亡霊に
襲われたことになるのかな?
その珍味を相伴に与ってきた者としては、ハチ塚なるものでも
造って、丁重に弔わなければならないのかと思うこの頃である。

by don-viajero | 2007-06-17 22:52 | エッセー | Comments(2)
2007年 06月 15日

前述の通り、若い頃(高校~大学時代)しっかりと、
山に嵌っていた私が読むものといったら、専ら山に関する
書物(山行ものや山岳名著etc)だけといっても過言ではなかった。
所謂文芸書なるものは、ほとんど読んだことがなかった。

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そんなある日、駅から下宿先への道すがら、
時間を持て余していたこともあり、
小さな古本屋の店先に並べられた文庫本を
覗いた。その中の一冊『堕落論』坂口安吾著を
手にとり、それを買った。確か50円前後と
記憶している。


〈北尾根より前穂高岳登頂 '75・3月〉

その中にはこんな一節が書かれていた
― 人はあらゆる自由を許されたとき、自らの不可思議な
   限定とその不自由さに気付くだろう ―
更に
― 人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。
   だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう ―
そして
― 堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、
   救わなければならない ―

そうでなくとも多感な時期である。
「生きよ!堕ちよ!」衝撃だった。
この本に出合ったことで、それからというものは、貪るように
夢中で次の安吾作品、次の安吾作品と読み進み、彼の著作をすべて
読み終えてからは、その作品を評する「花田清輝」「関口光雄」etc。
そして、「高橋和己」「中上健次」「倉橋由美子」・・・「植草甚一」・・・。
海外ものではジャン・ジュネに陶酔し、果てはサルトルまで行き着き、
数々の作品と巡り合うことができた。
一端の文学青年気取りで、友と文学論で口角泡を飛び交わすことも
しばしばだった。

今はというと、もっと軽い短編物が主である。
加齢とともに、言葉を忘れ、思い出したところで、
その漢字すら書くことが難しくなって、簡単な備忘録なるものを
片手に読んでいる次第だ。
これもパソコン(ワープロ)を使用するようになっての所以であろう。

ところで、我が家では、カミさんもなかなかの読書家である。
しかしながら、どういうわけか、すでに成人している三人の子供達は
本を読もうとしない。
ところが、東京で暮らしている次女が最近読んでいるらしい。
過日、帰省した折にも、一人静かに文庫本を広げて読み耽っていた。
そんな、あらまほしき姿を面の当たりにして、ついほくそえむ私である。

by don-viajero | 2007-06-15 19:28 | | Comments(2)
2007年 06月 12日

旅/Ⅰ

私のハンドルネーム[DON VIAJERO]はスペイン語で
「旅人」である。さしずめ英訳すると[MR.TRAVELER]
更に付け加えると[DON VIAJERO]は「ドン ヴィアへロ」と発音する。
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『明日に向かって撃て!』でブッチ(P.ニューマン)とサンダンス
(R.レッドフォード)そして女教師エッタことキャサリン・ロス。
この三人がニューヨークをあとに向かった「ボリビア」。
因みに、銀幕では「ボリービア」と発音していた。

この「ボリービア」がず~っと耳から離れずにいた私は、
'96年初頭、遂に南米へと一人旅立った。

なにせ、日本の裏側へ行くのだから、当然日数もかかる。
(実際、出国から帰国まで18日を費やした)
計画段階からクリアーしなければならない問題が山積していた。
やはり一番はカミさん。なかなかの鬼門である。
日々が過ぎる中で一つ一つ解決をし、あと残す大問題は
それだけだった。
その年のカレンダーも、あと一枚を残す頃になって、
漸く、夕食時、意を決して口にした。
『案ずるより産むが易し』である。
彼女から出た言葉は「いいんじゃない!楽しんで旅をしてきなさいよ」
なんと、悩み倦んだ結末は呆気ないものだった。
勿論、この意味の裏に強かな目論見があったことなぞ、
微塵も知るよしのない私ではあったのだが・・・・。

若い頃、我武者羅になって登り続けた『山行記』、
ロード自転車にのめり込んだ『チャリンコ日記』、
友と語り明かした翌日認めた『酔いどれ日記』、
そして、旅を終える毎に整理するそれぞれの『旅行記』。

そんな隙間にあった『陽気なイエスタデイ』を書き記して
いこうと思っている。

by don-viajero | 2007-06-12 19:59 | ◆旅/全般◆ | Comments(0)
2007年 06月 12日

昨日・今日・明日

『五十而知天命』をすでに過ぎ去り、
『六十而耳順』に近づきつつある昨今、
そうそう論語のような人生にはなりそうにない。

ただただ楽しい日々は過ぎ去り、
頑なにも『耳不順』といったところか?

昔、観た『俺達に明日はない』のフェイ・ダナウェイや、
『明日に向かって撃て!』のキャサリン・ロス。彼女達の魅力に
取りつかれたことも事実ではあるが、それ以上に、
「明日(未来)・Tomorrow」という言葉に心躍るものがあったのは、
やはり'若い'という証だったかもしれない。

そして現在(いま)「昨日(過去)・Yesterday」に郷愁を
覚えること自体、良かれ悪しかれ、年輪を重ねてきた
結果であろう。

『Yesterday Once More』
すでに鬼籍に入ってしまった、カレンの美しい歌声が
聞こえてきそうな閑日である。

by don-viajero | 2007-06-12 10:36 | エッセー | Comments(2)