<   2007年 07月 ( 17 )   > この月の画像一覧


2007年 07月 30日

旅 -南米Ⅴ(ラ・パス)-

7時半、予約してあったラ・パス行きのバスがホテル前に着く。
30分ほど市内にある、あちこちのホテルで客を乗せる。
20人乗りのワゴンタイプはほぼ満員。
ほとんどが旅行者だ。勿論、日本人は私一人。
ティティカカ湖沿いに舗装された快適な道をひた走る。
朝方曇っていた空は、いつの間にかすっかり
アルティプラーノの蒼で被いつくされる。昼少し前、国境に着く。

以前、アジアを旅した時にも感じたのだが、
陸路での国境越えはなかなかエキサイティングな場面である。

ペルー出国、ボリビア入国は意外にあっさりしたものだった。
バスを降り、出国手続き。5分ほど歩いてボリビア入国。
この5分間の緩衝地帯が、えも言われず血が騒ぐのだ。
一人の旅人として‥‥。

ボリビアの国境の街、コパカバーナで一時間あまりの
昼食タイム。ここでボリビア側のバスに乗り換える。

ラ・パスに近づくにつれ、天候が怪しくなってくる。
荒涼とした平原の遥か遠くには、その頂きを雲に隠した、
イリャンプ山(6485m)の雪の裾野が見える。
我々を乗せたバスは、雨に煙るすり鉢状のラ・パスの街へ
グルグルと降りて行く。灯りが燈り始めた終点の下町には
5時半ごろ到着。近くにあったホテルに宿泊を決める。

その夜はホテルのレストランでペーニャの演奏を
聞きながらの食事。翌日は夜の市内へ繰り出し、地下にある
ビアーホールで破格な4B*1)のビールを飲む。
回りは薄汚れたボリビアーノばかり。
酔っ払いどもが当時流行っていた『パチャ』に耳を傾けながら、
口角泡を飛ばしている。

ラ・パスは標高3800m、世界最高所の首都である。
すり鉢の底に立ち並ぶ高層ビルを囲むように
上へ上へと街が広がっている。
コロニアル建築の家々。そしてその上の方には、
アドベ(日干しレンガ)でできたマッチ箱のような家々が
へばりついている。上層部へ行くほど貧しい人々の家なのだ。
当然、市内での歩行は何回も坂道を上ったり下ったりの
繰り返しですぐに息が切れてしまう。
ビル群の街角には、不釣合いな、三つ編みの髪を山高帽から垂らした
民族衣装のインディヘナたちが行き交う。

見上げれば、雪を被ったイリマニ(6462m)の霊峰と、
アルティプラーノの蒼い空が広がっていた。
f0140209_725034.jpg
f0140209_755919.jpg
*1)‥1B≒20円

by don-viajero | 2007-07-30 20:17 | Peru/Bolivia | Comments(0)
2007年 07月 28日

旅 -南米Ⅳ(ティティカカ湖)-

f0140209_20514416.jpg
この湖はインカ帝国の始祖
マンコ・カバックが
降臨した地といわれ、
インディオたちから
神の湖と崇められてきた。
標高3812mの高所にあり、
琵琶湖の12倍もの広さだ。
ここに自生するトトラ(葦)を
束ねて積み重ねたウロス島を訪ねる。
クスコから湖畔の街プーノまでは長閑な列車の旅だ。

アントニオ氏に駅まで送ってもらい、クスコでの助けに感謝し別れる。
私より3歳年下という、彼の色黒で深い皺が刻まれた顔は、
とてもそうは思えないように年老いて見えた。

列車は7時に出発し、終点プーノ到着は約12時間後。
両都市間の距離は東京と岐阜ほどだから、この旅が
どんなにのんびりしたものか、容易に想像できるだろう。
標高3000m~4000mの高原を走る列車からは、
アンデスの山並みや、アルパカ、リャマの群れが
右に左に望める。昼過ぎに通過したラ・ラヤ駅がこの路線の
最高点で標高4312m。見上げれば、群青色したアルティプラーノの
空が広がっている。ときおり、小さな駅舎が一つあるだけの駅に
到着するたびに、物売りのインディオが車窓を叩く。
f0140209_18121830.jpg

会い向き合いの二人がけソフトシートのツーリストクラスは、
隣りが若いコチャバンバの大学に在籍中のケティ(超美人)、
前にはポール、サンディの米国人老夫婦。
注文してあった昼食が運び込まれた時には、私が持参してきた
赤ワインで乾杯。3時ごろには、ポールおじさんがウィスキー、
ケティがコーラ、サンディおばさんがビスケットにハムを挟み、
我ながらブロークンな英会話を駆使し、ガタガタ揺れる車内4人、
ピクニック気分の旅を楽しんだのだった。

プーノの駅前に宿を取った私は、翌朝、時雨の中ウロス島への
桟橋へ行く。10人集まって一人5S。先に来ていたドイツ人の老人
3人組(女二人、男一人)と他の客が集まるのを30分ほど
待ったのだが、諦めて4人で40Sという交渉でボートを出してもらった。
湖の風に酔いしれること40分、島に上陸。
待ち構えていたのは小さな子供たち。
彼らの収入源であろう民芸品を売りつけるためだ。
なかには、六つ切りほどの粗末な画用紙に描いた絵を持った子もいる。
日本から持って来た、私の子供たちの使いかけ色マジックを
交換に、その絵をもらう。その時フッと思った。
-折り紙を持ってこればよかった-
以降の旅では、子供たちへの折り紙が必需品として、常にザックに
仕舞いこむこととなる。

大小40ほどが集まった浮き島に2500人ほどが生活するウロス島。
水道、電気、ガス、電話なんてものはない。一般家庭は勿論のこと
教会や学校までもがトトラでできている。腐って土のようになった
ところではジャガイモなどの野菜畑まであり、放たれた家畜たちは
なにかしらの餌を啄ばんでいる。

何百年以上もの間、彼らは彼ら独自の生活形態を守りながら、
何代にもわたって、この島で暮らしてきた。
多くの歴史がそうであったように、いつしかその島を捨て去る時が
来るかもしれない。
しかし、父であり、母であるティティカカ湖はいつまでも彼らの
魂のより所として、永遠に在り続ける事であろう。

by don-viajero | 2007-07-28 21:59 | Peru/Bolivia | Comments(0)
2007年 07月 24日

旅 -南米Ⅲ(マチュピチュ)-

いよいよマチュピチュだ!

荒々しい岩肌が迫るウルバンバの谷深く、
謎の空中都市が忽然と姿を現す。
そこはインカの夢のあと‥‥。

今から96年前の今日、1911年7月24日。
アンデス山中にインカの謎の都市ビルカバンバを探し求めていた
一人のアメリカ青年、ハイラム・ビンガムによって長い眠りから
覚めたマチュピチュ。
マチュピチュとはケチュア語で"老いた峰"を意味し、
後方に見える山は"若い峰"を意味するワイナピチュである。

アントニオ氏の車で駅まで送ってもらう。
そこで、今日のマチュピチュガイドのベト氏を紹介される。
ツーリスト専用二両ディーゼル列車(全席指定)。
この列車の乗客全員がベト氏の客だ。
定刻通り6時出発。列車は3回スイッチバックを繰り返し、
クスコの街が一望できる標高3800mのクスコ峠まで登る。
それからは、朝の光に輝く高原をひた走る。

峠を越えて10分ほどして『El Condor Pasa』が車内に流れる。
思わず涙がポロリ。なんと憎い演出をしてくれるではないか!
-オレは今インディオの国にいるんだ。そして目指すはマチュピチュ-
ウニャ・ラモスやアントニオ・パントーハが奏でるケーナの音色、
メルセデス・ソーサの哀愁を帯びたフォルクローレの歌声までもが
聞こえてきそうな‥‥そんな空間が漂う。

いつしか列車はウルバンバ川に削られた狭い谷あいを
その流れとともに下っていく。
時折、車窓からは万年雪を被ったアンデスの山々が飛び込んでくる。

9時10分、麓のプエンテ・ルイナス駅に到着。
順番に20人ほど乗れるミニバスに乗り込む。
九十九折のガードレールもない急坂、ハイラム・ビンガム道を
ウーウー唸りながら、それこそ、ハンドル操作を誤れば、
谷底まで転げ落ちていきそうな恐ろしい道を登っていく。
途中、崩落のため降ろされる。
ここからは徒歩で行く。
急な坂道を歩くこと20分。ツーリストホテルに着く。
目の前に現れる空中都市マチュピチュ。
昼食を予約しなかった私は、ガイドのベト氏に先に一人で
行動する旨を告げ、散策を始める。

すべてが興奮の連続だった。石積みの住居の物陰から、
「イマイミ・ヤンキー」(ケチュア語で「やぁ!」)
と声をかけられそうな、今でもそこかしこに生活の匂いがする。
かつて、この地に一万人にも及ぶインカの人々が生活していた
ことを想像してみて下さい。そこに自分がいるんですよ!
言葉なんかいらない!

生活のための水があり、作物を育てるための急な斜面に造られた、
段々畑。神殿があり、刻まれた石のインティワタナ(日時計)。
そして、神に捧げる為の生け贄の石台。

数多有る世界遺産でも常に訪れてみたい場所、一位に輝く、
正に白眉の中の白眉"マチュピチュ"

世界遺産に興味がある人には是非にと勧める遺跡である。

by don-viajero | 2007-07-24 20:53 | Peru/Bolivia | Comments(0)
2007年 07月 22日

旅 -南米Ⅱ(クスコ)-

海抜0mのリマ・ホルヘチャベス空港から一時間余りのフライトで、
一気に標高3500mのクスコに降り立つ。
このくらいはヘッチャらと自信過剰の元山家の私ではあったのだが、
タラップを降り、歩き始めて数分も経たないうちに、突然胸がキューと
締め付けられる感覚に陥ってしまった。軽い高山病だろう。
どうにか喘ぎながらゲートを出るとアントニオ氏が
待ち構えていた‥‥。

リマの国内線搭乗口でクスコのホテル勧誘が二件あった。
そのうちの一つは候補として挙げていた宿だったので、
詳細を聞いた。
「シングルでトイレ、ホットシャワー、朝食込で$25です」
と小太りのインディオおばちゃんがパンフを見せながら説明してくれた。
「気に入ったら四泊するから一泊$20にしてくれないか?」
少しばかり渋ったが了解してくれた。
「空港にはホテルからアントニオという男が迎えに来ます」
と告げ、次の客を捕まえに行った。

10分前に離陸したアメリカーナ社の最新型機クスコ行は満員。
日本でこれを予約したのだが、すでに満杯だったので他機にした。
フォーセット社B737の旧型オンボロ機はたった一人の日本人を含め、
30人にも満たない乗客を乗せてクスコへと飛び立った。
-どうかアンデス山中なんぞに落っこちませんように‥‥-
と祈らずにはいられないような代物だったのだ。

少しばかり日本語を話すアントニオ氏のボロ車でホテルに
着いた途端、早速、彼からツァーの誘いである。
差し出されたマテ・デ・コカ*1)を飲みながら、
「クスコ近郊半日、マチュピチュ日帰り往復(昼食なし)、
ピサック・オリャタインタンボ一日ツァー(昼食付)、合わせて
$130ですが、どうですか?」
「まずは部屋を見せてくれ!気に入ったらこのホテルに決めるし、
シャワーを浴びて一休みしたい」
続けて、
「ツァーの話はそれからだ。二時間後にこのロビーで話そう」
矢継ぎ早に話しを進めようとする彼を制止して、
従業員の少女から部屋を案内される。

部屋の窓からは中庭でサッカーに興じる少年たちの歓声が
心地良く響いてくる。この宿、この部屋を決める。
手続きを済ませ、シャワーを浴び、ベッドに横になり
一時間ほど微睡む。

その後、街へ出て、アントニオ氏が提示した代金が妥当であるか
調べる。というよりは向こうから勧誘に来るのだ。
大方の言い値は$150前後。どう値切っても$130止まりであった。
約束の時間にロビーで待っていたアントニオ氏も言い値の$130から、
びた一文まけてはくれなかった。
明日はマチュピチュ、翌日の午後クスコ近郊、そして日曜には
市が開かれるピサック。前金として$100を渡し、残りはチェックアウト時
支払うこととして、交渉成立。

インディオの人々に紛れ、歩道での商売を見学、広場を散策。
早めの夕食をとる。
明朝のマチュピチュ行きが早いので、9時にはベッドに
潜り込んでしまう。

*1)マテ・デ・コカ‥コカの葉を煎じたお茶。高山病に効くらしい
f0140209_11592796.jpg


by don-viajero | 2007-07-22 13:31 | Peru/Bolivia | Comments(0)
2007年 07月 19日

旅 -南米Ⅰ(ペルー・ボリビア)-

           マチュピチュ
f0140209_195765.jpg















モロッコ行きから雌伏すること二年、'96年1月、南米を目指した。                  その日、成田でチェックインを済ませ、AA(アメリカンエアーラインズ)の
出発ロビーで一人くつろいでいると、同郷のA女史、T女史の二人連れが
来るではないか!驚いた!
同じ、リマまで行くとのこと。しかも、彼女達は三ヶ月の長旅。
羨ましい限りだ。

シアトルでは米国に一旦入国手続きをする。
ここで私とデカイ荷を持ったおばちゃんだけが別のゲートへ
行くよう指示される。
黒人の係官はすべてのものをザックから取り出し、
パスポートを見ながら、徐にこう尋ねた。
「どこに住んでいますか?」
「日本です」
「なに人ですか?」
「日本人です」
-パスポートに書いてあるだろうが!このバ~カ!-
それからが大変だった。
ゆっくり話してくれと言っている私を尻目に、
拙い英語力では到底理解不能な英語を早口で捲くし立てる始末だ。
くだんの彼女たちは、離れたゲートからニコニコしながら
通関してしまった。
そのまま押し問答をしていても埒があかないので、
日本語の解る係官を呼んでもらう。
出てきたのは若い日本人女性であった。
その彼女が言うには
「貴方はたまたま運悪く、選ばれてしまっただけです。最近、
偽造パスポートで入国する中国人がいるもんですから‥‥」
-ふざけるな!-
不愉快な気分のままその場を解放されたのだった。

シアトルからは国内線に乗り換えマイアミへ。
マイアミを夜中飛び立って、ペルー・リマ・ホルヘチャベス空港には、
早朝到着。実に20時間にも及ぶフライトであった。
-やれやれ、やっと南米の地を踏むことが出来た-
と思ったのも束の間、ターンテーブルから出てきた機内預けのザックは、
口が開けられたままだった。幸い取られたものはなかったのだが、
ここでも、彼女たちに笑いを提供してしまった。
そのまま、市内へ向かう二人と別れ、クスコ行きに乗るため、
国際線の隣りにある国内線へと移動した。

トラベルにはトラブルは付き物である。
                                                                                                                       

by don-viajero | 2007-07-19 20:49 | Peru/Bolivia | Comments(2)
2007年 07月 17日

記憶・Ⅱ

このブログを書くようになって、昔認めたものを
久々に開くようになった。
読み返してみると、セピア色のものに彩りが加えられ、
-フーン-
と頷く場面も間々ある。
30数年も経った『アジアを歩く』に至っては、
-へぇ~、こんなこともあったんだぁ!-
てな具合である。
忘れていたことが色付く瞬間である。

しかし、こうしたものがあるからこそ、文字として
過去を振り返ることができるのだが、ないものは、
すべてが断片としてあやふやなものに終わってしまう。
こう考えると、ある意味、筆まめであった自分を
褒めてよいのであろう。
これらは、山行記録を単に記録だけでなく、
日記として記してきた所以であろう。

数年前、ある人にこの手書きの『アジアを歩く』を
ワープロで清書し直そうか相談したところ、
「その時々の感性が失われるからやめた方がいいよ」
と軽く諌められた。
-然もありなん!-
確かに、遠い過去の自分と今では物事の捉え方、
表現の仕方は随分と違ってくるであろう。

前述の通り、この旅のイエスタデイを記す時、
並行して、当時のガイドブックを片手に
書き写してみよう思っている。
何故なら、感性を忠実に追ってみたとき、
ヒョイと思わぬ記憶が引き出せるかもしれないから‥‥。

by don-viajero | 2007-07-17 19:27 | ◆旅/全般◆ | Comments(0)
2007年 07月 15日

記憶・Ⅰ

遠い記憶の中には不思議な出来事がある。
セピア色にくすんで心に残っている。

その日、東京では珍しく抜けるような青空が広がっていた。
前日の酔いは抜けきっていなかったが、どういうわけか
早く目覚めた。
部屋に置いてある18段変速の自転車が呼びかけた。
‥‥ような気がした。
「どこかへ行こうよ!」
窓を開けると、真っ青な空からお日さんまでもが誘っていた。
-江ノ島へ行ってみようか?-

10月の下旬といっても、そんな快晴の日はまだまだ暖かい。
休日ということもあってか国道1号線は空いていた。
去り行く秋の暖かな日差しの下、快調にペダルを
踏みつづけた。確か、お昼前には江ノ島に着いたと思う。
2時間ほどその辺をぶらついて、そろそろ帰ろうと思った時、
橋の上のいくつもの屋台を見つけた。
朝、パンと牛乳を口にしてから何も食べていない。
おでん屋の匂いに負けた。酒が飲みたくなった。
サイフの中身を確認。千円札と百円未満の小銭。
-自転車だからやめよう-
いったんは自制心が働いた。
-春宵一刻値千金(しゅんしょういっこくあたいせんきん)
  じゃなくて、秋晴(しゅうせい)‥‥だな!-
喉の奥が蠢(うごめ)いた。
日本酒を二杯。だったと思う。そしてつまみを幾種類か‥‥。
割烹着姿のおばちゃんと話をした‥‥。
内容は覚えていない。そこまでは今でも思い出す。
しかし‥‥そのあとの記憶がストンと抜け落ちている。
いったい、どうやって下北沢まで戻ったのだろうか?‥‥と。

見知らぬ街を歩いて
-いつか来たことがある-
そんな『デ・ジャブ』を体現したことはない。
しかし、
-こんなこと、以前あったよな!-
ということは幾度となくある。
それは夢の中での出来事だったかもしれないし、
忘れている遠い記憶の繋がりかもしれない。

by don-viajero | 2007-07-15 09:08 | エッセー | Comments(0)
2007年 07月 13日

ラマダン

イスラムの断食月のことである。

日の出から日没まで一切の食物を摂らない。勿論、水もだ。
厳密には生唾も飲み込んではいけないらしい。
アルコールが許されているイスラム国でさえ、この期間は禁止。
街中で売られているアルコール類も仕舞い込まれてしまう。
レストランも日中は閉店休業。
ただし、外国人が利用する高級ホテルのレストランでは、
アルコールも食事も取ることができる。
しかし、そこで働くその国の人々は口にすることは出来ない。

モロッコに入って三日目、マラケシュ滞在中にラマダンに突入した。
まともな食事にありつけないので、朝食用の食材は、
前日買い込んで、ホテルの部屋で済ませた。
『郷に入っては郷に従え』
私もラマダンに入った。
日中は食事をしない。
しかし、ミネラルウォーターだけは常に持参はしていた。
途中、ワルザザード、エルフードでは雑貨屋でビールを手に入れる
ことができたのだが、それ以降、カサブランカに戻るまで
休肝日が続いた。

夕方、屋台の前では日没を待ちわびる人々でごった返す。
おそらく一番人が集まっている店が、最も美味しいハリラ*1)を
提供してくれるのであろう。
合図は拡声器から流れるアッザーン。
一瞬の沈黙のあと訪れる喧騒。
日々食事ができることに感謝して、まずはアツアツのハリラで
空っぽの胃袋を満たす。これが空腹には実に旨い!
シシカバブ、タジン*2)へと進み、彼らの夜は延々と続くのだ。

この期間、イスラム世界では確実に経済が停滞する。
ビジネスアワーも早く閉まるし、イライラが募って、
そこかしこで喧嘩が絶えない。
ただ、食料の需要自体は増えるらしい。
夜を徹して飲み食いするためだ。一種の食い溜めである。

摩訶不思議なイスラム。
日本で生活する我々には理解し難い世界なのだ。
だから面白い!

*1)ハリラ‥モロッコ版スープ。出汁は肉(魚)
      具は豆や野菜のみじんぎり
*2)タジン‥肉と野菜のシチューみたいなもの

by don-viajero | 2007-07-13 20:38 | Maroc | Comments(0)
2007年 07月 11日

サハラ

日の出(いずる)国、日本から来た一人のオッちゃんが、
日の沈む地、マグレブ*1)の人々との想い出を数々残した旅であったが、
ハイライトは何と言ってもサハラ砂漠であろう。
エルフードの町からサハラの入り口、メルズーガ村まで
四輪駆動・ランドローバーでの砂漠ツアーが出ている。
一台貸切だ。客が集まれば等分すればいい。

エルフードの安宿(当日の宿泊者は私一人だけ)のオーナーが紹介してくれた、
自称ガイドだという彼の兄にツアーの話を持ちかけた。
その日、彼と一緒に他のホテルを回ったのだが、オフシーズンということもあって、
一人の相方も見つけることが出来なかった。
言い値400DH*2)を350DHにさせて交渉成立。
(他を当たっても400DHが相場だった)
この日記はそのサハラでの感動の記録である。

2月15日(快晴)
 4時起床。ホテルのロビーでガイドを待つ。
 しかし、横付けされた車は約束のランドローバーではなく、ボロボロベンツ。
 しかも運転手付き。
 「こいつは、このベンツとランドローバー、もう一台
 他の車を所有しているが、調子が悪いのでこれで来たんだ」
 と嘯きやがった!はなからこういうつもりだったんだろう。
 「話が違う!昨日の約束ではお前がガイド兼運ちゃん。
 しかも、車はランドローバー。私は一人分しか払わないし、
 何だ!このボロベンツは!」
 続けざま
 「当然、まけてくれるよな!50DH値下げだ!」
 私の剣幕に圧倒された彼は渋々承知した。
 要するに、彼は英語を話せるが、車を所有していない。
 そこで英語のできない白タクを雇ったということだろう。
 空には満点の星。ガタガタ道。ボロボロベンツはボッコンボッコン。
 まだ暗い夜道をスピードを上げて走る。
 前には大の大人が二人。彼らの会話を解することはできない。
 ザックからアーミーナイフを取り出し、そっと懐に忍ばせる。
 こんなところで殺されたら、それこそ完全犯罪だ。
 -日本人の一人や二人、砂漠に埋められてもどうってことないさ-
 そんな心配を他所に二人は陽気なベルベルミュージックを
 カセットからガンガン流し、
 「この音楽は気に入ったか?」
 と聞いてくる始末。
 5:45メルズーガ村に着く。
 「俺たちはここで寝て待ってるから、あの薄暗く盛り上がってる山まで行け」
 マグライトの灯りを頼りに山を目指す。
 オアシスを抜け、暫くすると足をとられるような砂地が現れる。
 足早に山を駆け上がる。ついに来たぞ!サハラへ!気が焦る。
 四つん這いになりながら30分ほどして頂上に立つ。
 渺々(びょうびょう)と続く赤い砂の山。まだ日の出までは時間がありそうだ。
 サハラの砂と戯れる。ゴロゴロ転げ回ったり、砂を空中に
 放り投げたり‥‥裸足になって駈けずり回る。
 7:01 Sunrise! この砂漠の中でたった一人。Standing Alone.
 大声を張り上げる。来て良かった!
 「カミさ~ん!子供たち~!ありがとう!!!」
 静寂の砂漠に向かって、否、すばらしい地球に向かって叫ぶ。
 砂はまるでバージンスノー。朝日を浴びてキラキラ、サラサラだ。
 廻りはゴミ一つ見当たらない。
 風がすべてを持ち去ってしまい、残ったのは赤い砂の風紋だけ。
 少しばかりの生き延びている草。そしてメルズーガの村から
 続いている一本のトレース。よく見ると足元には身体を丸めた、
 親指の頭ぐらいのフンコロガシ。
 ‥‥略‥‥

 レストランで待っていた彼らを起こし、村を出る。
 「お前はラッキーだ!」
 ―そうだとも。誰もいなかったのだからな!―
 ハイシーズンには観光客で行列になるということだった。

*1)マグレブ‥アラビア語で日の沈む地。モロッコ、アルジェリア、
       チェニジアを含むアラブ諸国のアフリカ西辺地域
*2)DH‥当時1DH=15円
 
 

by don-viajero | 2007-07-11 20:56 | Maroc | Comments(2)
2007年 07月 10日

モロッコ

f0140209_639378.jpg

               モロッコ地図   
f0140209_6413070.jpg
 
                サハラ砂漠            

by don-viajero | 2007-07-10 06:45 | Maroc | Comments(0)