陽気なイエスタデイ

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2007年 08月 30日

独り言

その家の2階で仕事をしていた。

階下から奥さんの呼ぶ声。
「お茶ですよ~」
「は~い。もう少しで一段落できますから~‥」

しばらくして下りて行き用意されている居間を覗くと、
テーブルには、奥さんのとは別に二人分のお茶が用意されていた。
私に差し出された湯呑みにお茶を注ぎながら、
「もう一人のお方は?」
「えっ!他に誰か仕事に来ているんですか?」
「あれ?お二人でやっておられたんじゃありませんか?」
「‥‥‥‥」
-そうか!独り言をブツクサ喋っていたのを勘違いしたんだな!-
そのくらい私は、はっきりした物言いで一人愚痴ていたのだ。

数人の仲間との旅行で同部屋になった友人。
「Mさんは朝からテレビに向かって一人大声を上げて怒って
いるんだよ」
こんなことは日常茶飯事だ。とても好々爺に成れそうにない。

仕事から帰宅した息子。
「ただいま~」
「お帰り~」
「☆●○●◎◆□■△▲▽▼◇※」
「お前一人か?誰か友達でも連れてきたのか?」

親子とは斯くも似るものなのだろうか‥‥。

by don-viajero | 2007-08-30 20:16 | エッセー | Comments(0)
2007年 08月 26日

野球

暑い夏を熱く戦った高校野球も終わり、静かな日曜だ。
一介の県立高校が優勝を飾ったことは喜ばしいことだった。

しかし、その後決勝相手の監督がクレームを吐いたという
記事を目にした。審判の判定に不服があるらしい。
こんなことはプロ野球でさえ日常茶飯事だ。
大相撲のようにビデオ裁定が導入されない限り、
いつまでも続く課題であろう。

昔、現楽天監督の野村氏が言った。
「巨人との試合は9人対13人(9人+審判4人)でやっている
ようなものだ」
まったく、その通りだ。
この発言には多くのアンチ巨人どもは拍手喝采で
溜飲を下げたことであろう。
このことも野球人気が落ちてきた原因の一つではなかろうか。

私たちの少年時代には糸毬(いとまり)で野球をやった。
これは芯に太いゴムの塊があり、それをボロ布の切れ端で
グルグル捲いたものだ。それほど遠くへは飛ばない。

集まる人数が少ないときには三角ベース。
ホームベースを支点におおよそ60度ぐらいが守りのスペース。
1塁と2塁があるだけだ。

もっと少人数だとチョコベース。ベース間が「ちょこっと」
しかないから‥‥。
これに使用したのは軟式テニスのゴムボール。
バットは使わず、平手で打つ。ボールを走者に当てればアウト。
狭い場所でも充分に遊べるものだった。

この変形でピンポン玉を使ったものもやった。
バット使用ではあったが、この玉は色々な変化球を
投げる事ができ、ましてや的が小さいためなかなか当てる
ことさえ難しかった。当たったところでそう遠くへは飛ばない。

今では、サッカーボールに興じている少年を見ることがあっても、
すっかり、こんな光景に出くわすことがなくなってしまった。

いよいよプロ野球も佳境に入ってきた。
さぁ、今宵もトラの試合に一喜一憂の時間が迫ってきた。

by don-viajero | 2007-08-26 17:42 | エッセー | Comments(0)
2007年 08月 23日

ニュース

どちらかというと、お世辞にも先進国とは言いがたい地域の旅を
常としている。理由は簡単だ。

まず、滞在費が安い。二週間前後ともなれば宿泊費、食事、
交通費etcを合わせれば結構な出費になってしまう。
宿泊は最低でもホットシャワー、トイレ付のシングルルーム。
内装の良し悪しはあまり気にしない。
強いていえば、受け付けの応対も加味するかな?

食事は安くて美味しければそれでいい。
しかも、その土地特有のご当地メニューはめっぽう美味くて安い!
なにも、そのような国にまで行ってイタリアンだの、フレンチだの、
ましてや日本食を食べたいとは思わない。

移動手段としては、長距離バスが圧倒する。
地元民に紛れてワイワイガヤガヤ揺られての旅は楽しい。
ガタガタ道でも眠たいときには心地良い揺り籠にもなる。
市内では頑強な足がそこかしこを案内してくれる。
歩きながら、興味深げに異邦人を見つめる子供たちを相手に時間を
潰すのも一服の清涼剤だ。

二つ目は人間だ。
擦れていない市井の人々との触れ合いはその旅の想い出に
大いに影響する。
必ず市場を覗く。「バザール」「メディナ」「メルカード」。
地域によって色々な言い方がある。人々の食生活を垣間見る
ことができるし、試食をして気に入れば調達する。
彼らとの掛け合いも楽しみの一つだ。
中には土産物屋のように手薬煉(てぐすね)惹いてカモを待ち構えている
輩もいるが、彼らにとっても食べていく手段としては致し方あるまい。
そんな人々との駆け引きも醍醐味だ。要はお互いが納得する値で
手打ちができればいいのだ。

自分が訪れた場所がニュースに上がってくるといやが応でも耳が傾く。
多くの場合悲しい事件や出来事だ。
今日日(きょうび)更に詳しい状況を調べたければネットで閲覧できる。

毎日のように世界中、北(North)からも、東(East)からも、
西(West)からも、南(South)からも流れてくる出来事。

頭文字をとってNEWS。
まったくよく名付けたものだ。

by don-viajero | 2007-08-23 20:13 | エッセー | Comments(0)
2007年 08月 19日

同級会

先日、毎年この時期にやっている小学校の同級会に出席した。
数年前、初めて参加した。会場が鮨屋というだけで‥‥。

同級会というものは、とりあえずそこそこに幸福な生活を
送っている者たちだけが集まってくるところだろう。
卒業して40年以上もご無沙汰していても、同じ町うちのことである。
それなりの噂は耳にするし、偶然逢ったりもする。
年に一回は酒を酌み交わす級友もいる。

同じ年、似たような境遇‥‥。
もちろん一人一人みんなちがっているけれど‥‥。
それぞれの人生を垣間見ることができるかもしれない‥‥。
そんな思いも相まって行ってみた。
私を含めて男性六人、女性七人。それに二年、三年時の恩師
N先生と四年から六年までの恩師H先生が席を共にした。

用事があるというN先生は一時間も経たないうちに席を立ち、
隣町の教育長を務めたのを最後に公職を退いたH先生が残り、
めっきりと年を取ったが持ち前の謹厳実直さで
それぞれに相対している。
-昔からそうだったな‥‥そこが嫌いなんだよ-
往年の癖は年齢を重ねるにつれ、さらに顕著になったようだ。

酒量も進み、大声で語り合っている時だ。一人の女性が
前に座っているH君を名指しで非難し始めた。
まるで何かを問い詰めている。明らかな「いじめ」。
その行為そのものに異論はなかったのだが、
-クラスの中でも目立たず、おとなしかったあのT子ちゃんが‥-
私は唖然として、聞き耳を立てていた。

それ以来時を経て、昨年、今年と続けて出席した。
昨年、居合わせたT子さんにあの話題を振り向けたかったのだが、
言いそびれてしまった。
-今年こそは、彼女の変貌の生い立ちを聞いてみよう-
勇んで行ったのだが、あいにく彼女は欠席。
しかし、こんなことを聞いた。
「T子さんの旦那さんって刑事なのよ」

翌日、夢を見た。
薄暗い取調室でT子刑事に激しく締め上げられているH君の‥‥。
もちろん、H君はその後出席したことはないそうだ‥‥。

by don-viajero | 2007-08-19 07:54 | エッセー | Comments(2)
2007年 08月 14日

お盆

お盆とは、先祖の霊があの世から帰ってきて家族と一緒に
楽しいひとときを過ごし、また帰っていくという日本古来の信仰に
基ずく行事である。仏教の『盂蘭盆会』(うらぼんえ)を略したもので
語源は梵語の『ウランバナ』で地獄の責め苦から救うという意味がある。

宣言通り(8月3日付)、迎え盆をしてきた。

私が幼い頃には、祖父の墓は実家から歩いて3分程の場所にあった。
周りの立派な墓石に囲まれるように、丸石に角材の墓標といった
粗末なものだった。
だからと言って、幼心にも恬(てん)として恥じはしなかった。

お参りを済ませると
-よっこらしょ-
決まって私が家まで祖父を背負っていくのが務めだった。
「お盆だけおじいちゃんと一緒なんだね」
なんて言ったかどうかは記憶にないのだが、
それらしい言葉は使ったのだろう。

墓前と同様、玄関先にも見ようには火の霊(たま)に似た樺を焚き、
快くご先祖様を迎える。
仏壇の前に置かれた座卓には胡瓜、茄子と割り箸で作った
馬と牛が飾られた。

ご先祖様は胡瓜の馬で急いでやってきて、
茄子の牛でゆっくり帰っていく。ということらしい。

はたして、泉下にいる私を背負ってくれるのは誰なのだろうか‥‥。
ご先祖様を丁重に扱ってくれるだろうか‥‥。
それとも背負う者が誰もいなかったりして‥‥。

by don-viajero | 2007-08-14 08:01 | エッセー | Comments(0)
2007年 08月 13日

分かれ道

若いころは考えたこともなかった。

少しぐらいは迷ったこともあったかもしれない。
そのほとんどは、何も訝ることなく進んできた道。
半世紀も生きてきて、このごろよく思い返す。

誰にでもあったかもしれない、もう一つの人生。
いや、一つばかりではなく派生した多くの分かれ道。
さながら、トーナメント試合を勝ち抜くように選んで、
今日がある。

あっちを選んでいたら、どうなっていただろうか‥‥。
捨ててきた人生がたくさん散っている。
後悔みたいなものが‥‥魔物みたいに散っている。

日の目を見なかった過去は‥‥。
十分に幸福であったかもしれない過去は、
さぞかし恨めしく思っているにちがいない。
まったく逆のことだって有り得るが‥‥。

しかし、明日を良しとして生きていくためには、
思い描くだけで心の奥にそっとしまい込んでおかねばなるまい。
そして、時々その引出しを開けてほくそ笑んで楽しもうか‥‥。

すでに折ってしまった枝もたくさん入っている。
些か重くなってきた引出し、用のないものだけを峻別して、
消し去ってしまう術はないものだろうか‥‥。

by don-viajero | 2007-08-13 09:40 | エッセー | Comments(5)
2007年 08月 11日

河童

夏が来るといつも思い出す。

走ることに関してはトンと駄目だった私ではあったのだが、
泳ぎでは周りの者より、贔屓目にみても頭一つ秀でていた。
『陸(おか)に上がった河童』である。

そのころは、今のようなスイミングスクールなどという洒落た
ものはなかった。さしずめ、学校のプール以外、私たち夏の
スクールはもっぱら川だった。
流れに逆らってのクロール。素潜りでにがむ(掴む)魚たち。
徒党を組んで、今週はこっちの川、来週はあっちの川と
渡り歩いたものだった。

中学三年間の水泳クラスマッチでは、毎年、最終種目
自由形リレーのアンカーを務めた。三年のときには、
そのリレーで一位、クラスは総合優勝に輝いた。

成績優秀でスポーツ万能。しかも、容姿端麗とくれば、
どの子にとっても憧れを抱くに違いない。
小学校から高校時代を通して、これに当てはまる人物は、
私の近辺にはいなかった。どれかが欠落していた。
『天は二物を与えず』だ。

ただ一人、嫌な奴がいた。
成績は抜群ではあったが、スポーツはからっきし駄目。
彼女はよく言えば合理主義者。1たす1は2。水は高いところから
低いところに流れる。弱い者は負けても仕方がない。貧乏は悪。
典型的なお金持ちのわがままお嬢さん。

数年前の夏、ある催しをきっかけに高校の同級会開催の
通知をもらった。
久しぶりに集まった仲間は、すでに頭の薄くなった者もいれば、
昔と少しも変わっていない者もいる。
私が嫌いだった彼女は欠席。
ハガキのメッセージにはこう書かれていた。
「一人息子は晴れて東京大学に入り‥‥云々」

私自身、子育ても終わり、余して生きているかどうかはともかく、
暢気に暮らしている。まるで『河童の屁』のように‥‥。

by don-viajero | 2007-08-11 08:56 | エッセー | Comments(2)
2007年 08月 09日

山/Ⅱ

高校を卒業した‥‥
というよりは高校の山岳部を卒業した私は、「孤高の人」
ならぬ加藤文太郎気取りで単独行を繰り返していた。

1974年、同人『餓鬼』設立の前の年は計78日の山行を
重ねた。その中でもピカ一は後に『餓鬼』結成に加わる
N氏との山行だ。

当時、7月下旬(26日~30日)から涸沢をベースに数日間、
竹馬の友でF高の山岳部主将だったA氏と簡単な岩場を
数本やり終えて、上高地にある高校BCに陣取っていた。
そこへ、Y氏(彼も餓鬼結成メンバー)とN氏の二人連れが
来た。この二人、滝谷をやりに来たのだった。
その日、体調の悪かったY氏はBCでの休養宣言。
急きょ、翌日(8月3日)私とN氏で前穂東壁を登攀する
話がまとまった。

奥又白谷をそのまま詰めて北尾根Ⅴ・Ⅵのコルに出た。
二人とも疲労困憊のため、Ⅳ峰直下の大きな岩の下で
ビバーグ。この判断は正しかった。一時間も経たないうちに、
空は暗くなり始め、凄い雷音。ツェルトも持って来なかった
私たちはびしょ濡れ。夕立が去った後はパンツ一丁になり、
澄み切った山々に堪能した。しかし、ゴツゴツしたガレの
上ではよく眠れぬまま、朝靄のなか早朝出発。

ところがである。目指す右岩稜の取付けを見失い、
Cフェースに出てしまった。その上を見上げると、
なんと残置カラビナが数個ぶら下っているではないか!
二人とも目的は語らずとも同じであった。

トップは私が請けた。浮石を慎重に騙しながら、少しずつ
ザイルを延ばしていく。こんな場所から逃げ出したくなる
気持ちは十二分に理解できた。しかし、汗に塗れた頬は
きっと緩んでいたに違いない。一つ一つカラビナを
回収していく。-一個〇〇円だから△△の儲けだな!-
まぁ、若気の至りというか、今思えば命知らずの行動
だったかも‥‥。
ザイルを頼りに登ってきたN氏も呆れるばかりであった。
次に続く硬い快適な岩のAフェースのトップはN氏に譲り、
無事前穂頂上に立った我々は、ルンルンで上高地へと
下って行ったのだった。

その二日後、上高地を去るN氏を見送り、私はBCで
待機していたY氏と涸沢から入り、滝谷第四尾根の登攀を
敢行したのだった。

まったく、エネルギーの塊のような身体だった。

by don-viajero | 2007-08-09 18:35 | | Comments(0)
2007年 08月 06日

山/Ⅰ

1975年2月5日
この二日前から、単独、山スキーで八方尾根から
唐松岳登頂を企てて、八方池山荘の横に雪洞を掘り、
天候の回復を待っていた。しかし、雨混じりの雪は一向に
収まる気配がなく、諦めて、この日下山した。

夕方、家に着くと高校の山岳部で同期だったY氏、
後輩のN氏が私の帰りを待っていた。Y氏が口火を切った。
「我々仲間で山岳会を作ろう!」

彼はS大学の山岳部を退部。同期で愛知出身のK氏も
同時に退部。そのK氏を加えて四人で会を結成して、
お互い金はないが先鋭的な登山を目指そうというものだった。

その頃、単独行の限界、ましてや岩への憧れを強く
抱いていた私は、どうしても、強力なザイルパートナーを
探していた矢先のことだった。彼とは高校時代、
禁止されていた近くの岩場で何回となくトレーニングをした。
その夜、酒を酌み交わし「山」談義に盛り上がったことは
言わずもがなである。

こうして、山岳同人『餓鬼』が誕生した。

2月21日~28日・北鎌尾根偵察を兼ねて、三股から
前常念経由燕の表銀縦走。(四人参加)

3月9~15日・湯俣から北鎌尾根を経て槍登頂、
上高地下山。(前回、膝を痛めたN氏は上高地経由、
横尾で待機。三人参加)

3月24日~28日・涸沢からⅤ・Ⅵのコルより北尾根経由、
前穂登頂。(Y氏と二人。コル下まで山スキー。その後、
前穂東壁登攀予定だったのだが断念)

必ず、登山計画書を地元警察署に提出していた我々
『餓鬼』は、すっかり、署内で有名になり、丁度、署員を
中心に新たな山岳会設立を模索していた彼らの誘いも
受けた。しかし、単純にポリが嫌いという理由だけで断わった。

それからは、新たな仲間を加え、ガンガン登った。
急峻な岩場を求め、静寂な雪山を目指し、
青春の限りを山にぶつけたのだった。

by don-viajero | 2007-08-06 20:29 | | Comments(0)
2007年 08月 03日

ルーツ

市(旧町)の霊園に墓所がある。
眠っているのは今のところ祖父一人だけだ。
残念ながら、私は熱心な参拝者ではない。
命日にも、彼岸にも、ここしばらく訪ねたことがない。
もっとも、私が生まれる前に他界した祖父そのものを知らない。

学生のころ、本の影響もあってか『ルーツ探し』が流行った。
御多分に洩れず私もチャレンジした。

母方は地元出身だったので容易に明治まで遡ることが出来た。
父は東京生まれだ。
その時代は簡単に戸籍謄本の閲覧が可能だったので、
近々は調べられた。あまりよく知らない祖母に関しても‥‥。
祖父の出身の富山は剣岳を登った帰り、在住の父の従弟である
叔父の家に世話になり、やはり役所で明治までの謄本を
得る事ができた。

この過程で私は何も聞かされたことのない、とんでもない事実を知った。
父だけは薄々知っていたらしい、異父兄弟の存在を確認したのだった。
祖母と再婚の連れ合い、そして二人の間にできた一人の子は、
東京大空襲で死亡。しかし、長男が存命。

私にとっては、叔父である人物の住所まで調べ上げ、父に報告した。
「逢ってみたい」
「それじゃぁ、行くだけいってみるよ」
この叔父に逢って驚いた。
勿論、一応は同じ母親のDNAを受け継いでいるのだから、
容姿は似ていて不思議ではない。
しかし、喋り方、物腰までもが父の姉である叔母にそっくりだったのだ。
仏壇には私の見知らぬ人と、初めて見る叔母似の祖母の写真が
飾られていた。
それ以降、俗に言う種違いの兄弟ではあるが、二人が兄弟として
付き合ったのは言うまでもない。

順番からすれば、父、母の次に私が入るのだろう。
ぼちぼち逝きそうになった時には、
一人静かに墓前で人生のくさぐさを伝える。
本心を呟く。誰にも聞かせたくないことを話す。
私にも一つや二つ、泉下まで持っていくであろう隠し事はある。
ご先祖様に報告するつもりである。

今年のお盆には墓参りをしよう。

by don-viajero | 2007-08-03 20:23 | エッセー | Comments(0)