陽気なイエスタデイ

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2007年 10月 29日

風邪

近頃、風邪っぴきによく出会う。

里から見上げる山々に白いものが被さってくるこの時期、
寒い日や暖かな日が無節操に繰り返すせいであろうか。
秋は秋らしく、冬は冬らしく‥‥。
どうも、様々なことが起因して季節を狂わせているらしい。
そうなれば、この星に住む我々の体調もなかなかついていくのに
難儀する。

四十を過ぎて、あまり風邪をひかなくなった。
というよりは、大敵の人込みに行かなくなったからであろう。
しかし、一度罹ってしまうと大変だ。
『鬼の霍乱(かくらん)』よろしく高熱に魘(うな)され、
職業柄、咳がいつまでも続く。
そんなときには夜、熱々の玉子酒を二杯“ガブガブ”っと飲み干し、
厚着をして寝込む。
翌朝は汗をビッショリかいて熱は下がる。

それでも、まったく人が集まるところへ行かないという
わけにもいかない。マスクをせずに「ゴホン、ゴホン」している
人を見かければ、なるべく近寄らない。
しかも、風邪っぴきの孫でも来れば、これまた、相手にしない
でいるわけにもいかない。この方がよっぽど危険だ。

風邪という病気は不思議なもので、だいたいが予知できる。
-ひょっとしたらあのときうつったかな?-
いつのまにか、その感覚を信じるようになってしまった。
しばらく忘れていたけれど、体調もあまり良くなく、
近くにあの「ゴホン、ゴホン」があれば、
予想通りに風邪をひき、脳みそは律儀に遠い記憶を
引き出してくる。

風邪ウィルスの仕組みを頭の片隅に散らしておいて
あるらしい‥‥。

by don-viajero | 2007-10-29 20:52 | エッセー | Comments(0)
2007年 10月 25日

日本酒

秋も深まり、朝晩の冷え込みが増してくると、
日本酒の燗の匂いが鼻を擽(くすぐ)る。

どんなに寒くとも、風呂前に敢えて冷凍庫にビール瓶を入れ、
火照った身体によ~く冷えた液体を注ぎ込む。
至福の瞬間である。

しかし、やはり和食、とりわけ寒い時期にはお燗がよく似合う。
そう、脳みそのほうでは理解している。
ただし、宴会でのお猪口の注ぎあいはどうもいただけない。
銚子に乗って飲み過ぎると翌朝が辛い。
ビールのそれはもっと酷(ひど)い。

穂高屏風岩で滑落し(後日述べるつもり‥)膝を痛めたため、
東京で外科通いをしていたときである。
小学生のころ、よく遊んだ一年先輩に街角で偶然出会った。
学生の分際?で同棲中のアパートに招かれた私は、
そこでしこたまビールを飲まされた。
翌朝の二日酔いは想像を絶するものだった。
-ズシ~ン、ズシ~ン、ガァ~ン、ガァ~ン-
やっとの思いで下宿先まで帰ったのだが、結局はその日の
試験を欠席する羽目に陥り、一日中フトンの中にいた。

焼酎という飲物はそのてんありがたい。
若いころ遊びに行った八丈島で、地元の若い衆と意気投合し、
大いに焼酎を飲んだ。キャンプ場までタクシーで帰ったまでは
よかったのだが、降りると腰がシャンとしない。
酔いのなかでも意識だけはしっかりしているつもりだったが、
脳みそのほうが-立て!-と指令を出しているのに、
どうしても立てない。
這いずってテントに潜り込んだ。
翌朝は頭もすっきりしていたのには驚いた。
焼酎というものをあれほど飲んだのはそれ以前も以後もない。

閑話休題
昔からよく飲んだ日本酒ではあったが、どうにもあの甘さが
気になって遠ざかっている。
お気に入りの銚子にグイ呑みを片手に手酌で、美味しい和食を
味わうのも乙でなかなかの風情ではなかろうか。
「日本人には日本酒がよく似合う」
日本人としての受け継がれてきたDNAが疼(うず)くのであろう。
加齢とともに講釈抜きに再認識してみようと思っている。

by don-viajero | 2007-10-25 20:13 | エッセー | Comments(0)
2007年 10月 22日

サフラン

今盛りだ。
最も高価な香辛料の一つでもあるこの花には
バツが悪い想い出がある。

現在の日本では1gあたり500円から1000円になるらしい。
しかし、そんな高価な香辛料でもモロッコでは安価で手に入る
ということで、土産に購入してきた。
当時、1g=5DH(1DH≒11円)。ちゃんと袋入りだった。
ただ、そのときにはそのサフランという花がどんなものなのかは
全く知らなかった‥‥。

数年後のこの時期である。
ある方の庭で、地面から咲き誇っている花を見つけた。
そこの主人に、
「なんでこんな時期にクロッカスが咲いているんですか?
 狂い咲き?」
「何を言っているんだい!これはサフランだよ」
-聞くは一時の恥じ。聞かぬは一生の恥じ-である。
「そうなんですか。どうもクロッカスにしては花が大きいと
 思いました」
このとき生まれて初めて『サフラン』を認識したのだった。

別名『秋のクロッカス』
気のせいか、それ以来あちこちの庭で見かけるようになった。
余談ではあるが、日本に初めて紹介したのはあの平賀源内だそうだ。

by don-viajero | 2007-10-22 20:20 | エッセー | Comments(0)
2007年 10月 17日

サギ/Ⅱ

恥ずかしさのあまり、親にも言えなかった。

後日、京都にいる友人と飲んでいるとき、ヒョンなことから
この話をした。するとどうだろ!彼もまったく私と同じ「詐欺」に
あったと言うではないか!
「そうなんだよ!オレとしたことが‥‥。
 お前が引っかかったのは解るがこのオレがだよ!」
まさにその通りである。
何事においても慎重な彼が騙されるくらい、
巧妙な手口であったということなのだ。

それ以降、所謂「詐欺」にあったことはない。
ましてや、海外では間間(まま)ある「騙し」もすり抜けてきている。

今年、友人と訪れたベトナムのホーチミン・シティ。
市の中心に位置し、1500もの店舗が入る最大の市場であり、
隅から隅までベトナムの匂いがぎっしりと詰まり、パワーに
満ちた空間。ベンタイン市場でのことである。

二人とも『ホーおじさん』が着ていた上下服を買うつもりだった。
市場に入って洋服屋を物色していると、
「オニイサン!」
“ガバッ”っと威勢のいいお姉さんたちに二の腕を鷲掴みされて
しまった。
「ナニガホシイノ?」
四、五人いた売り子たちはほかのショップをかけ回り、所望の
品の色違いを数品用意した。

ちゃんとしたショップで、上服だけで$15であることを
下調べしてあった私たちは、
「2着で$10」
「Oh My God ! Crazy !」
姉御肌の一人が絶句してそう叫んだ。彼女の言い値は$70。
「Oh My God ! Crazy !」
同じ言葉を言い返してやった。

いよいよ交渉が始まった。
私は$1ずつ上げる。彼女はストン、ストンと$5刻みで下げてくる。
最終$22まで下げさせた。私は$20を譲らない。
「We go to another shop.」
交渉決裂かと思いきや、不承不承$20で成立!
袋詰しながら彼女の吐いた言葉は
「You are the Mafia !」

by don-viajero | 2007-10-17 20:20 | エッセー | Comments(0)
2007年 10月 15日

サギ/Ⅰ

サギはサギでも白鷺やアオサギの話ではない。
前回のマルチに絡んでの「詐欺」である。

大学2年の時だ。
年がら年中下駄履きで、着る物にも無頓着な私ではあったが、
スーツの一着ぐらい欲しいと思い、仕送りやアルバイト代の
中から少しずつ貯めていた。

ある日の学校帰り、辺りから金木犀の匂いが香ってくる暗い夜道。
一台のワンボックスカーが背後からそぉ~っと近づいてきた。
「お兄さん!丸井の者だけど訪問販売のスーツ、一着買わない?」
そう言い寄ってきたのは、私の横に停車させ、運転席から降りてきた
ビシっとネクタイを締め、こざっぱりした三十搦(がら)みの
人物だった。やはりスーツに身を包んだ助手席の青年が、
「店舗で買うより2割安くしているんですよ!」
「ちょっと見せてください」
街灯のある明るいところまで移動し、何着か拝見した。
「いくらくらいなの?」
「3万円から4万円クラスです」
「チョット待って!部屋に行ってお金を持ってくる」

二人は車でゆっくり私の後をついてくる。
お金を用意した私は、近くにある丸井まで同乗した。
もう一度、駐車場で気に入った一着を確認すると
「3万円丁度でいいよ!」
その場で代金を支払うと、もう一人の相棒が
「先に紳士服売り場に行っていてください。箱詰めにしますから
私たちはあとから行きます」
「はい。わかりました」

売り場で待たされること10分。
待てど暮らせど現れないので、その場に居合わせた女子店員に、
「あのぉ、〇〇さんはまだ来ませんか?」
「そんな名前の人はいませんよ!」
―騙された!―
あまりのドジで警察に届けることすら考えが及ばなかった。

金木犀の香りがする頃になると、いつもこの苦い思い出が脳みその
片隅を擽(くすぐ)るのである‥‥。

by don-viajero | 2007-10-15 20:43 | エッセー | Comments(0)
2007年 10月 12日

マルチ

最近話題の「L&G」。「Ladies&Gentlemen」を略したものだが、
「Lie&Greed」(嘘と欲張り)と揶揄する輩もあるらしい。

学生の頃、突然、さほど親しくはなかった高校の同級生から
下宿先に連絡があった。
「近いうちに話したいことがあるから逢いたいんだが、どう?」
「あぁ、いつでもいいよ!」

待ち合わせ場所の渋谷ハチ公前から連れて行かれたのは、
薄暗いビルの一室。
講師のような人物を前にして、数十人はいただろうか。
一時間ほどバカらしい話を聞いていた。

そこでの内容は車のオイル販売に関わる、今でいう「マルチ」であった。
その頃、純真無垢で人を疑うことを知らない?私は彼の目的も
問うことなくついて行った。

その手の勧誘には一切関心のない私にとっては少なからず
ショックであった。
「お前!友達無くすぞ!」
捨て台詞だった。
端からこのことを話していれば、彼の誘いにも応じなかったであろう。
それ以降、彼との接触はない。

マルチや電話での勧誘の常套手段。
「簡単にお金を儲けさせてあげましょう!」
そんなにも儲けさせたいのなら、黙ってお金だけ
送ってくれればいいのに‥‥。

中学の同級だったY子もこの種のマルチに嵌っている。
ここ数年、何度となく電話が入る。
彼女の説明のほとんどは、まるで宗教まがいで到底相手にはなって
いられない。まっとうな思考ではない。
やはり、こう告げる。
「お前!友達無くすぞ!」
と。しかし、彼女の返事は
「いまさら止められない」
この会社は今年8月、経済産業省から業務停止命令が下された。

彼女の
「豪華客船で世界一周してみたくない?」
そのときの私が感じた空しさを、
今漸く、気付いたのではないだろうか‥‥。

by don-viajero | 2007-10-12 20:16 | エッセー | Comments(0)
2007年 10月 08日

寄り道・裏道・迷い道

ある日、こんな言葉がラジオから耳に留まった。
気になっていたので、この三つを自分なりに考えて見た。

寄り道
さしずめ、私の世界一人旅は己の人生のなかでは
寄り道かもしれない。
今の形態では決して線で結ぶこともできず、あちこちに
点を増やすだけのものではあるが‥‥。
それでも、もう一度
―あの場所を訪ねてみたい―
それは名所でもなければ旧跡でもない。
そのときどきに接した人々との再会であろう。
私にとっては、日本から離れた非日常的な日々であっても、
そこで暮らしている市井の人々には、ただただ彼等の日常生活に
ひょっこり現れた異邦人の一人にすぎない。
所詮、同じ場所に留まることは出来ない。それぞれの歳月に
連れ去られ、違う場所で別な人間になっていくのだろう。

裏道
「おてんと様に逆らって生きちゃぁいけねぇよ!」
と“とらさん”に叱られそうだ。
少なくとも、裏街道は歩んできてはいないと思っている。
人生のなかで、一歩ぐらい踏み込んだことはあっても、
二歩三歩はないだろう。
「人生いろいろ‥‥」ではないが、已む無い(やむない)事情で
その方面へ行ってしまった人々は不幸である。それでも表道からは、
絶えず光が洩れている筈である。それを求めないのはもっと不幸だ。

迷い道
人生とは、すべてにおいてこの道を歩むことではないだろうか。
迷うということはとどのつまり、確立の問題でどちらが自分にとって
得策か、そうでないかということ。
そのなかでもいろいろな可能性を探る手順だ。
これは以前(8月13日)記した「分かれ道」にも通じることではあるが、
生きていくということは、どの道、そうした可能性を次々に切り捨てて、
たった一本の道を選んでいく。それ以外方法がない。
その結果、それぞれの過去には選ばれなかった人生が
死屍累々と散っているのであろう‥‥。

by don-viajero | 2007-10-08 19:16 | エッセー | Comments(0)
2007年 10月 05日

針ノ木岳

日本三大雪渓の一つであるこの谷の入り口に大沢小屋がある。
「山を想えば人恋し 人を想えば山恋し」と刻まれた百瀬慎太郎氏の
レリーフが小屋の脇にはめ込まれている。

1974年4月、この小屋の上部から派生するビョウブ尾根を
単独登攀した。積雪期だけのルートだ。
天候はこのうえなく快適で、有り余る残雪を照らす春の陽光は
強烈である。時間とともに気温も上昇し、小さな雪崩が「ゴォー」
という不気味な音を残していたる所で発生している。

登り始めは膝まで潜る腐れ雪ではあったが、高度を稼ぐにつれ
しっかりした雪稜に食い込むアイゼンの歯が小気味よく刻んでゆく。
午後3時頃には、スバリ岳と赤沢岳の鞍部・白沢のコルより右手の
赤沢岳寄りの稜線に出る。
しばらく、立山に沈み行く夕日を眺め、気温が下がるのを待つ。
スバリ岳と針ノ木岳の鞍部・マヤクボのコルから豪快なシリセードで
マヤクボ沢を一人、絶叫マシーン如く興奮の大声を上げて滑り下りた。

私がこの針ノ木を訪れたのは、高校2年6月のとき。
地区の高校山岳部を対象にした登山講習会が催された。
我が校では顧問一人、同期のY氏の三人で参加。

ところが、雪渓途中にあるテン場に全員が到着し終えたとき、
どこかの部員が急病になったらしく、辺りは騒然とした。
その時である。引率に指示を受けている、地元のO高校主将N氏の
毅然として落ち着き払った姿を目の当りにしたのだった。
同じ中学の一年先輩である氏の存在は知ってはいたが、
その振る舞い、勇姿をシャモニーの名ガイド、ガストン・レビュファーと
重ね合わせていた。

ヨーロッパ・アルプス6大北壁登攀記録が収められた
レビュファー著「星と嵐」(近藤等訳)を読み終えたばかりの私は、
その本にあった細身で頑強な登山靴から延びたか細いがしっかりした
足首に見入ってしまったのだった。

それ以来、私は勝手にN氏を「O高のレビュファー」と名付けた。

運命とは不思議なもので、その氏とはいまでは隣組であり、
世話にもなっている。

それでも、彼の醸し出すオーラは相変わらず私のなかでは
“ガストン・レビュファー”そのものであることに変わりがない‥‥。

by don-viajero | 2007-10-05 20:14 | | Comments(2)
2007年 10月 02日

保育園

先日、孫が通う保育園の運動会を見に行った。

自分の子等のときには、周りの保護者がみんな友達みたいなものだから、
親も一緒になってそのイベントを楽しんだ。

しかし、孫ともなれば一歩引いて落ち着いて見学することができた。
遥か遠いセピア色した昔、自分が保育園児だったころの運動会を
重ね合わせて想い出してしまった。
それは多分に、その時のアルバムが残されているからであろう‥‥。

私が通っていた保育園は私立。当時公立のそれはなかった。
だから、今の感覚でいう私立のおぼっちゃん、おじょうちゃん保育園とは
まったく違う。近所の子の殆どがそこへ行った。

10年ほど前、近々にその園を閉鎖するという、設立当時から
オーナー兼園長(女性)宅の仕事をした。

齢、70は超えていただろうか‥‥。
昔からの変わらぬ威厳を保ち、矍鑠(かくしゃく)としておられた。
私の名前まで覚えていた。
「F君はやさしくて、おとなしかったよね!」
「はい、いまでもそうですよ!」
「うそおっしゃい!大声を張り上げて、少しもやさしく見えませんよ!」
「すみません。加齢がそうさせたのでしょうか?」
普段からおもねくことを忌み嫌う性格の私は、片々たる思いで、
「園長先生、保育園児のように純真無垢なまま素直に大人になった
奴なんていませんよ!」
と、恬(てん)として恥じることもなく言い放したのだった。

その園で育ててもらって以来の再会は、園長にしてみれば私は
彼女が受け持った一保育園児ではあるが、私にとってみれば、
すでに、対大人の関係なのだ。

まったく、幼かったころをよく知っている人物とは厄介なものである。
ましてや、ちっちゃな保育園児にとっては近寄り難い存在だった
園長ともなれば尚更である。

まるで借りてきた猫である‥‥。

by don-viajero | 2007-10-02 21:33 | エッセー | Comments(0)