陽気なイエスタデイ

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2008年 01月 29日

ボーダー(国境)

今回三種類のボーダー越えをした。
タイ・チェンコーン→ラオス・フェイサイの水路によるもの。
ラオス・ビエンチャン→カンボジア・プノンペンの空路によるもの。
そして昨日のカンボジア・ポイペト→タイ・アランヤプラテートの
陸路である。

シェムリアプにあるツァー会社の事務所の前で
7:30発バンコク行きのツーリストバスを待っていた。
ここでは圧倒的に欧米人が多い。
しかし、横付けされた車はお世辞にも上等とはいえない
中型バスだった。
私も含め乗客たちは
-こんなボロバスでボーダーまで行くのかー
そんな顔をしていた。

効きの悪いエアコン。しかもシェムリアプを出て30分もしないうちに
土ぼこりを巻き上げる無舗装の道路がずっと続いた。
窓を開けられない状態で1時過ぎにタイボーダーに到着。
ここで全員が降り、出国手続き。タイ側のイミグレまで
歩いて行くことになる。
別にここがカンボジアとタイの国境だという線が引かれている
わけではない。この数分間が
ーオレは今国境を跨いでいるのだー
という独特な感慨に陥る。

タイ側で待機していたのは大型デラックスバス。
道も完全舗装の快適な走行であった。
夜7時を少しまわったころ、今回の旅の起点であった
バンコク・カオサンに到着した。

この日の行程はかつてパーレビ王朝時代のイランから
当時から最貧国の一つであったアフガニスタンの
国境越えの逆のパターンであった。
たった数分間歩くことでタイムマシンの入り口に入るような
もので、二つの国の違いをまざまざと知らされる一場面である。

いよいよ今宵一晩で帰国だ。
今回もさまざまな思い出を残し、楽しかった旅も
終わりを告げる。
そして私自身の非日常世界から日常世界へと戻る
タイムマシンをくぐらなければならない時が近づいた。

by don-viajero | 2008-01-29 20:17 | Thai/Laos/Cambodia | Comments(0)
2008年 01月 27日

神々の住むアンコール/Ⅱ

おびただしい数の見学者といってもアンコール・ワット以外、
広大なアンコール・トムを含む周辺に点在する遺跡は
そんなに混み合ってはいない。

この三日間レンタサイクル(一日/$1)で、アンコールの風と
なって廻った。泥沼のなかでナマズ捕りに励む村人たちとの
触れ合い。閑散とした遺跡で裸足のまま土産物売りをする
子供たちとの楽しい時間。といっても彼らにとってみれば
何も買ってくれない招かざる客だったかもしれない‥‥。

西バライ(人造池)方面のジャングルに沈む夕日を見に
行った時のことだ。
プノム・バケンという唯一高台にある遺跡である。
眼下にはアンコール・ワットをはじめ360度の展望が開けている。

早めに登った私ではあったがすでに遺跡の上には多くの人々。
まさに陣取り合戦である。階段近くに確保した私は、ゼーゼーいって
登ってくる日本人団体のグループであろう私と同世代ぐらいの
女性たちを見た。遅れてきた彼女たちはあまりの人の多さに
驚きしばらく息を整えるとその時を待たずに降りようとした。
すぐ後からは数人の若い韓国の女性たちが階段の途中で
振り向いて景色に見とれていた。
「あんたたち!これから降りるんだからどいてちょうだい!」
同じ日本人にさえこんなことは言わないだろう。
それとも日本人ではないからこんな暴言を吐いたのか‥‥。
とはいっても世界中の国々から集まってくるところである。
あまりの横柄な態度に韓国人の彼女たちでさえ
怒りの色を見せていた。

こうした一部の日本人によるマナーの悪さもさることながら、
韓国人団体の行動は目に余るものがある。

ここアンコールは世界遺産としてではなく、一大観光地として
とらえたほうがよいのかもしれない。

ここと同様にガッカリさせるであろうエジプト行きを
未だに決心がつかない私である。

                        (シェムリアプにて)

by don-viajero | 2008-01-27 16:57 | Thai/Laos/Cambodia | Comments(0)
2008年 01月 27日

神々の住むアンコール/Ⅰ

広大なアンコール遺跡群を堪能するため、
シェムリアプの街に4泊する計画を立てた。

クメール族の国・アンコール朝が残したアジア最大の遺跡群。
とりわけアンコール・ワットの見学者数はおびただしいものがある。
数多くの世界遺産を訪れてきた私にとっても、これほどの見学者が
いる遺跡を目にするのは初めてである。
そのなかでも、圧倒しているのがコレアン・パワーだ。
団体や若い娘たちのグループ。次に中国系、日本人の団体、
そして欧米人の団体やアベックである。

狭い回廊を列をなして歩くのだ。
ノーガイドでガイドブック片手の私は、韓国語、中国語、英語、
日本語、スペイン語、フランス語‥‥さまざまな言語のガイドさんの
案内で、見るべき壁画レリーフポイントが判るのでありがたい。

昨年訪れたベトナムを含め東南アジアばかりでなく、
今、インドでは若い韓国人たちの訪問が空前のブームらしい。
私がインド等を旅した時。日本にあってそれは森本哲郎著
「豊かさへの旅」や小田実著「何でも見てやろう」世代であった。
次の世代が沢木耕太郎著「深夜特急」であろう。

マチュピチュの場合、交通手段は鉄道だけだ。
そのためクスコからの限られた本数の列車しかないのだ。
麓の駅からはハイラム・ビンガム道をピストン輸送する
ミニバス。頂上には高級ホテルが一軒のみ。
急勾配の道の崩落はいたしかたないとしても
一日の訪問者数は限られる。
だからこそ、この空中都市はゆっくり見学できる世界遺産なのだ。

ここアンコールは違う。毎日、巨大な口を広げて多くの観光客を
飲み込んでいる。
空には騒がしい観光ヘリが旋回し、気球までがあがっている。
道には観光客のバイク(レンタバイク等)の乗り入れは
禁止されたというのに、バイタク屋、ツゥクツゥク、団体バス、
マイクロバスがひっきりなしに行き交っている。
申し訳程度に循環電動自動車が空気を乗せて走っている。

はたしてこのままの状況でこの貴重な世界遺産を
守っていくことができるのであろうか。
周辺に暮らし、観光を生業としている人々やそれにかかわる
住民と自然もあるだろうが‥‥。
それはまるで陶冶(とうや)の途上にある世界遺産といっても
過言ではないだろう。

アンコールの神々が静かに朝を迎える日は当分
来ることはないのであろう。

                           (シェムリアプにて)

by don-viajero | 2008-01-27 16:18 | Thai/Laos/Cambodia | Comments(0)
2008年 01月 23日

混沌

この喧騒はいったい何なのだろう?

ラワルピンディの雑多、オールドデリーの放尿後の乾いた匂い、
ホーチミンのバイクの嵐。
それらをすべて一緒くたにしたような街。

昼過ぎ、プノンペン国際空港に降り立った私は、
待ち構えていた若いバイタク屋(50ccのバイクタクシー)の
背に跨り中心街にあるセントラルマーケットを目指した。

かつて「東洋のパリ」「インドシナのオアシス」と称えられた街も、
1970年代からの内戦と社会主義政策の誕生で荒廃し、
一時はポルポトによってゴーストタウン化してしまった。

南中する太陽と熱風。車道も広い歩道もバイクと車と
若者たちの群れで溢れかえっている。その中から
時おり現れる物乞い。

宿も大きなスーパーもドル表示。安食堂でさえドル紙幣が
飛び交っている。明らかにドル中心の経済。
スーパーのレジに並んでいると、前のおばちゃんが開けた
大き目のバッグには驚くほど大量の現地リエル札。
その中に混じって入っている様々なドル札。
現金は自分で守るものなのか?
銀行も自国の通貨さえも信用されていないのだろうか?
ただ、私にとってありがたいのは、おそらくは酒税が課せられて
いないビールだ。しかもこんな所で見かけた
アサヒスーパードライ缶(350cc)が$0.5という安価で
売られていることだ。

今、再び息を吹き返した王都は急速な発展とともに
街なかを行き交う人と物でいっぱいだ。
いつの日か自国の通貨を信頼し、恒久的な平和を
喜び続ける彼らは、南国の強烈な日差しに負けないくらい
若いエネルギーに満ち溢れている。

              (プノンペンにて)

by don-viajero | 2008-01-23 19:02 | Thai/Laos/Cambodia | Comments(1)
2008年 01月 21日

癒しの国

日本では大寒だというのに、ここメコンの日中の
暑さは相変わらずだ。
ビエンチャンの街も私もグッタリ。

朝靄の中を定刻より15分遅れの6時45分にルアンパバーンの
バスターミナルを出発したエクスプレスバスは、
山の中をガーガー唸って登って行く。
しばらくすると、雲上の道を走り、眼下にはすばらしい
雲海が広がっていた。
時折、疎らな人家があるぐらいで、まるでひと気のない
八坂村を登ったり下ったりの繰り返しをその行程の
ほとんどの時間、8時間を費やしたのだった。

途中、わずかばかりの開けた村で休憩やランチタイムをとり、
広大なビエンチャン平原を更に1時間ほど走り、
午後4時少し前にはビエンチャンのバスターミナルに到着。

宿から数分歩くと目前には、乾期のためすべてを水で
埋め尽くされてはいない広大なメコン川。
広いところで対岸のタイまでは3kmはあると思われる。

屋台で焼き上がったエビ、ブタの焼き串、塩焼きの川魚を
つまみにビールを飲む。
一日の疲れを沈みゆく夕日とともに消し忘れさせてくれる。

世界を旅した多くの人たちが言う。
「人がいい」のはイエメン人とミャンマー人だそうだ。
一昨年、イエメンを訪れてみてこの言葉は確かにそうであった。

このラオス。たった一週間の急ぎ旅ではあったが、
私が接した人々はボルこともなく、ましてやつり銭を
誤魔化すことなどという不埒な者は一人としていなかった。
朝、誰とはなしに「サバイデー」(おはよう)と気軽に
声をかけてくる。
数多くの旅行者と接する彼らにしてそうなのだから、
「人がいい」人々が暮らす国の一つであろう。

もし、次回また訪れることができたなら北部方面を
ゆっくり旅したい「癒しの国・ラオス」である。

                 (ビエンチャンにて)

by don-viajero | 2008-01-21 16:23 | Thai/Laos/Cambodia | Comments(1)
2008年 01月 18日

メコン

乗合ボートは客が8人集まると静かなエンジン音を
響かせて、ゆったりと流れる川幅200mほどのメコンを
ゆっくりと対岸の国境・フェイサイに向かった。

遠い昔、今ではすっかり色褪せたセピア色の記憶のなかから、
トルコからイランへの国境越えが甦った。

こちらは同じ水の上といっても湖上である。
当時、アンカラ発テヘラン行の列車に乗り込んだ。
そのなかでも、同じコンパートメントに乗り合わせた
スペイン人の可愛らしい奥さんセーラ(何れ太っちょに
なるだろうとは思ったが‥‥)を連れ立った石橋さん。
そして小柄で陽気なアメリカ青年ヤングとの過ごした時間を
今でも鮮明に覚えている。
歌を唄ったり、トランプをしたりと楽しい列車旅であった。

たしか、テヘラン行の列車だけが乗客を乗せたまま
切り離され、巨大なフェリーに飲み込まれた。
出入国検査も列車内で済ませ、そのまま
イラン鉄道の軌道に乗ったのだった。

タイ出国もラオス入国も手数料を取られることもなく、
ましてや荷物検査などなく、あっさりと通過。
なんびともパスポートいう身分証明書だけで国境を
行き来できたらどんなにか気楽なことであろうか。

夕食はメコンを隔ててタイ側の低い山並みに沈む夕日を
眺められるレストランで摂った。
どこかオドオドしていて朴訥な従業員たち。

以前、某旅行会社に勤める知人から薦められて応募した
ODAに関する作文。
これに推挙されれば無料でラオスに行けるということで
投稿してみた。
どうせならODAを賛辞するのではなく、とことん批判したほうが
目に留まると思い、痛烈なものを送った。作文の最後に
「だからこそ、ODAの本当の姿を確かめたい‥‥」
というようなものであった。
しかしながら当然の如く没。
それ以来、訪れてみたい国の一つに加えられた。

ほんの20数年前では鎖国同然の状態であった社会主義国も
旧ソ連のペレストロイカ後、隣国ベトナム同様に市場経済化政策は
この国の人々にも変化の激流となって押し寄せたことであろう。

メコンの穏やかな流れだけが彼らを静かに見続けている。
彼方に沈む夕日を眺め、メコンの恵みに感謝するラオスの人々の姿は、
今も昔のままなのだろう。

                  (ルアンパバーンにて)

by don-viajero | 2008-01-18 22:14 | Thai/Laos/Cambodia | Comments(0)
2008年 01月 13日

欧米化

昨年訪れたベトナムではどこの街でも小さな雑貨屋が
軒を連ねていた。
小さな冷蔵庫にビールやジュース、ミネラルウォーターが
入って、駄菓子や日用品が所狭しと並べられていた。

ここカオサンではコンビニが幅を利かせている。
たった200mの通りに5店もひしめいているのだ。
ビンビンにクーラーの効いた店内は外人客でいつでも
溢れかえっている。
これでは昔ながらのおじいちゃん、おばあちゃんの店が
太刀打ちできるはずがない。
日本でもそうなったように、一抹の寂しさがあるものの
時代の流れであろう。
遅かれ早かれ、ベトナムでもこうした光景を目の当たりに
するのも遠い未来ではなかろう。

通りにはカフェテラスと化した西洋風のレストランが
早朝から開いている。夕方ともなれば西欧人で一杯だ。
しかし、一本隔てた裏通りには庶民的な地元食を
提供してくれる飯屋がたくさんある。
ビールもそういったレストランの半額だ。100Bもあれば
気持ちよく酔い、腹も十二分に膨らむ。

もちろん、私は好んでこちらの店を利用している。

*……1B≒3.3円
         (バンコクにて)

by don-viajero | 2008-01-13 16:29 | Thai/Laos/Cambodia | Comments(4)
2008年 01月 11日

メコンの国々

『微笑みの国』タイ・バンコクから「サワッディー!」

昨日、定刻に遅れること20分、17時50分に成田を発ったANA・915便。
2006年8月にオープンしたばかりのバンコク・スアンナプーム空港には
予定通り22時50分着。
スムーズにイミグレを抜け、表に出ると
ムッとする熱気がねっとりと全身を包み込んだ。

30数年前、旧国際空港のドンムアンに夜中トランジットとして、
タラップを降りたときの体感が甦った。

貧乏旅行の起点であるバンコク最大の安宿街「カオサン」に
着いたのは、乗客4人だけを乗せたエアーポートバスで
すでに夜中12時を過ぎていた。

どこの国でも若者たちはこんな真夜中でも元気である。
地元民、様々な国の旅人たちが屯している。
もちろん屋台もところ狭しと店を開いている。
予約しておいた宿もすぐに見つかりチェックイン。

これから本格的な旅が始まる。
バンコクを起点として、このインドシナを巡る旅も
私の「陽気なイエスタデイ」の一ページとして
加わることになるだろう。

                     (バンコクにて)

by don-viajero | 2008-01-11 09:29 | Thai/Laos/Cambodia | Comments(3)
2008年 01月 06日

正月

今年も6日目に入り、今日は小寒だ。

穏やかな安曇野からはアルプスの白き山稜上に、
ここ数日の晴天を約束させてくれるウェッフェルン(雪煙)が
巻き上がっている。

山に夢中になっていたころには、暖かな部屋で正月を
迎えたいなどとは無想だに思わなかった。
暮れも近づくと山行の計画をたて雪山のなかで
新年を迎えるのが常であった。

大学を卒業して数年後、しばらく逢っていなかった
同学年の山仲間二人が家族を連れ遊びに来た。

それ以来、A氏の住むあきる野(以前は木場であったが)、
K氏の伊勢原と交代で新年会をしてくれる。
最近では彼らの後輩で、私も一度一緒に山行をした
E氏も加わり、一年分の話を語り明かす。

すでに四半世紀以上に及ぶ付き合いである。
若いころには甲論乙駁(こうろんおつばく)で、
座がしらけかけたこともあったろうが、
そんなときにも陶然(とうぜん)のなかでは
忘れてしまう。

気の置けない友らとのそれは年を重ねるごとに
酒の量も減り、それぞれの脳みそのほうも
だいぶくたびれてはきたが、新年の行事として
楽しみな一つである。

彼らの家に招かれてばかりの私としては、
最近は必ずキッチンを借り、一品料理を提供する。
なかなか好評だ。
ちなみに今回は「牡蠣の白ワイン煮」を作ってみた。

再び元気な姿での出会いを約束して別れた。
それぞれの新たな一年が始まったばかりである。

by don-viajero | 2008-01-06 19:58 | エッセー | Comments(4)