陽気なイエスタデイ

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2008年 08月 27日

悪戯

廊下にある鍵のかかっていない個人用ロッカーの
扉を彼女は静かに開けた。
そして、その中にあった白封筒を開封した。

物陰からは、われわれ二人が次のアクションを
笑いを堪(こら)えながら待ち構えていた。

高校時代、どうにも鼻につく女子がいた。
仲間のあいだでも悪名高き、チャラチャラした女子だった。
山岳部同期のT氏とで、なんとか彼女をギャフンと
させることができないものか頭を捻っていた。
そこで思いついたのが「ラブレター作戦」。
もちろん、差出人の名は記さなかった。

どれほど彼女を好いているかをつらつらと書き記し、
しかも、ご丁寧に下ネタも交えて‥‥。

その「ラブレター」を読み終えた彼女は、
明らかに顔を曇らせ、辺りをキョロキョロしだした。
われわれは交互に、今にも噴出しそうな口元を
押さえながら、何食わぬ顔をして彼女の脇を通り過ぎる。

先月、こんな新聞記事があった。
「松本市内の高校で、下駄箱にラブレターじゃなく、
 殺人予告!」
-女子生徒の態度が気に入らなかった-
この事件を起こした男子生徒は書類送検された。

「悪戯」にもいろいろある。
マルセリーノ坊やの『汚れなき悪戯』のようなものもあれば、
陽気なものから陰湿なものまである。
発想は同じでも異なった行動をする「悪戯」。

茫洋とした記憶のなかから、そんな「悪戯」を思い出した。

by don-viajero | 2008-08-27 19:56 | エッセー | Comments(0)
2008年 08月 22日

超短編小説 『笹舟』

新緑が眩しいある日、一人渓流釣りに出かけた。
若葉からの木漏れ日も踊るような陽光だった。
ただ、そんな日に限って釣果はさっぱりだ。

うらうらと気が遠くなるような長閑な午後。
一つ二つ浮かんだ雲が空の青さを際立たせている。

たっぷりと陽光を吸い取った大きな花崗岩の上に、
釣竿を投げ出して寝転んだ。
手が届く所に生えていたクマザサで笹舟を作り、
静かな流れの川面(かわも)に浮かべた。
ちっちゃな笹舟一艘だけの旅立ちだ。
しばらくはそれを目で追っていた。
そのうちウトウトと微睡(まどろ)み始めた。

瑞々(みずみず)しい緑の笹舟は、激しい流れに揉まれ、
やがて穏やかな流れの広い川辺へと出た。
子供たちが遊ぶ浅瀬では、彼らの手や足のぬくもりに触れ、
歓声と水しぶきにかき消されて気づかれることもなく、
再び川下へとゆったりと流れてゆく。

銀色の鏡のような凪いだ海原に辿りついた。
ボロボロになった笹舟は夕餉(ゆうげ)を漁る小魚に引き込まれ、
真っ黒な海底へと沈んでいった。

ブルっ!とする冷ややかな風が川面を舐めたとき目覚めた。
-あの笹舟は無事、海まで行くことができるだろうか?-

釣果のないままの帰路。
目の前に飛び込んできたのは、
流れを寸断するでっかいコンクリートの塊だった。

by don-viajero | 2008-08-22 21:40 | 超短編小説 | Comments(0)
2008年 08月 17日

匂い

以前、私はよく夢を見るほうだと記した。
それでも、そのなかに「匂い」が漂うものは滅多にない。

ところが先日、久しぶりにその「匂い」が伴うものを見た。
どういうわけかぬか漬けの「匂い」だった。
夢の内容よりも遥かにはっきりと思い出すぐらい強烈だった。

旅に出て空港を降り立つと、
その国の「匂い」が必ずといって鼻を擽(くすぐ)る。

それがそれぞれどんな香りから発する「匂い」なのか
説明するのは難しい。
カサブランカは「イスラムの香り」。
クスコは「インカの香り」。
グアテマラ・フローレスは「マヤの香り」。
ウズベキスタン・ブハラは「シルクロードの蠱惑の香り」。
サナァは「乾いた砂漠の香り」‥‥。

旅人だけが手に入れられる非日常的な嗅覚。
それは初めて見る情景とともに飛び込んでくるもので、
拒絶できない感覚である。

そして今朝、空気が凜としていた。
それは季節が着実に秋に向かっている「匂い」だった。

われわれは今を生きる旅人なのだ。

by don-viajero | 2008-08-17 06:44 | ◆旅/全般◆ | Comments(0)
2008年 08月 16日

超短編小説 『夢の途中』

夢を見ていた。

つけっぱなしのラジオから
けたたましいDJの語りとともに
グループサウンズの曲が流れている。

階下から母の
「はやく起きなさ~い!ごはんですよ~!」

目が覚めた。
壁にはハンガーに吊るされた学生服。
部屋中に張られた三角ペナントや
等身大のジョーニー・ウォーカー、
天井にはポール・マッカトニーのポスター。
ベッドのなかには中学生の私がいた。

-そうだ!斜向(はすむ)かいのみよちゃんに
 「おはよう」の挨拶しなくっちゃ!-
甘酸っぱさの残る片思い。

夢よ!覚めないでくれ!

by don-viajero | 2008-08-16 07:39 | | Comments(0)
2008年 08月 13日

中高年登山

夏山も本格シーズンに入り、毎日のように60歳前後の
事故のニュースが流れる。なかには70歳を超える人もいるのには
驚きを通り越して呆れるばかりである。

我々が山に狂っていた時代には、同世代の人間が主だった。
そういった残党が中高年登山として、今でも登り続けているのかもしれない。
しかし、その多くは登山ツァーから始まり、深田久弥の「日本百名山」が
火をつけたことも否めないであろう。

山に登ることは一歩一歩進めれば、そう難しいことではない。
だが問題は下りだ。老化した膝が脳みそで考えているようには動かない。
結果、浮き石に乗り、こけて転落。そんなのばっかりだ。

みんなそれなりのトレーニングをして登っているのか疑いたくなる。
私は週一で10㌔ランニング等をやっている。
(このことに関しては後日「ダイエット」に絡んで記すことにするとして‥)
おかげで現在、体力年齢42歳を維持し続けている。
さりとて、危なっかしいおじちゃんやおばちゃんたちが蠢(うごめ)く山に
行こうとは思わない。これは山に冷めたのではなく、
昔のように登れない自分を容易に察するからである。

'74年夏、上高地にあった高校のBCをたち、横尾本谷右俣から横尾尾根。
岩稜が続く尾根上の岩の下でビバーグ。南岳経由で槍ヶ岳。
大勢で賑わう槍の頂上を尻目に子槍登頂。一人大の字になってトカゲ。
帰り際、遥か眼下の千丈沢目掛けて小キジを打つ。懸垂下降で降り、
先輩のいる大天荘で一泊。翌日、常念小屋から一ノ俣を下りBCへ。
おそらくそんな元気一杯な登山を出来ない寂しさが、
登ることを躊躇(ためら)わせているのかもしれない‥‥。

雑学:「アルプス一万尺」
♪アルプス一万尺 子槍の上で アルペン踊りを さぁ踊りましょう 
 子槍の上で 小キジを打てば 千丈沢に 虹が出る♪
何故、槍の頂上ではなく子槍なのか?これは槍ヶ岳の標高が3180m、
子槍が3030m。ちょうど一万尺だから。
ただし、その頂上は踊れるほど広くはない。

by don-viajero | 2008-08-13 08:05 | | Comments(0)
2008年 08月 09日

街のヘリコプター

このフレーズで何を思い浮かべるでしょうか?
私の年代以上の方なら「あぁ!‥‥」
と思い出すことができるかもしれない。
これは「オート三輪自動車」のキャッチコピーだ。

私が覚えているのはまだ、バーハンドルの頃からだ。
ウィンカーは自転車のブレーキみたいなものを引けば、
「カッチャ」と横からオレンジ色をした棒状の
プラスチックが飛び出す。
まるでオートバイの周りに厚い鉄板が被さったものだ。
しばらくして小型の丸いハンドルに変わった。
また、この時代の車にはエアコンなどない代わりに、
風を取り入れる三角窓も付いていた。
心地よい風が身体を通り抜けた。

小回りがきき、昔のような狭い路地でもスイスイ。
荷台に多くの品物が載せることができたので、
商売人が挙(こぞ)って買い求めた。
目まいがするような高度成長以前の田舎や街に、
新たな未来と活気を運んで、クルクル大活躍をしていた。

今年の一月に訪れたインドシナでも、
同じタイプの「トゥクトゥク」に大いに世話になった。

おそらくあのオート三輪の代用が軽トラックであろう。
特に田舎であるこの地の農家はもちろんのこと、
数多く道路を行き来している。
私もこの都合のよい乗り物を重宝している。
まるでスクーター代わりにだ。

私にとっての「軽ットラ」は空は飛べないが、
「小さなヘリコプター」である。

by don-viajero | 2008-08-09 18:02 | エッセー | Comments(0)
2008年 08月 02日

思い出の一冊・Ⅰ

『サハラに死す-上温湯隆(かみおんゆたかし)の一生-』

この本を手にしたのは、長い旅から帰ってきてからだった。
前編として『サハラに賭けた青春』も併せて購入した。
こちらは彼がサハラに行き着くまでの軌跡である。

アフリカ、東西7000キロに及ぶサハラ砂漠。
果てしなき砂の海。
人跡未踏であったサハラ砂漠に一頭のラクダと共に単身で挑み、
22歳の命を燃やした日本人青年がいた。
彼の生死にかかわったそのラクダの名は「サーハビー」。
アラビア語で「わが友よ」。
ときは1974年。3000キロの旅の末、
志半ばで彼はサハラに倒れる‥‥。サハラに死す。

この本はその青年のサハラ横断の手記をまとめたものであり、
旅を通じて青年が求め続けた「生」、そのものである。
衝撃的なタイトルで始まり、本人の死という悲劇的な結果に終わる。
副題の「‥一生」というにはあまりにも短すぎる人生だ。
だが、そのすべてのページで熱いものが確かに胸に残った。
サハラへの強い情熱、激しい「生」への表現と叫びは、
旅を求める誰もが持っているであろう、
眠っている何かを呼び起こさせる。

-冒険とは可能性への信仰である-
彼が残したこの言葉には、強烈なまでの「生」の叫びを感じた。
激しく自由に生きたくなる。
人間の命の強さと弱さ、そして無限とはかなさをも
感じさせられた一冊であった。

彼の死後、20年の歳月を経て1994年2月。
私はサハラの入り口でもあるモロッコ・メルズーガに立った。
どこまでも続く茫洋(ぼうよう)たる砂の海に圧倒された。

そして、今でも私は私のサハラを歩いているのかもしれない。

by don-viajero | 2008-08-02 19:58 | | Comments(0)