陽気なイエスタデイ

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2008年 10月 28日

ウズベキスタン・Ⅳ

翌日、早朝の行動は前述(Ⅰ)の通りである。

ホテルへ帰り朝食を済ませ、再び表に出ると、
レギスタン広場へ向かう道は歩行者天国になっており、
広い通りの両側の歩道には露店があふれている。
警官らしき人も大勢いる。なにかあるらしい。
広場に入るのに警官のチェックがあったのだが、簡単に済んだ。
そこにはきれいな衣装を纏(まと)った子供たちがたくさんいる。
テレビ局の人間もディレクターらしき女性も。
次第に広場を見下ろすために用意された席が埋まってくる。
そこへ土産物の兄ちゃんが私の横に座り、英語で説明してくれた。
『サロン・マリク』の祭り。どうやらイスラム暦、新年のお祝いのようだ。
10時ごろ、どこの国でも同じように長ったらしいサマルカンド市長の
挨拶があり、ようやく踊りが始まる。子供たち、若い女性たちの
目にも鮮やかな民族衣装を着飾った人々でステージは一杯になる。
コリアンの深紅の衣装での踊りもあった。
それぞれの色はおそらく、ウズベクの各民族を表しているのであろう。
思わぬイベントを見ることができラッキーであった。
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二時間ほど見入ってその場を去り、旧市街にある名所・旧跡を見て回る。
バザールではおいしい漬物やオレンジ、焼きたてのナンを
買い求めながら、そこで働くおっちゃんやおばちゃんたちとの
訳のわからぬ会話で楽しむ。

広場に戻るころには、空には雷が鳴り響き、ポツポツ降り始める。
朝の賑わいはどこへやら。人波の途絶えた通りはアイスクリームの
紙やらもろもろのゴミが、無秩序な風に弄ばれるように飛び交っている。
そそくさとホテルに帰り、部屋に入った途端土砂降りの雨。
危機一髪であった。
10日間のウズベキスタンで唯一の雨降りだった。

by don-viajero | 2008-10-28 20:29 | Uzbekistan | Comments(0)
2008年 10月 24日

ウズベキスタン・Ⅲ

ブハラ9時発のバスは、お昼ごろ寄った大きな街で大半の乗客が降りる。
もちろん、私と後ろのほうで一緒に騒いでいた連中のほとんども
「ダ スヴィダーニャ(さようなら)!」と言って降りていく。

変化の乏しい車窓からの景色は退屈だ。
どの旅でもそうであるが、オンボロバスにガタガタ舗装は、
ちょうどよい揺りかごのようだ。静かになった車内ですっかり寝込んでしまう。
途中、トイレ休憩が数回、食事タイムのないまま3時ごろには、
サマルカンド中心街に到着。

旧市街にあるホテルまでは白タクを値切って10分ほどで着く。
外観はすばらしい12階建て高級ホテルと見間違うほどであるが、
中身はボロホテル。指定された11階の部屋も広いだけでパっとしない。
トイレのフロートは壊れ、水は夜7時にならないと出ない。
しかし、ベランダからの眺めは最高だ!
レギスタン広場は目の前に見え、横にはグル・エミルがすぐそこにある。
遥か向こうにはアフラシャブの丘が望める。ロケーションだけは抜群だ。

空腹を満たすためにホテル周辺のチャイハナに行ってみたのだが、
時間的にどこも『Closed』の看板が下がっている。
そこへ一人の青年が寄ってきて、
「どうしたんだ?」というようなことを言った。
私がボディランゲジで腹がへったことを伝えると、
「俺についてこい!」という仕草でスタスタ歩き出した。
-どこか開いているチャイハナまで連れて行ってくれるのかな?-
そう勝手に解釈し、このショコラ青年(24歳)について行った。

日干しレンガの塀にある、大きな粗末な木製ドアを開けると、
手入れの行き届いたこじんまりした中庭。
そこから招き入れられた部屋は小奇麗なしっかりしたキッチン。
彼は炒め直した、おいしいブロフ(干しブドウの入った羊肉ピラフ)を
馳走してくれた。食後には『ネッスル』のインスタントコーヒー。
お礼にお金を差し出したのだが、受け取ろうとはしない。
白い小型犬を抱いた彼の写真を撮り、住所を聞く。
十分なお礼を述べ、別れる。

はたして、われわれ日本人はどうであろうか?
街でこのような場面に出くわしたとき、言葉も解らぬ異邦人を
ここまでして、家に招き入れることができるだろうか?

この街に着いて、早速のもてなしにすっかり気分を良くした私は
足取りも軽く、ルンルンでホテルへと戻った。
1階にあるバーを覗くと冷えたビールがあったので、部屋で飲むことを
伝え、買い求めるとバーテンダーが、
「これも飲んでいけ!」とおまけでウォッカのシングルをカウンターに
差し出してくれた。グイっと飲み干し、
「スパスィーパ(ありがとう)!」

-すばらしい青年のいる街。
 なにか、もっと素敵な出来事があるかもしれない!この『青の都』で!-

そんな期待を膨らませてサマルカンドの夜を迎えた。


*レギスタン広場‥レギは砂、スタンは広場。3つのメドレセ(神学校)に
         囲まれた美しい広場。

by don-viajero | 2008-10-24 21:12 | Uzbekistan | Comments(0)
2008年 10月 21日

ウズベキスタン・Ⅱ

タシケントに着いた翌日には、
国内線RT85双発機(現在はRJ85・80人乗り)で
シルクロードの香りが詰まった、オアシスの古都・ブハラへ向かった。

ホテルには2時ごろチェック・インできたので、荷を置き、街を散策。
チャイハナで食べるシャシリク(シシカバブ)は一本、日本円で15円。
肉は大きく、かかっている香辛料がなんともいえず香ばしくおいしい。
ちょっとした無舗装の路地に入ると、人懐っこい子供たちが
「フォト、フォト」と言い寄ってくる。
彼らとともに写真(まだデジカメではない)を撮り終えると
「アドレス、アドレス」とせがむ。
メモ帳を渡し、住所を書いてもらう。
ロシア文字かウズベク文字か、定かではないが私には読めない。
身振り手振りでその写真を送ってやる約束をする。
いたるところでこんな場面に出くわす。
こんなにも子供たちを撮ったのは、その後訪れたイエメンまで
なかったことである。
女子大生までもが覚えたてのような英語で話しかけてくる。

ブハラからサマルカンドまでのオンボロバス(6時間・約250円)で
異邦人は私一人。皆、奇異な視線を投げかけてくる。
バザールへ持っていくという、野菜の入ったでかいズタ袋を
運び込もうとしている客を手伝ってやる。
その彼が私のそばに座ると、矢継ぎ早に話しかけてくることで
周りがすっかり和み、他の連中も加わり大賑わい。
少しばかり英語の話せる青年が、
「なにか日本の歌を歌ってくれ!」と言うので、『異邦人』を独唱。
最後尾座席にいた私に、乗客たちは後ろを振り向いて、
ジーっと聞き入っている。
荒涼とした乾燥地帯を走るバスのなかに私の歌声だけが響く。
-ハズカシイ!-
歌い終えるとなんと拍手喝采!アンコールに答えて
『カチューシャ』を歌い始めると車中は大合唱となる!
すばらしい瞬間だ。これぞ旅の醍醐味である。

そして、サマルカンドでは感動の家族と青年との出合が待っていた。

by don-viajero | 2008-10-21 07:16 | Uzbekistan | Comments(0)
2008年 10月 11日

ウズベキスタン・Ⅰ

1998年3月21日。
真っ青な空の下、吐く息だけが白く際立つ早朝、
ホテルのすぐそばにある『グル・エミル』の廟に立っていた。
一代でその帝国を築いたチムール大帝が眠る墓だ。

人影の疎らな旧市街を抜け『アフラシャブの丘』へ足を延ばした。
見渡す限り茫漠たる丘である。起伏の激しい原野には、
枯れた背の低いラクダ草があたり一面覆っている。
その昔、ここで人々が生活していたとは想像し難い、
生命感のかけらもない岩のころがる丘である。

チンギス汗が来襲するまで、街はここに栄え、
この土中には華やいだ跡が秘められている。
遠くアフガンのヘラートとともに生きしものすべてを
焼き尽くされた街の跡。シルクロードの栄枯盛衰。

干からびたレンガの家々が墨を流したように色を
失っているのとは対照的に、朝日を浴び、
そこここに点在する突き出たブルーのドームだけが
濃い群青色に輝いて浮かび上がる。
新しくできた『青の都・サマルカンド』だ。
「チンギス汗は破壊し、チムールは建設した」という言葉の意味が、
脳みそを駆け巡り、身体中に伝わってくる。

チムールが現在の位置に街を造り、ここを起点として
中央アジアはおろか、北インドからイラン・小アジアに及ぶ
世界帝国を造り上げた、いわばそのときの世界の中心だったのだ。

1998年・冬季長野オリンピックの興奮も冷め止まぬなか、
3月17日、ウズベキスタンに向けて旅立った。
ただし、この旅は完全な自由旅行とはいかなかった。
旧ソ連のしきたりを引きずった『バウチャー』という形式である。
そのため、予め自分で作った行程表を旅行会社に提出し、
ホテルも指定されたところ以外は宿泊することができない。
行程表の中身はさしずめ『一人用パック』といったところか?
それでも、十分にこの旅を楽しめたのは、遊牧民の血を
脈々と受け継いだ人々の温かさに触れることができた
ことであったかもしれない。

by don-viajero | 2008-10-11 18:01 | Uzbekistan | Comments(2)
2008年 10月 06日

雑感

超短編小説、いわゆるショート・ショートと
短編小説をどう区別するか?

本来はよりストーリー性のあるものを短編と呼ぶのであろうが、
私はフォント12でA4判3枚以上になるものを短編に
位置づけているのではあるが‥‥。

最近の『安楽死』は題名があまりに短絡的過ぎたのでは
ないかと反省している。
やはり、題名でその中身が解るのは面白くない。
例えば『パートナー』とか『山の友』のほうが
よかったかもしれない。
まず、題名から読者を引き込む。これ、常道ですよね!

今回の『壷』も始めは『詐欺』としたのだが、
短刀直入過ぎたので、全体に占める小道具としての
「壷」を冠とした。その伏線として、
「It's heads I win and tails you lose.」
あの有名なシャーロック・ホームズを生んだ
コナン・ドイルの『緋色の研究』に出てくる言葉を引用した。
これは、誰しもが持っている錯覚であり、
その錯覚を利用して行われる「詐欺」を暗に導き出そうと
思った次第だ。

また『思い出』は書き始めとして『音』という題であった。
秋の匂いを感じ、夜ともなれば草むらから聞こえてくる虫の音。
そこここで穂を出し、風に揺れるススキの葉音。
そんな風情を書こうと進めていくうちに、
あらぬ文章が飛び出し、結果として『思い出』という、
我ながらよく出来た作品になったと思っている。

『桜』もそうであったが、構想を練って書き上げるものより、
ちょっとしたことで進めていくもののほうがよいものが
書けるような気がする。

by don-viajero | 2008-10-06 20:31 | 超短編小説 | Comments(0)