陽気なイエスタデイ

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2009年 11月 28日

もしも‥‥

-もしも、宇宙人が地球を襲ってきたら、どうしよう?-
-もしも、大地震が起きて、自分一人しか生き残らなかったら、
 どうしよう?-
-もしも、父と母が同時に交通事故で死んじゃったら、
 どうしよう?-
-もしも、スーパーマンのように空を飛べるようになったら、
 どうしよう?-
-もしも、片思いのあの子から告白されたら、どうしよう?-

不安に駆られて眠れなくなったり、ドキドキ、ワクワクしたり、
子どものころ「もしも」のことをよく考えた。
そのほとんどが未来のことだった。
スーパーマンはともかく、それが現実となる可能性は、
決してゼロというわけではなかった。

歳を重ねるごとに、未来に「もしも」の入り込む隙間は、
どんどん狭まってきてしまい、その代わり、過去を振り返ると、
「もしも」の分かれ道が無数に転がっている。
過去の「もしも」を思うと、胸が高鳴るのではなく、
ギュっと締め付けられる。

どんなに思ったところで、やり直しができないことぐらい
解っている。実際には選ばれなかった「もしも」の道筋を
たどることで、何かの教訓を得ようとしているわけでもない。
私は、私の選んできた道を悔やんでなどいない。

しかし‥‥。ふっとした瞬間、過去の「もしも」を思う。
あのとき、なんであんなことになってしまったのだろうか?
今の私でない私を想像してしまう。

若い者には未来という時間がいっぱいある。
歳を重ねてきた者には過去という時間がいっぱいある。
それぞれの時間のなかに、それぞれの「もしも」を
思い巡らすことも楽しいことではないだろうか‥‥。

by don-viajero | 2009-11-28 07:06 | エッセー | Comments(0)
2009年 11月 24日

学校給食

私と同世代の者なら味わったことのある脱脂粉乳。
我々にとって学校給食の代名詞そのものだ。
どんなに学校へ行くのが楽しみであっても、
もう、不味くて、不味くて‥‥。
それを思い浮かべるだけで、毎日の給食が憂鬱だった。

戦後、学童の体力向上のためにユニセフから
送られてきた援助品。もっとも、これは
「豚も下痢する飲料を日本の子どもたちに押し付けた米政府」
(米国支援団体・ララ)とも言われた代物だ。

今のスキムミルクとは似ても似つかぬ飲み物である。
早く給食を済ませた者たちだけが外で楽しく遊ぶ昼休み。
残らず食べ終わるまで、席を立たせてもらえない。
粗悪なアルミニウムのコップに入れられた、
味も匂いも最悪な飲み物。
やはり、硬くて不味いコッペパンを浸して飲み込む。
最後には鼻をつまんで一気に飲み干す。
それがココア味に替わったところで大差ない。

クラスに病弱な女の子が二人いた。
彼女たちだけはビンに入った牛乳。羨ましかった。
何年生になったときだったか、忘れてしまったが、
ビン入り牛乳に切り替わったときは、心底ホッとした。

そうかと思えば、唯一美味しかったものがある。
それは、今の子たちのほとんどが口にしたこともない、
ちょくちょく出たクジラ肉のおかずだ。
揚げたもの、焼いたもの‥‥。どれも奪い合いだった。

担任に睨まれながら半べそで食べた学校給食。
そんな給食がどんなに嫌でも、不登校になるなんて
誰も思わぬ時代だった。

by don-viajero | 2009-11-24 19:33 | エッセー | Comments(0)
2009年 11月 21日

赤とんぼ

父の葬儀が終わってから二週間が過ぎた。

いろいろな後始末に追われ、ようやく、
自分の自分だけの時間を持てるようになってきた。
今までと変わらぬ生活パターンが戻ってきた。

それでも「あれ」以来、三回父の夢を見た。
いつも無言ではあったが、穏やかな笑顔で接していた。
やはり、大きな存在だったことを思い知る。

正味、三週間も空けてしまったランニング。
ほんの少し前までは、
元気に中空を飛び交っていたトンボたちも、
その弱った羽をアスファルトの陽だまりで休めている。
近づくと、サッと飛び立つものの、
すでに空へ飛び出すほどの体力も失せている。

人間だけだろう‥‥。
そんな雑事に追われ、時間を費やす生き物は‥‥。
走りながらため息を喉の奥でつぶす。

久々に走る道すがら、道端に停まっていた
軽トラックの屋根の上で、気持ち良さそうに
日向ぼっこをしていた一匹の赤とんぼ。

きつい上り坂の喘ぎに紛れて、
-ワーッ!!!-
邪念を払うように叫ぶ。

突然の大きな音に、びっくりしたように
青い空に向かって飛んでいった。

by don-viajero | 2009-11-21 06:41 | エッセー | Comments(0)
2009年 11月 18日

超短編小説 『無人の村』

そこは誰もいない村だった‥‥。

松茸がよく採れるという地方へ、二時間かけて車を走らせた。
初めて訪れる山だった。

まだ薄暗いなか、迷わぬよう気を使って登って行った。
やはり、一本も見つけられない。
私が住む地域もそうであったように、ここも不作の年なのだ。

尾根まで駆け上がり、反対側の谷底を見下ろすと、
桃源郷のような小さな集落があった。

茅葺きのものもあれば、秋の朝陽に照らされ、
キラキラ輝くトタン葺きの屋根もあった。
その数、十数軒だろうか‥‥。
私はその小さな集落に惹かれ、一気に降りて行った。
集落の真ん中を走る狭い舗装道路に出た。

すべてが周りの景色に溶け込んでいるような場所だった。
弾む息を整え、耳をそばたてた。
人の声ばかりか、犬や猫の鳴き声もまったくない。
光と風だけが目立ち、すべてが抹殺されたような澱んだ
空気をかき混ぜている。
所々に、たわわに実った柿だけが青空に映えていた。

急勾配の舗装道路をゆっくり歩いて行った。
点在する両脇の家々を一軒一軒覗いてみる。
「こんにちは!‥‥誰かいませんかぁ?」
返事はない。

集落のなかを流れる川のせせらぎだけが異様に響く。
まるで、生きし者残らずUFOにでもさらわれてしまったような‥‥。
あまりの不気味さに、後ろを振り向かず、元来た尾根を這い上がり、
車まで戻った。

その集落が近い将来、下流のダム建設によって
沈みゆく運命を知ったのはしばらくしてからだった。

by don-viajero | 2009-11-18 20:04 | 超短編小説 | Comments(0)
2009年 11月 14日

ニングル

「ニングル」とは、アイヌ語で「ニン」は「縮む」、
「グル」は「ひと」を意味し、アイヌの伝承における小人のことだ。

新婚当初、テレビを置かなかった。
入居した村営住宅で仲良くなったK氏宅へ二人して、
毎週「北の国から」だけ見せてもらいに行った。
まるで、小さいころ、ほとんどの家庭にテレビというものが
普及していなかった時代、近所でテレビを所有している家に、
子どもらが挙って見せてもらいに行ったのと同じように‥‥。

倉本聡・著「北の国から」はすべて本棚に並んでいる。
そのほかに購読した彼の著作数冊のなかに「ニングル」がある。
私はすっかりのめり込み、その存在そのものを信じて
疑わなかった。カミさんに小ばかにされても心のなかの
どこかに住んでいた。

UFOを見たという男を信じなくとも、
幽霊を見たという女を信じなくとも、
ガリレオ・ガリレイやコペルニクスが被害にあったと同じ
否定を加害者として他所者(よそもの)のように叩きつける
ことはしたくない。

この時季、雑キノコを求めて雑木林に足を踏み入れると、
ほんの数日前に散った落ち葉を踏みしめる私の足音以外に、
耳を澄ませば、小鳥たちのさえずりのなかに
-カサッ カサッ-と乾いた物音が微かに聞こえる。
それは足を止めると同時に聞こえなくなる。
私の行動を見張っているように‥‥。

木立の根元の影から何かに覗かれているような気配。
振り返ればヒョイっと隠れてしまう存在。

ひょっとしたらニングルかもしれない‥‥。

by don-viajero | 2009-11-14 13:36 | | Comments(2)
2009年 11月 11日

初めての死者

毎日を陽気に過ごそうと思っていても、
そんなお気楽な日々はそうは続かない。

残された者たち、誰もが哀しみに打ちのめされて
迎える終末。逝ってしまった者には解らぬことだ。

一週間前、父が鬼籍に入った。享年88歳。
父が建て、私が育った家から初めて見送る死者だった。

何の病気もなく、ただただ日に日に衰えていった。
痩せ細った手の甲は、網のように静脈が浮き上がり、
さすってやると気持ち良さそうに笑みを返した。
最後の数日は、少なくなった食事も水分さえも受け付けず、
自宅で迎えた老衰死。
母と私たち子どもらに看取られ、静かに息を引き取った。

黄泉(こうせん)の客となってしまい、湯灌を済ませ、
『いい男』に変身した父の傍らで三晩過ごした。
布団のなかから横目で覗いて声をかけても、
返してくれるはずもない父に話しかける。
様々な想いが哀しみを含んだ涙で零れてくる。

生前の逸話のなかでも最たるものが、
2007年6月、このブログにも載せた『父』であろう。
それでも、容赦なくやってくる日々に追われ、
いつしか、哀しみも癒え、そんな父への想いも、
少しずつ父自身の『陽気なイエスタディ』として、
楽しく語れる日が訪れることになるだろう‥‥。

                              合掌

by don-viajero | 2009-11-11 19:53 | エッセー | Comments(0)
2009年 11月 09日

熊の岩

富山から毎年コシヒカリの新米を送ってくれる豪農の友がいる。
学生時代、何度か山を供にしたK氏だ。
宅配便で届けられてくるダンボールを開けると、必ず、いつも同じ
文面の用紙が一枚挿まれている。

しかし、今年は違った。その下にもう一枚あった。
プリントアウトされた山の写真とともに、
今年8月下旬、単独で剣・長次郎谷から入り、
『熊の岩』ビバーグ。剣岳へと綴られた山行記だった。

高校時代、山岳部に入部して初めて手にした
アルパインガイドブック『北アルプス』(山と渓谷社)。
この表紙を飾っていたのが長次郎谷の『熊の岩』だった。
いつかはここへ行こうと心に決めていた。

高三の夏(1971年7月末)、山岳部として現役最後の
涸沢合宿を終え、単独で『熊の岩』を目指した。
それから三年続けて、この岩の上でたった一人で数日間過ごした。
’74年9月初旬、K氏らと登った源次郎尾根・八ッ峰山行を
最後に訪れていない。

『熊の岩』は八ッ峰を登攀するクライマーたちの聖地だ。
周りを岩また岩に囲まれ、下界の光がまったく視界に
入らない世界。夜になれば手が届くほどに煌く満天の星。
朝日に燃える八ッ峰や源次郎尾根。
そして、夕日に染まる後立山連峰の山々。
見上げれば、長次郎谷最奥部に鎮座するジャンダルムや剣岳本峰。
こんな贅沢な山の景観美が他にあるだろうか?
と思わせるに十分な絶景だ。

K氏の文面の最後にはこう記されていた。
「また、一緒に行けたらいいですね。」
-元気なうちにぜひ行ってみようかな?-
気持ちが昂ぶり、38年前の感動に酔いしれていた‥‥。
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               【熊の岩】
   (岩の上にポツンとある小さなツェルトが見えるだろうか?)

by don-viajero | 2009-11-09 20:43 | | Comments(0)
2009年 11月 03日

秋の彩り

里から望む北アルプスの峰々は、
白い帽子を被ったように上部だけが雪景色。
前山は深緑のなかに所々パッチワークで
貼り付けたように黄色や赤に染まった箇所が
多くなってきた。彩りが織り成す綾錦の妙味だ。

雑キノコを求めて雑木林に入り込むと、
葉を落とし始めたカラマツのくすんだ黄ばみも、
多彩な広葉樹の舞台衣装をさりげなく引き立てている。

首を直角に折るように見上げれば、
まだ本格的なお化粧を覚えていない
少女のようなモミジの葉が点在している。
広葉樹の大振りな葉は黄金色に輝かせて、
いつもの秋と同じように、太陽を優しく透かしている。

長雨のあとにやってきた旱のような天候で、
生き延びる術(すべ)なのか、山桜はすっかり葉を
落としてしまい、どんな若木も老木のようなたたずまいだ。

枯れ葉を敷き詰めた地面に差し込む木漏れ日も、
どこか寂しげに揺れている。
雑キノコはおろか、毒キノコでさえほとんど生えていない。

いつもと同じような彩りのなかに、
いつもと違う世界が広がっている。
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by don-viajero | 2009-11-03 17:03 | エッセー | Comments(0)
2009年 11月 02日

グアテマラ・総括

グアテマラ旅行記を基に、ほとんど忠実に沿って
ブログに書き写してみた。

旅を計画する楽しみ。
実際、訪れて始まる非日常の世界。
毎朝、目を覚ましてから未知への扉が開くように
起こる新鮮な感動。
そして、帰国後その旅を振り返るようにして纏め上げる
写真整理や旅行記録。

今回、改めて10年近く前のグアテマラ旅行記に触れ、
あの感動を再び思い起こすことが出来た。
ただ、前半はかなりハード・スケジュールだったんだなぁ。
とも気付いた。出来得るならば、一つの街に二泊以上。
それができなかった。
これは、各地で曜日ごとに催されるメルカド(市)を
メインに置いたからで致し方あるまい。
おそらく、本当の『旅』とは時間に制約されないものであろう。
そんな『旅』をいつかはやってみたいものだ。

ついでに、このグアテマラ旅行に掛かった費用を公開する。
成田✈グアテマラ・シティの往復運賃は無料チケット。
グアテマラ・シティ✈フローレス:$85(日本にて発券)
土産物代を除いた実費:$471であった。

この5年後、再び、無料航空チケットで古代マヤ文明の
遺跡が数多く残されているメキシコへと飛んだ。
そのメキシコの紹介は、また日を改めてすることにしよう‥‥。

by don-viajero | 2009-11-02 20:07 | Guatemala/Honduras | Comments(0)
2009年 11月 01日

グアテマラ・Ⅻ『アンティグア』

3/2(木) 晴れ
最後の一日。ゆっくり起き、昨日のパンで朝食。
今日は市内遺跡巡りと決める。
どこを見て廻っても大地震の爪跡。あまり代わり映えしない。
久しぶりに雲の多い晴れだ。街中を歩くのには丁度いい天気。
あとは最後の土産物探し。昼ごろにはすっかり晴れ上がる。
陽射しは強いが、風は心地よい。昼食はカレー。やはり大盛りだ。
何回となく行った中央公園へ向かう。しかし、野崎さんの姿を
見ることはなかった。土産物売りのお姉ちゃんたちと写真撮影。
少し離れた別の広場で、夫婦がやっている露店で買い物。
ついでに彼らと記念写真。
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ホテルへ帰り、一休み。2時ごろ、Kashlan Potへ行く。
大きなプレハブ倉庫を改造した店舗に、グアテマラ各地のウィピルが
集められた専門店。織物好きにはたまらんだろう!
品質がしっかりしたものなので値は高めだ。ちゃんと日本語の本も
用意してある。『五色の彩』東京家政大学(2500円)。
その辺をブラつき、市場でオレンジを買い、スーパーで夜のツマミ。
夜食は自室でワインを飲み干し、寝る。

3/3(金) 快晴
朝、いらなくなった物を、あの土産売りの娘さんたちにあげようと
思い立ち、広場に行ったのだが、9時になっても現れない。諦める。
10時チェックアウト。バスターミナルへ行く。
「シティ行きのバスはしばらく来ないから、ダイレクトバスで行け。」
どこにでもいるんだよな!こういう輩が‥‥。
10分ほど待ってシティ行きに乗り込む。あとは一昨日の手順通り。
11時半ころ空港着。無事、ボーディング・チェックを済ませ、
残りのQをはたく。機は予定通り。14:30離陸。
「グアテマラよ!ありがとう!サラバだ!!!」

by don-viajero | 2009-11-01 07:52 | Guatemala/Honduras | Comments(0)