陽気なイエスタデイ

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2009年 12月 31日

「ありがとう」

英語で「サンキュー」、スペイン語は「グラシアス」、
フランス語「メルシー」、韓国語「カムサハムニダ」、
中国語「シィェシィェ」、アラビア語「シュクラヌ」、
ロシア語「スパスィーパ」、ベトナム語「カムオン」、
タイ語「コープクン」、ポルトガル語「オブリガード」‥‥。

外国へ行って何度も口にした「ありがとう」。
でも、今、国内でこの言葉を素直に言う人が少なくなって
きたのではないだろうか?
人の好意を当たり前のように思い、感謝する気持ちが
失せているのだろうか?

イエメンの首都・サヌア近郊にあるワディ・ダハール。
この街を見下ろす岩山の上で、毎週金曜日に催される
「ジャンビーアダンス」を見に行った。
ジャンビーアとは、イエメン男子が一人前の男の証しとして、
持ち歩いている半月刀のことだ。
これを振りかざして、太鼓の音に合わせて踊る。
丘の上では複数の輪ができる。
見物人のおっちゃんからジャンビーアを借り受け、
飛び入り参加した私は、取り囲む者たちからの指笛を背に、
見よう見まねで踊り続けた。
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陽も傾き、三々五々輪が解け出し、帰り支度に入る。
私は一人、トボトボ2キロ先にあるバスターミナルに向かって
歩いていた。背後からけたたましく鳴らされるクラクション。
振り向けば、ランドクルーザーに鈴なりにしがみ付く男たち。
運転手はあのおっちゃんだった。みんなに招かれる。
わずかに空いた隙間に手をかけ、お礼を繰り返す。
「シュクラヌ」「シュクラヌ」‥‥。
「アンタの踊りは良かったぞ!」
口々に投げかけられる言葉は、そんなふうに耳を捉えた。
「イエメン!シュクラヌ!」「イエメニィ!シュクラヌ!」
砂埃を含んだ風は、爽やかに頬を撫で、心までも優しく包んでくれた。

万人に笑みをもたらす「ありがとう」。
言ってうれしい。言われてうれしい。
決して忘れてはならない言葉である。

万感交到り、今年度最後の一言「親父!ありがとう!」

by don-viajero | 2009-12-31 09:12 | ◆旅/全般◆ | Comments(2)
2009年 12月 27日

節目

季節に節目があるように、人生にもまた節目がある。
ときには煩わしいものではあるが、一年間を通しても、
それは存在する。少なくとも我々文明人?には‥‥。

アフリカ・タンザニアに、今でも狩猟採集だけで生活を営む
『ハッザ族』という部族がいる。
大地溝帯に暮らす彼らは、ひょっとしたら10万年以上前に
遡る、現生人類の最古の系統の血を引く可能性があるという。

作物を育てず、家畜も飼わず、暦を使わない。当然の如く、
年や月日、週といった時間の流れとは関係なく暮らし、
時刻の概念ももっていない。それは一万年前からほとんど
変わっていない。
男たちが狩猟で得た獲物をみんなで分け合い、
女たちは果実やイモ類を探し求める。

財産は持たず、社会的な義務にもほとんど縛られない。
宗教上の制約もなく、家庭での責任も少ない。
会社や上司、請求書、交通渋滞、税金、法律、ニュースにも
翻弄されることはない。

食料の確保に費やす“労働時間”は一日4~6時間。
あとはすべて自由時間。その長い歴史を通じて、環境に
ほとんど負荷を与えない暮らしを営んできた。

たった半世紀足らずで、4分の1までに失ってしまった生活圏。
彼らがその生活を守ろうとしても、外界の文明が放っておかない。
文字をもたなくとも独自の言語は守れるかもしれない。
やがて、観光客相手に狩の技を披露するようになるかもしれない。
しかし、弓矢を手に、丘を駆けずり回り、獲物を追うハッザ族が
いなくなるのは時間の問題であろう。

そして、彼らも、我々の仲間に引きずり込まれ、節目という概念を
植えつけられていくことだろう。
あまりにも律儀で、あまりにも煩わしい節目を‥‥。

          ≪ハッザ族の少年≫
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by don-viajero | 2009-12-27 12:12 | エッセー | Comments(2)
2009年 12月 24日

2009年「この3冊」

毎日新聞の書評執筆人たちが選んだ
【今年の「この3冊」】が、13日・20日と載っていた。
複数の評者が挙げたのが、ご多分に漏れず
『1Q84』だった。

ある日、食卓テーブルの上にこの本が置いてあった。
カミさんの友人が、読み終えて送ってくれたものだ。
一頁開いただけで閉じてしまった。どうにも食指でなく、
目指(もくし)が動かなかった。多くを耳目してしまい、
いささか、食傷気味だったかもしれない。

そこで、私の今年の「この3冊」を挙げてみよう。
田中慎弥著『切れた鎖』。
工業高校を卒業後も、アルバイトを含め、一切の
仕事についた事のない筆者は、二十歳から髄筆活動に
入ったという異色者である。表題作『切れた鎖』を含め、
三つの短編集。小説を読み耽るだけでなく、体験こそが
多少なりとも人生の機微を感じ取る手段だと思っている。
頭でっかちにならなければよいのだが‥‥。

丸山健二著『落雷の旅路』。
若いころ好んで読んだ作家だ。数年前、久しぶりに
手にした「高倉健」をモチーフにして、書き下ろした
『鉛のバラ』以来だ。(もちろん、健さんの承諾は得ている)
十数年ぶりの短編集でもある。氏の大好きな庭弄り同様、
文章を捏ね繰り回し過ぎるきらいはあるが、収められた
十篇の物語は、どっしりと重みのあるものだ。

三冊目は、最近、すっかりお気に入りの伊坂幸太郎の
『重力ピエロ』。主人公は種違いの兄弟。兄の名は
「泉水(いずみ)」弟は「春」。これは英語の「Spring」に
由来する。「Spring」には、多くの者が周知の春以外に、
泉という意味がある。ちなみに、「温泉」は「Hot Spring」。
この二人を中心とした、兄弟愛、家族愛、そればかりでなく、
伊坂作品はグイグイと読者を引きずり込み、滅茶苦茶
面白い小説に仕立ててゆく。おそらく、小説が上手い
のではなく、巧いのであろう。

不景気の煽りで年々読書量が増してきた。「晴読雨読」
状態といっても過言ではないこのごろである。

2010年は「国民読書年」。「生涯の一冊」に
出会えますように!

by don-viajero | 2009-12-24 19:24 | | Comments(2)
2009年 12月 20日

七七忌

昔、ある先輩がある催しを企画したとき、
私にこう訊ねた。
「お前に、これだけの人間を集めることができるか?」
そのとき、私はこう答えた。
「人を集めるのは、結婚式と葬式だけでいいよ!」

自分が生れたとき、どこの誰が祝って
馳せ参じたかは知らぬところだ。

それでも己の伴侶を披露する場においては、
その当時の仲間が来てくれた。
もちろん、血の繋がりも‥‥。

では、死ぬるとき、誰が集まろうか?
義理なんかで来てもらいたくないし、
ごく親しい友以外は、血の道が集まってくれることであろう。
しかも、それはあくまで濃い血の関係をさす。
哀しみを共有できる者たちだけで十分だ。

昨日、父の七七忌を済ませた。直系だけで‥‥。
前日は、鈍色の空から落ちてくる、数えきれない雪が、
辺りを真っ白にしてしまった。
それまで、ウロウロしていた我々の気持ちも、
そして、また、父の魂をも鎮めるように‥‥。

「喪主になって一人前」
そんな言葉を耳にした。

そんなことで、一人前として認められても、
喜ぶべきことではないだろう。
それにつけても、果たして、かの言うように、
私は一人前になったのであろうか‥‥。

by don-viajero | 2009-12-20 06:55 | エッセー | Comments(2)
2009年 12月 17日

宗教

東京での浪人時代(といっても一年だけだが‥)。
渋谷駅で、中学を卒業したばかりのような、まだあどけなさが残る、
可愛らしい花売り娘に捕まった。
ショートカットで、瞳の動きがクリクリと、如何にも快活そうな
女の子だった‥‥。

そうした子の素性がどういうものなのかは、すでに知ってはいたが、
突然捉えられた腕は、容易に放してくれそうになかった。
仕方なく、少しばかり話しを聞いてやる。
彼女の真剣な眼差しとは裏腹に、その言葉は私の耳を
ざらつかせただけだった。
宗教そのものに興味はあったのだが、その教団に関しては
あまりよい評判を聞いていなかったからだ。
強引に彼女の手を振り解いて逃げようとしたとき、
ヒョイッと被っていたハンチング帽を取られてしまった。

「返してくれよ!」
「駄目!話しをちゃんと聞いてくれるか、花を買ってくれなきゃ‥。」
「そんなぁ‥。あんた!盗っ人か、強引な物売りそのものだよ!」
「今度、逢ったら返してあげる‥‥。」
「う~ん?どういうこと???
 よし!じゃぁ、一週間後、同じ時間にここで逢おう!
 そのときまで、自分なりに君の宗教を勉強してみるよ!」
「分かったわ!約束するネ!」

それからの一週間、図書館であらゆる資料を借り、聖書と睨めっこ。
銭湯と食料の買出し以外、部屋に閉じこもりっきりで調べた。
あれほど、聖書を通読したのは初めてだった。

一週間後、同じ場所、同じ時間に逢った。
照れながら帽子を返してくれた。そして、いくつかの矛盾を指摘した。
今度は、私の真剣さとは逆に、彼女のほうが冷めていた。
「あんな宗教団体から早く抜けたほうがいいよ!」
人混みに紛れて去っていく後ろ姿に、大きな声を投げかけた。
それから、数週間後以降、あの場所でその子を見かけることは
なかった。

旅をして思うことがある。
グアテマラやイエメン、ベトナムのようにイデオロギーの違いで
引き裂かれた民族は、何れ憎しみを乗り越え和解するときが来る。
しかし、宗教絡みの憎悪は、そう簡単には解決しない。

こればかりは、日本でもあながち易しい問題ではなさそうだ。

by don-viajero | 2009-12-17 19:57 | エッセー | Comments(0)
2009年 12月 14日

思い出の一冊・Ⅱ

まさに青春真っ盛り、そんなとき出会った一冊。
倉田百三『出家とその弟子』。

そのころ、仏教ばかりでなく、キリスト教を含む
あらゆる宗教に関心があった。

世界三大宗教。
キリスト教、イスラム教、そして仏教。
特にイスラムの人々は、仏教を宗教とは認めていない。
何故なら、イスラムにおける神は「アッラー」であり、
それを伝えたマホメットが存在し、キリストにおける
神は「ゴッド」のもとにイエス・キリストがある。
しかし、仏教はゴータマ・シッダルタという、
一人の人間が説いただけの教えだからだそうだ。

「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」。
『歎異抄』の有名な一節だ。
歎異抄を下じきにして、それを戯曲仕立てにし、
その教義を主調としつつも、蓮の花に、キリスト教の
百合の花の精神がまつわりついている作品である。

恋愛、性欲など青春の一時期、誰もが悩む問題を
率直に投げ出し、それに対する究極の赦しを示した、
青春小説の名作である。

その後、倉田百三の著作『青春の息の痕』、
『愛と認識との出発(たびだち)』、『絶対的生活』、
『青春をいかに生きるか』を立て続けに読み進んでいった。
なかでも『愛と認識との出発』は、当時、阿部次郎の
『三太郎の日記』とともに、戦前の旧制高校において、
もっとも広く、深く読まれた双璧とある。

もちろん、梅原猛の『歎異抄』も、何をか言わんやである。

by don-viajero | 2009-12-14 20:37 | | Comments(0)
2009年 12月 10日

EXPO'70

夢を見た。父と二人して長蛇の列に並んでいる夢を‥‥。
三波春夫のあの歌が聴こえてきた‥‥。
-こんにちは こんにちは 西の国から
  こんにちは こんにちは 東の国から
  こんにちは こんにちは 世界の人が
  こんにちは こんにちは さくらの国へ
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・-

てっぺんにある金色に輝く顔。お腹と背中にも顔がある。
左右に手を伸ばした姿は、変てこなウルトラマン。
そう『太陽の塔』だ。大阪万国博覧会。

1970年、高校一年の春休み。
開幕して間もない万博を、父と一緒に見に出かけた。
父は一日だけ付き合い、先に帰郷した。
尼崎に暮らす父の従兄弟の家に世話になり、
一週間通い詰めた。
新大阪駅から会場行きのアルミニウム製の車両は、
未来の乗り物のように光輝いて鮮烈だった。

モノレールに動く歩道、ロープウェイに電気自動車、
空中ビュッフェに空中エスカレーター、電気通信館にあった
ワイヤレステレフォン、携帯電話なんかなかった時代だ。
ウルトラソニックバス(人間洗濯機)はまるで星新一の世界だ。
蚊遣りブタのようなガス・パビリオン、古河パビリオンの七重の塔、
360度の九面マルチスクリーンのあった東芝IHI館‥‥。
毛糸玉から糸を引き出すように、想い出が次々と
フラッシュバックして甦る‥‥。
エアードーム式のアメリカ館の目玉は、アポロ11号が月から
持ち帰った月の石と月着陸船だった。ソ連館も宇宙船ソユーズと
ボストークを展示していた。ロンドン橋を模したイギリス館、
水中に建っていたオランダ館、ガラス張りのチェコ館‥‥。
いままで見た事もない、たくさんの外人さんたち。
なかでも、カナダ館の受付嬢の尖って、いまにも制服を
突き破りそうな胸には度肝を抜かされた。

「人類の進歩と調和」を謳ったテーマは「人類の辛抱と長蛇」と
揶揄され、人の波に揉まれながらも、ほとんどの
パビリオンを観て廻った。

40年前、21世紀の未来は、世界が平和になり、ひょっとしたら
宇宙にも行けるようになるかもしれない。様々な病気も克服され、
人間はもっと長生きができるかもしれない。
そんな、確かにすばらしい未来があったはずだ‥‥。

by don-viajero | 2009-12-10 19:48 | エッセー | Comments(0)
2009年 12月 06日

ロマン

「男のロマンは女のフマン(不満)」だそうだ。

ヨーロッパまでの往復航空券をゲット
可能なだけのマイレージが貯まったので、
来年あたり、その「男のロマン」を求めて、
ポルトガルへ行こうと思っている。

ユーラシア大陸の西の果て「ロカ岬」。
ポルトガルの詩人、ルイス・デ・カモインスの
叙事詩『ウズ・ルジアタズ』の一節。
「Onde a terra se acaba e o mar começa」
「ここに地果て、海始まる」

眼前に広がる大西洋からの風をうけて岬の突端に立つ。
-そんな岬に行ってどうするんだ?-
と思われるかもしれないが、
それが「男のロマン」なのだ。理屈なんかいらない。

そして、もう一つの楽しみは生の「ファド」を
聴いてみることだ。
イタリアにカンツォーネ、フランスにシャンソンが
あるように、ポルトガルにはファドがある。

今年、亡くなってしまったが、若いころよく聴いた
フォルクローレのメルセデス・ソーサ。
その彼女の歌声に優るとも劣らないアマリア・ロドリゲス。
そんな彼女が歌い繋いできたファドを、
場末の酒場でしっとりと聴いてみたい。

それは若いころ、日本の演歌に馴染まなかった耳が、
そのころとは違った感覚で、ファドを聴き入れるのでは
ないだろうか‥‥。秘かなロマンでもある。

by don-viajero | 2009-12-06 07:54 | ◆旅/全般◆ | Comments(0)
2009年 12月 02日

超短編小説 『告白』

穏やかに打ち寄せる波の音。
一つとして同じ波はない‥‥。
どのくらいの人々が、この渚で出会い、
別れを告げたことであろうか‥‥。

夏の盛りも、とうに過ぎた静かな海辺を、
一組の若い男女のカップルが歩いている。
男のほうは、いくらかうつむきかげんに、
ゆっくり歩をすすめる。
まるで、足元まで寄せてくる波に意を決するかと思えば、
泡に紛れて去りゆく想いを消され‥‥。

女は、少しばかり間を空けて、
キッと男の背を見つめている。

突然、男が踵を返し、振り向く。
そのおどおどした眼差しは、女の的を射すような
瞳を捕えていた。

「すべてお話しします‥‥。」
充分に海水を含んで湿った砂地に、
ぽつんと男の言葉が落ちた。

「そうですか‥‥。
 ようやく話してもらえるんですね!」
女刑事は、そっと男の手首に手錠をかけた。

by don-viajero | 2009-12-02 20:15 | 超短編小説 | Comments(2)