陽気なイエスタデイ

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2010年 03月 30日

痒み・Ⅰ

40歳を過ぎたあたりから、冬になると寒冷ジンマシンに
悩まされるようになった。
「あぁ~!この痒み、なんとかならないのぉ~~~!」
まさに『藤田弓子』状態である。特に新湯のお風呂に入ると
酷くなる。体中、引っかき傷になってしまうので、
強く擦(こす)るようにしているのだが‥‥。
ところが、これが温泉だと違う。なんともないのだ。
ただ、かけ流しを謳った湯でも、水道水が多く入っていれば、
たちどころに痒みを生ずる、なんとも敏感な肌である。

人間、ある程度の痛みは我慢が出来るものの、
痒みだけはそうはいかない。

中学の英語授業で、机の横に正座させられた。
どうしてか、よく覚えていない。
おそらく、後ろを向いてお喋りでもしていたことが、
教師の逆鱗に触れてしまったのだろう。

その教師の渾名は「奥目」。
正座させられているとき、脹脛(ふくらはぎ)が急に
痒くなってきた。初めは我慢していたのだが、
どうしようもなく、お尻を持ち上げて掻き始めた。
と、そのとき「奥目」が振るったペン型伸縮棒が
伸びて「ビシッ!」と頭上に当たった。それこそ、目から
星が瞬いた。当然、痒みどころではない。
痛みのほうが勝った。

-チッ!バカ「奥目」め!痒いのは我慢ができねぇんだよ!-
心の中で嘯(うそぶ)く‥‥。

英語は得意科目だった。そんなことがあっても好きだった。
「奥目」は嫌いだったけど‥‥。
でも、あの痛さだけは、ときおり、痒みを伴い思い出して
一人、苦笑う。

桜の開花も各地で聞かれ出し、4月を迎え、明日からようやく
暖かくなりそうだ。この冬も耐えた寒冷ジンマシンも、
徐々に緩和されてきそうである。

by don-viajero | 2010-03-30 19:49 | エッセー | Comments(0)
2010年 03月 27日

-空を飛ぼうなんて 悲しい話を
  いつまで 考えて いるのさ
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  あぁ 人は 昔々 鳥だったのかもしれないね
  こんなにも こんなにも 空が恋しい-
中島みゆき作詞/作曲「この空を飛べたら」。

背中にコツンと突き出た肩甲骨は、ずっと、ずっと昔、
人にも翼があったときの名残りだとか‥‥。

20代のころ、ゴムボートで川下りをした。
近所の人が、三分割キットのカナディアンカヌーを
購入したことを知り、ダンボールで型紙を取らせてもらい、
市販の耐水ベニヤを使い、一年がかりでカヌーを作り上げた。
湖に浮かべ、一時期、ワカサギ釣りにも凝った。

静かな湖面上から、紅葉した葉の匂いや、落ち葉を
踏む音までが聞こえてきそうな、そんな穏やかな秋のある日、
湖を囲む山々の一点から、次々と飛び立ち、真っ青な上空を
優雅に舞うパラグライダーに憧れた。
-空を飛びたいなぁ‥‥-
知り合ったときから、パラグライダーをやっている友がいる。
何度相談してみようと思ったかしれない。

そのころ、三番目の子は小学六年生。まだまだ生活することに
精一杯だった。何にでも夢中になってしまう私が、パラに嵌れば、
何れ、高価な装備を購入したくなる。それは型紙で作れるような
もんではない!そんな思いが二の足を踏ませた。

お金をかけることのない、いわゆる『遊び』の範疇に入るものは
何でもやった。でも、唯一手を出さなかった‥、出せなかった‥、
一歩を踏み出すことのなかった‥。それが、空を飛ぶことだった。
今となっては、『見守られることもなく、誰も覚えていない』
「地上の星」でも良しとするか!

http://www.youtube.com/watch?v=gv100wZdoz0
*若いころのお登紀さんとみゆきちゃんのジョイントです。

by don-viajero | 2010-03-27 19:55 | エッセー | Comments(0)
2010年 03月 24日

黄色

あまりにも、ふざけた季節外れの湿った大雪も、
今では、すっかりその姿を大地に吸い込まれ、
跡形も無くなっている。

冷たい空域の風と、時折頬を撫でる、ぬめった
暖かな風の入り交じるなかのランニングで見かける
福寿草も、葉のほうがこんもりして、つい数日前までの
眩い黄色は失せてきてしまった。
しかし、新たに芽吹き始めたラッパスイセンや
西洋タンポポの黄色が、味気ない大地を潤わせ、
目にも鮮やかだ。
サラサラとした気持ちの良い汗が額を濡らす。

2月から3月にかけて咲く花の、約半分は黄色だそうだ。
その理由は、寒さに強いハナアブやハナバチの好む
色だからとある。

交通信号もそうであるように、黄色は人間にとっても
注意を引く色だ。
暖かくなり、花粉を運ぶ昆虫たちにとっても、
渇いた景色のなかで、一番目につきやすい色なのだろう。

殺風景な冬模様の私の敷地内にある土手にも、
可愛らしい、小さな黄色いアブラチャンの花が、
次々と咲き出した。

日本中がサクラ色に染まる前、黄色い花たちが、
小さな幸せを運んで来てくれたようだ。

by don-viajero | 2010-03-24 20:26 | エッセー | Comments(0)
2010年 03月 21日

シャングリ・ラ

セスナ機を操縦しているのは、最近、ちょくちょく
話をするようになった古くからの知人だ。
機は、なだらかな尾根上をスレスレに旋回しながら、
私は後部座席の窓を開け、下を覗き、彼の説明を
逐一聞いている。

疎らな人家が途切れ、そこだけ不思議とポッカリ
霧が開いている広い盆地状にある、一本の滑走路に
降り立った。
まったく、人の気配がない山肌に備えられた二基の
エレベーター。セスナ機から降りた私たちは、
その前に立ち止まる。訳の解らぬまま、彼に訊ねた。
「これからどうするの?」
「私は、ある村の寺に行って出家するつもりだ。
 だから、ここで君とは別れる。
 私は右。君は左へ乗りなさい。」
「左はどこへ行くの?」
「それは、着いてからのお・た・の・し・み!
 それじゃぁ、元気でな!」
「???‥さようなら‥‥。」

そのエレベーターは落下する水力で上昇していった。
扉が開くと、目の前のカウンターには受付嬢がいた。
「ようこそ!‥いらっしゃいませ!」
「ここは‥‥、どこ?」
「理想郷『シャングリ・ラ』ですよ!」
下界とは隔絶されたテーブルマウンテン上には、
小洒落た低層店舗や家々が立ち並び、擦れ違う人々は
皆ニコニコしている。白人や黒人、黄色人種まで‥‥。
世界中から集まったような‥‥。

私はポケットから携帯電話を取り出した。「圏外」表示だった。
再び、受付に戻り電話をしたい旨を伝えた。
「ここでは、どこへも連絡の手段がありません!」
「じゃぁ、エレベーターに乗って降りるよ!」
「いえ、それは不可能です!」
「何故?」
「あれは‥。昇り専用となっております!
 しばらく、ここで暮らせばすべてを忘れ、
 来たことを感謝することでしょう!」

*世界遺産・ギアナ高地(3/7放送)を観た夜の夢だった。
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by don-viajero | 2010-03-21 16:38 | | Comments(0)
2010年 03月 18日

同窓会

土手には、満開の桜並木が競うように大ぶりの花びらを
咲き誇り、目の前に広がる河川敷には、整備され、
緑が眩いサッカーコートやパターゴルフ場、野球グランド。
そして、青空に映えて、満々と透き通った水を湛えた
50mの温水プール。

土手から一段下がった場所には、立派な炊事場が並び、
ムンムンとむせ返るような新緑の匂いがする芝の上には、
色鮮やかなテントやブルーシートが敷かれている。
その周りを大勢の友らが和気藹々と談笑している。

今日は中学卒業以来、初めての同窓会。
しかも野外とは!役員も粋なことをやるじゃないか!
そこには、三年間一度も替わらなかったクラスの同級会や、
それぞれの出身小学校の同級会も絡み、いささかややこしい。

懐かしい顔、顔、顔‥‥。
歳相応の顔もあれば、最終の記憶のままの顔もある。
なかにはモザイクまでかかった顔まである。
それでも、声だけは確かな記憶がある。

日中の気温はグングン上昇し、サッカーや野球、ゴルフに
興じていた者たちは、その緩んでプクプクしてしまった体形を
隠すように、Tシャツのまま次々とプールに飛び込む。
禿げ上がってしまった頭や、白髪の混じった男どもに比べ、
女性たちは髪も染め、誰もが若々しく、楽しそうに会話に
花を咲かせている。

私はかつてのように、自分のクラスはそっちのけで、
それぞれのクラスを渡り歩き、語り合い、注がれた
生ビールを旨そうに飲み干す。

真夏のような暑さに誘われ、やおら、シャツを脱ぎ捨て、
プールに向かって走り出す。
私の鍛えられた身体は衆目の的だった。一気に往復泳ぎ切り、
みんなのなかに戻った私は、すっかり、同窓会の主役に
なってしまっていた‥‥。

by don-viajero | 2010-03-18 19:55 | | Comments(0)
2010年 03月 16日

どつぼ

幼いころ、我が家の玄関から目と鼻の先に、大きさが
二坪ほどの「どつぼ(野つぼ/肥溜め)」があった。
おそらく、一帯に広がる畑の地主のものであったのだろう。

あまり、匂いについては記憶に無い。
ということは、その点に関しては、さほど苦に
ならなかったのかもしれない。

少ないときには、はっきり他の風景と一線を画して
いたのだが、満タンにされ、放置されたものは表面が
カンカンに乾き、仲間たちと度胸試しのつもりで渡りは
したものの、嵌ってしまったこともあった。
その乾き具合は、周りの地面と同化してしまい、
暗くなるまで遊び呆けていた子どもらにとっては、
何回も足を踏み外してしまう結末となっていた。

やはり、200mほど離れたところにも、粗末ではあったが、
ちゃんと藁葺き屋根のかかった大きな「どつぼ」があり、
そこには栄養をたっぷり摂り、たわわに実を生らす大きな
桑の木があった。時季になれば、その大きくて美味しい
桑の実を、掴み取る手の平から口の周り、舌まで紫色にさせ、
悪童らとたらふく頬張ったものだ。

先日、読み終えた本のなかに、
-どつぼに嵌ったような‥‥-
という記述があった。作者は40代半ばの地方出身者である。
「どつぼ」そのものは、私の孫たちはおろか、子どもらも
知らない。おそらく、実態を分かっている者は、彼らが
最後の世代かもしれない。

「どつぼ」自体、広辞苑にすら載っていない。
「どつぼに嵌る」‥どうしようもない事態に陥る。

体験的にも的を射た表現ではあるが、何れ消えゆく
運命にある言葉であろう‥‥。

by don-viajero | 2010-03-16 20:35 | エッセー | Comments(0)
2010年 03月 14日

寄付

高校二年の冬、飲み仲間?四人で寄付を始めた。
酒が進むにつれ、世の中の無常を憂い、二本目の一升瓶が
空になったときには、四人とも誰憚(はばか)ることなく、
ボロボロ泣いていた。少ない小遣いから1000円づつ出し合い、
どこかに寄付しようということになった。
毎月、私が集め、ある施設に匿名で送っていた。
しかし、三年になると進路も異なり、お互い逢う機会も減り、
夏休みが過ぎたあたりで自然消滅した。

それから、長い星霜が流れ、40歳を過ぎたころから、
日本ユニセフ協会へ年一回、僅かばかりの寄付をしていた。
2001年6月、日本ユニセフ協会(職員数約40名)は、
それまでの賃貸事務所を引き払い、25億円をかけて
「ユニセフハウス」という自社ビルを建設した。
その顛末をサンデー毎日で読んで以来、この財団への寄付は
止めた。その際、協会宛にこんな内容の手紙を出した。
-寄付のうち、最大25%を協会諸経費に充てる旨を、
 文面に掲載すべきではありませんか?-
返信はなかった。
今では、黒柳徹子さんの口座に、そのときおり寄付をしている。

最近、協会の親善大使「アグネス・チャン」がソマリアを
訪問したことが大々的に宣伝されている。しかし、実際は、
彼女が訪れた場所は独立宣言をしているソマリランドである。
ここはソマリア内でも比較的治安が保たれた地区なのだ。
しかも、彼女はそこから一歩も足を踏み出さず、ソマリア国内を
見て廻った訳ではない。まるでどこかの講釈師と同じで、
韓国に行って、北朝鮮を見てきたような物言いである。

以前、ある記者がアグネスにこんな質問を投げかけた。
「チベットやウイグルの子どもたちのことは、
 どう思われますか?」
彼女は口を噤(つぐ)んでしまった。

*詳しくはWikipedia「日本ユニセフ協会」参照

by don-viajero | 2010-03-14 15:29 | エッセー | Comments(0)
2010年 03月 11日

寝相

自分の寝相なんて、朝、起きてベッドの様子から
判断しない限り判らない。

旅に出て、ホテルのようなきちんとしたベッドカバーを
施されたベッドに寝ればよく判る。

毎年、大阪へ、あるいは東京へとトラキチの我々は、
応援に出かける。
三年前にはベトナムへも一緒に行った。
勝ったら勝ったで祝い酒、負けたら悔しい酒を
しこたま飲んで、ホテルへ帰り、ベッドに潜り込む。

翌朝は、必ず私の方が先に目を覚ます。
隣でグーグー寝入っている友の布団は剥がされ、
ものすごい有様だ。
まるで、悪夢に魘(うな)されたか、誰かと喧嘩でもして
叩きのめされたかのようだ。
私はというと、ベッドカバーはそのまんま。
ほんの少し前に寝入ったかのように、乱れず、なんとも
お行儀のよい寝相である。

ところが、こんな私でも驚く御仁がいる。
それは、カミさんだ。

昨年、孫を含め、一族郎党でペナンへ行ったとき、
久しぶりにカミさんの隣りで寝た。
目を覚まし、彼女のベッドを見てビックリ!
ベッドカバーが寸分違(たが)わず、ずれていないのだ!
これには、さすがの私も敬服ものだった。

その寝相は、神の域に入っているといっても過言ではない!

by don-viajero | 2010-03-11 19:48 | エッセー | Comments(2)
2010年 03月 07日

夢・Ⅱ

人が見る夢は、脳内における記憶の転写作用に
よるものらしい。

人間は、日常の出来事を一度大脳にインプットし、
それを後(のち)に海馬という部位に転写して
記憶化する。そのとき、脳内に生じる断片的な
情報の流れこそが、夢だといわれている。

つまり夢は、その人が考えたり、体験したりした
出来事の、断片的な再現なのだ。その破片が複雑に
絡み合って不思議な夢になる。

私の場合、ここにラジオが加わる。
音量を絞った、つけっぱなしの「ラジオ深夜便」から、
無意識に聴こえてくる、話しや音楽が加味されて
しまうことがある。

それは、ときにはデ・ジャブのような作用を引き起こす
だろうし、一つの「夢物語」のようなストーリーをも
完成させる。

ところが、完結に至れば幸いなのだが、途中で目覚め、
途切れてしまい、続きになってしまった場合が一番
やっかいだ。再び、静かに目を閉じ、あらすじを反復して、
夢の続きを見ようとしても、絶対できない。

ベッドに潜り込むとき、一話完結を願い、大きく独り言で、
「さぁて!今夜はどんな楽しい夢を見るのかなぁ???」
なぁ~んて思いながら眠りに入るのだ。

およそ、睡眠導入剤などという薬物を必要としない、
私の夜は、昼間活発に働かなかった脳みそが、余分な邪推を
振り払い、最も活躍する時間なのかもしれない‥‥。

by don-viajero | 2010-03-07 16:05 | | Comments(0)
2010年 03月 05日

至福の時

本棚から、背文字のタイトルが日焼けして、すっかり、
うすくなってしまった一冊を取り出す。

いつに間にか、上部に降り積もったホコリを払い、
パラパラとページを捲る。昔、読んだ記憶を追う。

今では、そんなことはしないが、ページを開ければ、
赤線や青線が引かれている箇所がある。
何故、このページの、この文章に引かれているのだろう?
しかも、赤と青に区別して‥‥?
ロッキングチェアーにもたれかかり、軽く目を閉じて
“あのころ”を思い巡らす。

ある人は、読み終えれば、友人にあげたり、古書祭に
提供したりして処分する。
私は違う。ひょっとしたら、いつの日か、この本の、
このページを捲るときがあるのでないか?
これは、若いころから本を手にしたことのある者だからこそ、
味わえる醍醐味だ。
そして、あのときとは明らかに違う衝撃が、自分を
捉えるのではないか?だからこそ、あのとき、あの店で
買った本は自分の手元に残しておきたい。

数十年前の“若者”が赤ペン、青ペンで引いたページの前後を
読み返す。その時代への想いが駆け巡る。

小鳥たちが、芽吹きの始まろうとしている枝を忙しなく飛び交い、
福寿草の蕾が、その鮮やかな黄色い花びらを誇らしげに広げ、
春の喜びを告げるように、私も歳相応の新たな発見を喜び、
時間だけが、至福の流れを静かに刻んでゆく。

PS: 今朝、3時に目が覚めた。そのとき「ラジオ深夜便」で、
   初めて、浅川マキが逝去(1/18)したことを知った。
   彼女の追悼番組だった。
   ´70年代の歌は、旅と街と夜がとめどなく広がる空間が、
   プンプンしていた。あの時代が一つ、死んじゃった‥。
   「さよなら、アバよ!浅川マキ!」‥‥合掌
  

by don-viajero | 2010-03-05 20:38 | | Comments(3)