陽気なイエスタデイ

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2010年 09月 30日

超短編小説 『シンデレラ』

出産後体重が減らず、産後太りを絵に描いた
ような体型になってしまった。
痩せようとチャレンジしてもいつも失敗し、
そのたびに増えてしまう‥‥。

ある日、保育園に通うようになって、日増しに
おしゃまになってゆく娘が、棚の上にある写真を見つけた。

それは、美男美女のツーショット。
純白のスーツを着たパパと素敵なウェディングドレスを
纏った私の、幸せ一杯の二人が写っていた。

「ねぇ~ママ!あの写真よく見せてぇ~!」
「はい、はい。」
「パパの横にいるシンデレラみたいな綺麗な女の人、
 だぁ~れ‥‥?」
「ママに決まっているでしょうぉ~!」

娘が写真のなかの私と今の私を見比べている。
「うっそぉ~!パパは‥パパなんだけどなぁ‥‥?
 ママ、ひょっとして魔法がとけちゃったのぉ~‥?」

私は一大決心をした‥‥。

by don-viajero | 2010-09-30 19:52 | 超短編小説 | Comments(0)
2010年 09月 27日

実り

先週の日曜日、天候にも恵まれ、仲間で作っている
もち米の稲刈りだった。田んぼのなかは、二日前に
降った雨が、足元をぬかるんだものにしてしまった。
深いところでは長靴の2/3ぐらい埋まり、歩き難い
ぬかるみは、夏の名残の暑さとともに、身体全体から
汗を搾り出してくる。

そこには、いまではすっかり見ることもなくなった、
微笑ましい光景が飛び込んできて、思わず笑みが零れる。
昨年から仲間に加わった、若いM氏の奥さんが、腰を屈め
子供を背負って一生懸命に刈っている。
刈り取って地肌の見え出したところでは、背負われた
子の兄貴が、ドロだらけになって、夢中でカエルや
イナゴを追っかけている。
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はぜ掛けも終わり、大収穫の予感をさせるように、
はぜ棒がたわわな実をつけた稲の重みで撓っている。
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そして、いよいよ来年のレンゲ米に向けての準備だ。
昨日は、10年間ほど耕作していなかった田んぼに、
土壌改良剤として硅カルを蒔き、水を引き込み、
2台のトラクターで田起こしをした。
週末の土曜はレンゲの種蒔き。その後、続いて
田んぼのなかにブルーシートを敷き、楽しい?
足踏み脱穀作業が待っている。

しばらくは、実りに向けて忙しい休日が続く。

by don-viajero | 2010-09-27 19:20 | ずくの会(米作り) | Comments(0)
2010年 09月 25日

今週は「The taste of autumn」から、雨が続き、
一気に気温も下がり「The deep autumn」と
様変わりしてしまった。でも、週末の今日ばかりは
誰もが頷く「The beautiful autumn」だった。
そして、二ヶ月ぶりの日中ラン。

広がる空は水のように澄み、季節の衣替えが
終わったことを教えてくれた。
山々が空との境をくっきりさせ、その姿を浮かび
上がらせ、すぐそこまで覆い被さるように迫ってくる。

道端の雑草のほとんどを占める、猫じゃらし
(エノコログサ)の影が、まるで生きている黒い芋虫の
ようにアスファルトの上で蠢(うごめ)き揺れている。
その中に紛れるようにくすんだ黄色で咲いている
‘バカの花’(アメリカセンダングサ)を見つけ、小学生のころ、
投げ合って服にくっ付けあったことを思い浮かべ、
口元が緩む。

刈り取られ、地肌が剥き出しになった田んぼでは、
ペアになった無数のトンボが優雅に飛び交い、
早い時期に穂を出してしまったススキが銀色に
輝いて靡(なび)いている。

つい、先日まで黄金色の稲と白い蕎麦の花が
絶妙に競い合っていたのに、いまでは、収穫を待つ
蕎麦の花だけが薄汚く映ってきてしまっている。

腹筋や腕立て伏せ、内旋筋運動を済ませ、首を傾け、
ポカリと浮かび、刻々とその形を変える雲を見上げる。
静まった心臓の鼓動を確かめ、目を閉じると、自分が
無になって空気に溶けてゆくような心地よさが広がる。

いままで凪いでいた秋の風が、どこからか、微かな
渇いた感触を残して汗で濡れた頭を撫でていった。
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by don-viajero | 2010-09-25 18:01 | Run | Comments(0)
2010年 09月 22日

三人の子供たちが就学する前、それぞれに同じ形の
机を作ってやった。
上の二人の娘たちには、楢の無垢材を木地仕上げで、
末っ子の息子には、水目桜の無垢材を民芸塗した
ライティングビューローだ。

開けば机になる扉を下ろすと両脇に可愛い小引き出し、
下にあるチェストは、小さな引き出しが横に二つ並び、
大きなものが上下に二段。

就学するころになると、自分だけのものを自分の
引き出しにしまいたくなるものだ。
たとえ、勉強をキッチンのテーブルや家族の集まる
卓袱台でやろうが、机にある引き出しのなかは、
瞬時に自分だけの世界に変わる。

成長するにつれ、引き出しは心の中にも作るように
なってくる。楽しかったものばかりでなく、悲しい
ものまでも‥‥。
捨ててしまおうにも捨てることのできないものまでもが
しまい込まれてくる。
それらが、小さなものか大きなものかは、人それぞれ
違うだろうけど‥‥。

昨年、少しばかり手直しした長女の机を彼女の娘が
引き継いだ。来年は下の孫娘が次女のものを貰い
受けることになった。

そして、私がいま愛用しているものは息子のものだ。
他にも、やはり自作の文机やパソコンの置き台にしてある、
キャスター台に載せた小引き出し箱が並んでいる。
それらの中には、大事なものもあれば、捨ててしまっても
いいようなものもある。

近い将来、思い切って整理してみよう‥‥。
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     手直し前の次女のライティングビューロー

by don-viajero | 2010-09-22 19:59 | エッセー | Comments(0)
2010年 09月 19日

人生の扉

日本における三大歌姫。私にとってではあるが‥‥。
中島みゆき・’52年生、松任谷由美・’54年生、
そして、竹内まりや・’55年生。
彼女たちと同世代に生きていることに感謝しよう。

-春がまた来るたびに ひとつ年を重ね
 目に映る景色も 少しずつ変わるよ
 陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く
 気がつけば五十路を 越えた私がいる
 信じられない速さで 時は過ぎ去ると 知ってしまったら
 どんな小さなことも 覚えていたいと 心が言ったよ

 I say it's fun to be 20
 (二十歳になるって楽しいことよ)
 You say it's great to be 30
 (三十歳だって素敵さ)
 And they say it's lovely to be 40
 (四十歳ってすばらしいことだってさ)
 But I feel it's nice to be 50
 (でも、五十歳もいいなぁって思うよ)

 満開の桜や 色づく山の紅葉を
 この先いったい何度 見ることになるだろう
 ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ
 ひとりひとり 愛する人たちのために 生きてゆきたいよ

 I say it's fine to be 60
 (六十歳になるって達者なことだよ)
 You say it's alright to be 70
 (七十歳だっていいじゃないか)
 And they say still good to be 80
 (八十歳なんてまだ大丈夫だってさ)
 But I'll maybe live over 90
 (でも、90歳を過ぎても生きてるかも)

 君のデニムの 青が褪せてゆくほど 味わい増すように
 長い旅路の果てに輝く何かが 誰にでもあるさ

 I say it's sad to get weak
 (衰えるってみじめだよ)
 You say it's hard to get older
 (老いるって辛いことさ)
 And they say that life has no meaning
 (人生に意味なんかないってさ)
 But I still believe it's worth living
 (でも、信じてるよ 価値ある生き方を)
 But I still believe it's worth living-
 (でも、信じてるよ 価値ある生き方を)

竹内まりや・作詞作曲

(英文:DON VIAJERO訳)

by don-viajero | 2010-09-19 18:11 | エッセー | Comments(0)
2010年 09月 16日

超短編小説 『夏の雨』

定年後、小さな畑を借りてわずかな野菜を育てている。
土に縁のなかった私には、毎日が新鮮な作業だ。
自分で作ったものは、その形がどんなに不恰好なもので
あろうと食卓を美味しく飾ってくれる。
ただ、今年の夏のように日照りが何日も続くと大変だ。
猛暑だというのに、草だけはちゃっかり伸びてくる。
草取りや野菜の水やり。すっかり疲れ果て土手にある
木陰で一休み。噎(む)せるような草いきれのする場所で
横になり瞼を閉じると、急にサワサワと気持ちのいい小さな
風が微睡(まどろ)みへと誘った‥‥。

「お~い!〇〇ちゃ~ん!川へ行こう!!!」
薄い板材を空箱型に釘打ちし、透明ガラスをガラスパテで
固定して作った箱メガネと簎(ヤス)、それに釣竿も持って
わさび畑の近くを流れる、膝ぐらいの深さの川へ行く。
わさび畑から流れ出てくる水はとっても冷たい。小石を
そう~っと除けると、川床と同じ保護色に覆われた
カジカがいる。簎で一突き!ついでに小石の裏に
くっついているニジマス釣りの餌にするザザムシも確保。
夢中でカジカを獲ったり、釣りをしたり、泳いだりして
時間の経つことさえ忘れていた。昼を知らせるサイレンは
とっくに鳴り終えていた。

突然雷鳴が響き渡り、でっかい雨粒が落ちてきた。
近くの作業小屋に逃げ込む。勢いのいい雨粒が
叩きつける足元から『焦げた匂い』がした。

用意してきたオニギリを頬張り、雨が止むのを待つ。
食べ終わると、遊び疲れた僕たちは、沿いあうように
横になり、お昼寝をする。ウトウトと‥‥。

頬に雨粒が当たって目が覚めた。
あっという間にどしゃぶりになった雨が、渇き切っていた
地面から、あの『焦げた匂い』を発散させていた‥‥。

by don-viajero | 2010-09-16 20:20 | 超短編小説 | Comments(0)
2010年 09月 14日

秋の気配

夕べから、今朝方まで降った雨のせいで、地面も木々も
しとどに濡れていた。
10時ごろ、その雨も上がり、空を見上げると遠慮がちに、
最後の雨粒がそっと顔に落ちてきた。

頭上の梢に透ける空は次第に磨かれたように碧く輝き、
ポツン、ポツンといろいろな形の雲が遊んで、木漏れ日が
くっきりと疎らに彩っていた。

太陽が、この夏最後の照りを鼓舞するように肌を射し、
ほんの束の間のことではあったが、突然林の中から
「ミ~ン ミ~ン」と静寂を突き破り、大きな音を絞り出すように、
一匹のセミの鳴き声が聴こえ、数十秒でピタっと
止んでしまった。

9月13日、この日、たった一日で周りの空気が入れ替わった。
夜には生暖かいものが失せ、風呂上がりの火照った体を
ひんやりと優しく癒し、深呼吸すれば、肺の奥深くまでも
冷やしてくれそうなかけらが辺りに充満し、確かな秋の気配に
包まれていた。

演歌によくある、女が男にふられる歌ではなく、飽きた恋人を
ふる男の歌、オフコース『秋の気配』。

若いころの恋愛はふられたこともあるし、ふってしまったことも
しばしば‥‥。

ようやく、夏から秋へと主役の座が入れ替わったのだ。
寒い冬が終わり、暖かな春を迎え、次に訪れる夏に恋焦がれ、
あまりにも暑過ぎて、冷却してくれる秋を待ちわびる。
決して夏に飽きたのではないのだが‥‥。

心の変節も、四季の移ろいも、すべてがその気配から
新しいものに変わるということなのかもしれない‥‥。

今朝、外にある温度計の目盛りが一気に20℃を割り、
15℃を指していた。
      
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      左からコナラ、朴、赤松、山栗に囲まれた空

by don-viajero | 2010-09-14 20:19 | エッセー | Comments(0)
2010年 09月 11日

さよなら夏の日

毎年繰り返されるようにやってくる夏。
そのなかでも、今年はとりわけ一番夏らしく、暑い日が
続いた。正直、老体(笑)にはいささかきつかったが‥。

「〇〇ちゃんと遊んでくる~!」
予定なんかない。
兎に角、友だちの〇〇ちゃんと逢って、その日の
行動が決まる。
「暗くなるまでには帰ってくるんだよ!」
背中に聞こえる家人の声は遠くへ流れてゆく。

朝食を済ませ、全速力で自転車を漕ぎ〇〇ちゃんちに
向う。そこには△△ちゃんもすでに来ている。

夏休みの一日が始まる。
どんなに暑くても、自転車に乗ってあちこち走り回った。
入道雲がモコモコ湧き上がり、夕立に遭遇しての雨宿りも、
それはそれで楽しかった。毎日が新鮮な夏休みだった。

多少の心配はあったかもしれないが、子供たちの世界を
堪能させてくれた。いい時代に生きた少年期。
一つ一つの夏が終わり、誰もが大人に近づいていった。

真っ青な空を眺めると、入道雲から羊たちが長閑に浮遊し、
季節の変わり目を告げている雲が流れてゆく。
耳の奥から聴こえてくる達郎の透き通ったあの歌。
『さよなら夏の日』
そう!みんな大人になってゆくんだ!

つい先日までのセミの音で充満していた炎天下。
今日、一匹だけが夏の盛りに鳴くのを忘れていたように、
ジージーとその音を高らかに響かせていた‥‥。

by don-viajero | 2010-09-11 21:51 | エッセー | Comments(0)
2010年 09月 08日

悪人

いったい、誰が『悪人』で、何が『悪人』なのだろうか?

日常茶飯事のごとく『悪人』が新聞紙上を賑わせている。
なかには『極悪人』と叫んでもいいような事例もある。

殺人を犯し、逃げ惑う若者が『悪人』なのか?
殺されても仕方なかった女が『悪人』なのか?
彼をそのような境遇に貶(おとし)めた両親なのか?
はたまた彼を取り巻く社会がか?

昨日、カナダのモントリオール世界映画祭に日本から
出品されていた『悪人』(李相日監督)でヒロイン?を
演じた深津絵里が最優秀女優賞を受賞したニュースが
流れていた。私自身、彼女のことはほとんど知らない。

芥川賞作家・吉田修一著『悪人』を読み終えたのは
今年の春先だった。「ヒロイン?」としたのは、作中の
光代がはたしてヒロインと断定してよいものか、疑問が
残るからだ。そして読後思ったことは、
-何故、この作品がベストセラーになったんだろうか?-
不思議でたまらなかった。
時系列に繰り返される登場人物の描写。それは最終章に
近づくにつれ、目まぐるしく次々と移ってゆく。
文章自体それほど褒められるものでもないし、人に
薦められるような代物ではなかった。

作者が映像を意識した作品を書き上げるのか?
それとも、映像に関わる者たちの脚本力の無さが、
安易に映像化に走らせるのか‥‥?

昔から言い尽くされたことではあるが、原作を読んでから
映像を観るか?観たあとに読むか?
多分、私はどちらでもないだろう‥‥。

それは原作のなかで逢える登場人物は私だけのものであり、
それらに優るものがないと思うからであろう‥‥。
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by don-viajero | 2010-09-08 19:55 | | Comments(0)
2010年 09月 05日

下北沢

「お~い!Aく~ん!ホッピー追加5つ!」
「は~い!すぐに持って行きま~す!」
テキパキとアルバイトをこなすA君がホッピーを
持ってくる。
我々はテーブルに置いてある伝票を彼に見せ、
「な~!A君ここにある‥これ‥、
 さっき取り消したはずだよなぁ‥!な~みんな!」
「そうでしたっけ???
 まぁ、いいか!消しておきます!」
「毎度、ありがとさん!」
下北沢の「村さ来」で繰り返された光景だ。

再四年のとき、私のところから歩いて一分とかからない
アパートに、中学・高校の後輩K君とM君が別々の部屋
ではあるが暮らしていた。しかも私と大学も同じ。
彼らの中学同窓でサラリーマンのS君やM君の友人
N君も、更に私の休学中部屋を又貸ししていた和尚の妹
K子も交え、仲間の誰かがアルバイトで日銭が入ると、
よく行ったのが「村さ来」。
すっかり顔馴染みになったアルバイトA君には、何回となく
注文のお目こぼしをしてもらった。ボックス席の下には
ジャガイモやニンジン、タマネギの袋詰めがあり、帰り際
内緒でお土産に持ち帰った。

先日、新聞に下北沢駅周辺の再開発工事に反対住民が
立ち上がった記事が載っていた。良くも悪しくも東京での
一人暮らしの青春を飾った界隈だ。

アラ還に近づくにつれ、東京で息していた自分が遠い
あのころの自分と、いまの自分が一繋がりだというのが
ピンとこなくなってきている。

K君、M君、S君それに和尚を加え、毎年一回は飲み会を
続けている。もちろん、酔えばその場にいるはずのない
K子やN君の声を聴いて、あのころの繋がりを確かめ
合っている我々がいる‥‥。

by don-viajero | 2010-09-05 20:01 | エッセー | Comments(0)