陽気なイエスタデイ

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2007年 09月 20日

親子

揺籃期にはありがちなことではあるが、親に叱られて素直に
謝ることをしなかった。それは幼心にも
―ごめんなさい―
という一言を発する理由が見あたらなかっただけだ。
何故、自分が怒られなくてはならないかを‥‥。
自分の子を見ても、孫を見てもそうである。

姉との姉弟喧嘩も
―オイラは悪くない!悪いのは姉ちゃんだ!―
そんなこともあって、謝るまで家の通し柱に三尺帯で縛り上げられた
こともあった。結局は我を通しそのまま寝込んでしまったのだが‥‥。
さりとて、今で云うDV親父を恨むことなど論外であった。
そうやって、みんな大人に近づいてきたのだ。

親にとって善悪を教え込むことは、子供の成長にとって必要不可欠な
ことであろう。
その親が善悪を省みなかったときにはどうであろうか‥‥。

子供のときには天を覆う全能の存在だった親を乗り越え、
すりぬけ、かわしながら人は大人になる。
もし、あの16歳の少女が目前の父を殺すことでしか大人に
なれないような場所に迷い込んだのなら、父娘というには
あまりにむごい。

子供には大人になる過程において思春期の迷路を友と語り、
己にとって良き友と行動し、様々な人生を学び取り、一人で
彷徨う時間が必要だ。それらを通して揺籃期からの脱皮をし、
穏やかに親離れを果たし、自分の生きる現実をしっかり掴み取る。
そこにはすでに親にできることはあまりない。

我が子の成長が我が手を離れることによって、やがて大人同士の
新しい親子の関係を取り結ぶのではないだろうか‥‥。

# by don-viajero | 2007-09-20 21:11 | エッセー | Comments(2)