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陽気なイエスタデイ

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2011年 06月 28日

狐小路【「銭湯」伏線】

関東大震災後、伊豆に代わる山葵の一大生産地となり、
山葵生産者や仲買人たちが湯水の如く金を落とした。
そこには、全国から芸者衆も集まり、空前の山葵景気に
沸きかえっていた。終戦後もその名残で、多くの芸者衆が
息づいていた。

通称『狐小路』は、行き交う人々の肩が擦れ合うほど
賑わっていたそうだ。周りには何軒もの置屋ができ、
白粉(おしろい)の匂いをプンプン振り撒いている
芸者衆がたくさんいた。なかには人を騙すような‥‥。

当時、安曇野随一の繁華街であり、歓楽街であったことは
容易に推察できる。たった数百mの通りには、料亭や
置屋ばかりでなく、芸者衆の住む部屋貸し屋、魚屋、
八百屋、肉屋、もちろん山葵屋、『き~ねいちゃん』の
寿司屋の隣りが銭湯。通りを隔ててお菓子屋の『花月堂』。
人ばかりでなく、時代が蠢いていた‥‥。

そんな賑やかな場所から、道も整備されていない隣村の
山沿いにある小さな集落に、相手の顔も知らぬまま
嫁いできた『花月堂』の娘は、夜な夜な真っ暗な外で
寂しさに耐え切れず、一人涙を流していたそうだ。

一月ほど前、仕事先のおばあちゃんと話をした。
20歳以上年が離れていても、会話が成り立つから、
楽しくもあり、懐かしかった。

昭和34年、甚大な被害をもたらした『伊勢湾台風』は、
私の故郷もズタズタにしていった。川沿いの山葵田は
冠水し全滅。『狐小路』のはずれにあった木橋も流された。
少し上流にアーチ型コンクリート橋として架けなおされ、
当然、取り付け道路も変わり、通りは一気に寂れていった。
地上権しか持ってなかった家屋は次々に壊され、今では
往時の繁栄を垣間見るような姿は一つも残っていない。
人の記憶も少しずつ薄れ、時代が懐かしさを壊してゆく‥‥。 

by don-viajero | 2011-06-28 19:46 | エッセー | Comments(2)
Commented by riojiji at 2011-07-03 07:09 x
夢には 必ず伏線がある!・・・ですね。
初めて 聞いたじ!!
なんや、あの時 婆ちゃんも居たから その話、したら
当時の安曇野の話 聞けたでありんすよ!!
Commented by DON VIAJERO at 2011-07-03 07:55 x
日本蜜蜂の分蜂の話しも・・・?
正式名称でなかった「狐小路」。
この先にあった木橋を渡った場所が「狐島」。
いまでも、この名前は地域名として残っている。


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